[読書ログ]「ごきげんなすてご」いとうひろし
「ごきげんなすてご」
作:伊東寛
※ネタバレあり
弟が生まれたおねえちゃんが、弟ばかり「かわいいね」と言われるのでわたし、すてごになると言って、犬や猫や亀といっしょに貰われるようにあれこれ試していくうちに最後ひとりだけ残ったところで、おかあさんとおとうさんが「うちのこになってくれない」か、と聞きに来るはなし。
どこの図書館にもある有名どころ。
読んでみると確かにユーモアたっぷり。
「かわいくない」赤ちゃんへ愛情を取られてしまったと感じる一種の寂しさを「すてごになる」というユーモアで綺麗にかたちにしている。
文章も絵も多く、枚数は多めだが、サクサク読める。
かたちとしては、”行って帰ってくる”系の話で、桃太郎の構造に近い。
ある目的(すてごになって、誰かにひろってもらう)のために出かけて、そこで出会うものたちと仲間になって(この本の場合は、犬と猫と亀)、段ボールの中で拾われるのを待つ。
亀がもらわれ、猫がもらわれ、ついには犬も元の飼い主のもとへ戻っていく。そこにようやく、女の子の両親が来て、旅が終了する。
「すてご」という滑稽さの勝利。
そういえば、先日、過去の公募ガイドで童話の構造を読んだ。ものすごくためになった。
児童文学ではなく、現代文学を書いていた頃は、指南書のような本を毛嫌いしていた。そんなものにあてはめながら書くなんて創作じゃない、とさえ思っていた。が、児童文学となると、素直に受け入れられるから不思議だ。
物語に求められるものは、3つ。
大人に禁じられたことができるという<心の解放>
禁じられていないがやりたくてもできないことをやるのが<代償行為>
非日常へ行く<精神浄化>。
今回は、<代償行為>にあたるのかなと思う。
”行って帰ってくる”典型的なパターンに落とし込みながら、「すてご」というドキリとするワードと、どんどん拾われていき、最後どうなるのかという盛り上がりでページが進む。
主人公は特に大きな感情の揺れはなく、淡々としていて、悲しさや寂しさで泣いたりしない。主人公の主張のなさも、受け手に読み取り方をゆだねていて、よいのかもしれない。
読書の大事さを痛感しながら、そろそろ自分の作品も書かねばと思う日々である。
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