カフカの断片から


以前ここで、説教と交渉の同一性について書いた。
”説教とは、それが本当は交渉であるということを、相手に気がつかれてはいけない交渉である。
交渉とは、それが本当は説教であるということを、相手に気がつかれてはいけない説教である。”

一方カフカは、告白と嘘の同一性を指摘する。ありのままを相手に伝えることの不可能性から、告白は不可避的に嘘になると。そのペシミスティックな考え方から、合唱のなかにはじめて、ある種の真実が横たわっているかもしれないと飛躍的な予感で閉じられるアフォリズムだ。

カフカはコミュニケーションの不可能性から、全体主義的高揚に真実を予感するのは、単純に批判すべきところだが、一方私は、説教と交渉の同一性の指摘から先になんら別の回答を設けていない。

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