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[読書ログ]タイトルに「きつね」が入っている児童書part3

さてさて、今日も今日とて読書ログ。
きつねが出てくる童話・絵本の読書も、あと残り4冊。
4冊読んだら自分の物語にとりかかろう。
今回はサクッといきます。


きつねの時間


作:蓼内明子
絵:大野八生
※本note記事はネタバレを含みます。


全国学校図書館協議会選定図書。
初版は2019年で、発行はフレーベル館。フレーベル館の本はあんまり読んだことないかもしれない。
ものがたり新人賞もやってるし、これを機にあれこれ読んでみようと思う。

それにしても原稿用紙60~240枚ってすごい幅広く受け入れてくれるんだなあ。60枚書けたら応募しよう。

話は戻って、あらすじ。

あらすじ

小学六年生のふみは、お母さんと2人暮らし。絵描きをしているお母さんは料理や家事が苦手で、凝った料理はふみがつくる。
ある日いつものレシピと違うカレーがお父さんと同じ味がするとお母さんが言う。
今まで死んだと聞かされていたお父さんが生きていると言われ、ふみは激怒してお母さんと喧嘩(冷戦状態)をする。
ふみの心の成長物語。


感想

本書はきつねが出てくると思って手に取ったが、きつねは一度も出てこない。というか、メルヘンでもない。
きつねの時間というのは、玉ねぎを15分間じっくり炒めている時間のことを言う。

なべに油を引き、弱火でニンニク、しょうが、シナモンスティックをいため、ニンニクのかおりがしてきたら玉ねぎを投入。タイマーを十五分後にセットして、あとはただゆっくり玉ねぎをいためる。
この十五分を、わたしはきつねの時間とよんでいる。
きつねの時間はしずかに過ぎる。木べらを持つ手を動かしているうちに、換気扇の音も聞こえなくなって、頭の中はふわふわどこかへ飛んでいく。

本文より引用

きつねの時間の話は、効果的に使われている。
はじめのほうでカレーを作るときに、きつねの時間の紹介として描かれ、最後、きつねの時間で、母子のコミュニケーションが行われる。

後半、

タイマーをかけて、きつねの時間がスタートした。

ママはそのあと少し、なにも言わなくなった。だまったまま、少し口もとをにっこりさせて、ゆっくり左右に木べらを動かした。
ああ。ママは今、きつねの時間の中にいる。

「きつねの時間の中」というのは自分自身と向き合っている時間のことを言うのではないか、と想像した。
ひとりで自分と向き合っている時間が多かった主人公(ふみちゃん)は、それに名前をつけるほど、向き合うべき問題や悲しみがあったのではないかと思わせる。

木べらが止まった。
「かして。わたしがやる」
わたしは、なべの底にできたコゲをこするようにして、木べらを動かした。

お母さんが今はインドで放浪の旅を続けていると思われる夫(結婚していないから夫ではなく、ふみちゃんの父となる人)のことを思い出しながら、ふみちゃんに話していると、手が止まってしまう。
ふみちゃんは、お母さんに変わって木べらを動かす。

ひとりでは向き合いきれないとき、手助けする母子(自分と自分以外の誰かでもいい、自分と他者という構図)を描くことで、深層心理の中で、二人の中でコミュニケーションが生まれている。

ピピッ ピピッ ピピッ
ふたりそろって大泣きしてたから、今日の玉ねぎは、いつもよりこげ目の強いきつね色になってしまった。

こころのふれあい、リレーションが行われている様子、そのきっかけでもあり、象徴的なモチーフとして、この時間に名前をつけて、この時間をキーにして、物語を展開しているように感じた。


あとは、すさまじく読みやすい文章。
書き手視点としても、いいなあ、こんなに書けてすごいなあ、羨ましいなあ、としみじみ思った。

これこれ、こういうのがヤングアダルト、児童文学っていう感じの文体も気に入った。
説明が多くない。主人公の感情が読み取れる。でもそれほど感傷的でも、叙情的でも、鬱屈ともしていないので、読者が置いてきぼりにならない。

気になったところは、冒頭に出てくる孝太郎くんの存在。
孝太郎くんは冒頭でいきなり、ふみちゃんに告白をする。
しかし、ふみちゃんはそれがきっかけで、孝太郎くんを嫌いになってしまう。
今までのような関係性を続けたいのに、急に近づかれたことで拒否反応が出ている。
孝太郎くんの性格や素性は深く掘り下げられない。
そのまま、ラストまで登場がなく、最終的にラストをかっさらっていく。

主人公たちの年齢感、ふみちゃんの成長や心境の変化があり、冒頭とラストではふみちゃんは変わっているのだ、という印象付けで書くにしても、取って付けた感が否めないように、個人的には思われた。

それなら、孝太郎くんをもう少し本編にからめるか、りょうちゃんの代わりに孝太郎くんを登場させるほうがストーリーとしてすっきりしたような気がしなくもない。

でも、これを逆に考えると、お母さんも、幼稚園のまり子先生も、友達のりょうも、全員女性。登場人物の女性が活躍したり、成長したりするところにフューチャーしているようにも感じられた。
だからこそ、父も生きてはいて、人となりは語られるけれど、実際に主人公に会うことはないし、孝太郎くんも掘り下げられない。

最終的に孝太郎くんと会話するシーンで終わるけれど、これが、ふみちゃんが今回の心の成長を経たから、次に向き合うべきものとして存在する”他者”ともとらえられるのかもな、とも思う。

上記に書いた通り、「きつねの時間」の重要性は理解したけれど、わたしのようにきつねが出てくるものがたり!と思って本書を読む人はすくなくないと思う。
と、思うと、もう少し違うネーミングのほうがよかったようにも感じる。
”きつね”でなければならない理由は、本書には見つけられなかったから、本を手に取る読者の視点に立つと、なおさらとも。

……でも、その意外性もまたいいのかもしれない。

現に、このタイトルだからこそ、この本に出会えたわけだし。


何はともあれ、面白かった。

きつねの本はあと3冊。


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