【書評】清水多吉『語り継ぐ戦後思想史 体験と対話から』

 筆者がまだ史学科の学部生だった頃のことであるが、筆者は当時通う大学の図書館で毎日のように各社の新聞を読んでいた。すべての記事を読んですべての内容を理解していた訳ではなかったが、毎日の習慣となっていた。そこでいつも見かける人物がいた。それは、総白髪の眼光鋭い小柄な年配の男性で、筆者と同じようにいつも新聞を読んでいた。筆者は、許可を取り入館している一般の方かと思い、話しかけることは一度もなかった。
 哲学科の修士課程に進学して間もない頃、筆者は哲学科から進学した同期生と同伴で、自身の指導教員の研究室に向かった。するとそこに、先に言及した年配の男性の姿があった。その人物こそ、本書の著者である清水多吉氏であることにようやく気づいたのである。清水氏の名前は、史学科の頃より耳に入っていたが、一体どのような方だろうと思っていた。その方が、図書館でよく見かけた方だったことに驚いた訳である。そこで清水氏は、筆者が史学科から進学したことを聞き、近頃執筆した自身の論稿について、筆者に質問なさった。簡単な質問だった。島村抱月と松井須磨子を知っているか、と。筆者は、名前のみではあるが知っており、その旨をお伝えした。すると清水氏は、感激とまでは言わないが、非常に感心しておられた。筆者が清水氏と直接お話したのはこの時だけである。その後は、哲学科の大会でお見掛けする程度である。大会での清水氏は、いつもマイクを使わずに発表者に対して大声で質問をされる。何年か前にメディアによって「暴走老人」と揶揄されたプロ野球の監督がいたが、言葉は悪いが、大会での清水氏もそのようなご様子である。時には司会者の制止を振り切ることもあった。だが、またそれも大会の名物であり、大いに賑わせた。清水氏もあと数年で九十歳になられるが、また大会で清水氏のお声を聞く日が来ることを待つばかりである。
 本書は、清水氏による戦後思想史にまつわる回想文である。これは単なる思想史の本ではない。副題にもあるように、清水氏は「体験」という言葉にこだわりを持っているようである。本書から一例を引用する。だいぶ長くなるが、清水氏がまだ若かった頃のことである。政治思想史研究で知られる橋川文三を囲んでの研究会で、清水氏が、戦前の青年将校を突き動かした思想を過大評価する従来の研究について不満を述べたところを橋川がたしなめる場面である。

 君の意見は一応もっともとは思う。しかし、やはり君も歴史上の事件を感情移入をしただけで眺めているだけなのではないだろうか。今、君はあの事件を「ニイテンニイロク事件」と呼んだ。しかし、あれは「ニイニイロク事件」と呼んだのであって、「ニイ・(テン)ニイロク事件」と言ったのではない。あの時、私(橋川)は中学生になっていて、あの事件の一報に接して妙に胸が高鳴りしたものである。何を期待したのか、中学生であったのでよくわからなかった。妙な胸の高鳴りだけはよく覚えている。これが、歴史事象に対する「経験(エルファールンク)」ではなく、切れば血の流れる「体験(エルレープニス)」というものではないのだろうか。そしてまた、「経験」に対する期待はずれの感がいわゆる単なる「失望」と呼ばれるものであり、「体験」に対する期待の裏切られ感が「挫折」と呼ばれ、こちらの方がより深く歴史の深層に沈み込むものではないだろうか、とのことであった。私としては講師橋川文三のこの言葉に魅了され、ますます橋川ファンになったものである。

 「二・二六事件」の呼称について、もっと詳しく説明して欲しいものだが、それはともかく、清水氏は、「経験」ではなく、「切れば血の流れる「体験」」のほうが、歴史の深層により深く沈み込めるといった橋川の言葉に魅了されたことが読み取れる。また清水氏は、「転向」研究で知られる鶴見俊輔が、「「戦争」も「転向」も、もともとは切れば血の出るような実感をともなった「体験(エルレープニス)」であったのに、それが「一般的歴史知」となるに従って、いかに「体験」の切実さが失なわれて行く」というようなことを語ったことを紹介している。つまり、「体験」は、時間の経過とともに「知識」となるにつれて、その切実さが失うということである。私見を述べるとすれば、歴史書にはよくあることであり、後世に生きる人間にとって、それは単なる「知識」としてしか認識しえない。もちろん、当該事象を体験した人間にとっても、時間の経過とともに、その「体験」は、単なる思い出話になってしまう可能性がある。清水氏は、その傾向を避けたかったと思われる。それゆえか、本書は、最初の「「転向」の諸相」の章を除くすべての章が、清水氏が実際に体験した出来事と時代を彩った哲学者や思想家との対話を基にして書かれたものである。ならば、本書は単なる回想文でもないことになる。
 だが、それが思想史を叙述する上で大きな制約ともなる。個人的な体験の範疇では、思想史の全域を覆い尽くせないからである。つまりは、個人的な体験の形式では、全域のうちの体験した範囲にのみ限られるということである。とはいえ、逆に思想史の全域を網羅しようとすれば、清水氏が忌避しそうな切実さの喪失を招くことになる。清水氏もその点承知のことと思われる。清水氏の専門分野のこともあってか、本書は福本和夫を含めフランクフルト学派を中心にして書かれている観があるように思われる。筆者はその点については何も言わない。個人的な体験の形式で書かれた以上、致し方ないことと思われるからである。
 以下では、筆者が気にかかった点について述べることにする。
 まずは「転向」についてである。「転向」とは主に、戦前のマルクス主義者のマルクス主義の放棄のことを指しており、清水氏も本書においてその線で論じている。清水氏は、(1)スターリン体制を追認する「非転向」組、(2)中野重治や福本和夫に代表される偽装「転向」組、(3)保田與重郎に代表される「日本浪漫派」的「転向」、(4)獄中で「転向」声明を発表した佐野学と鍋山貞親、について俎上に載せている。このうち、清水氏は、(1)の「非転向」組に激烈な批判を加え、(2)の中野と福本の例に好意的である。偽装「転向」について一言注釈しておくなら、それは、単に共産党と距離を置いただけのことであり、マルクス主義を放棄したことを意味するものではない。日本共産党のソ連に対する態度が問題となった頃に、吉本隆明は「転向論」を執筆したが、その内容に賛否はあるものの、清水氏と同じように「非転向」組に激烈な批判を加え、唯一中野を擁護している。だが、そこには福本のことは記されていない。清水氏は、福本のことを柳田国男の後継者のように考えているが、福本をそのように規定することは、むしろ少数派であると言わなければならない。一般的には、福本は昭和初頭の「福本イズム」のイメージで語られる。そのイメージは、柳田国男の後継者のイメージとは対極にあり、当時のマルクスの思想の先端的な解釈をした新進気鋭の理論家であることを示している。筆者は、「福本イズム」として語られる理論にはだいぶ否定的であり、その詳しい理由についてはここでは触れないが、清水氏は、後に福本が伝統的職人的労働者が多く住む町において日常的実践活動に励むことによって、「福本イズム」の持つ高度な観念性への反省があったと考えている。筆者にはあまり想像の及ばないことであるが、フランクフルト学派を専門とする清水氏にとって見れば、明記すべきことなのかも知れない。
 次は1968年頃に起こった「学生叛乱」についてである。パリでの「五月革命」に限らず、当時は世界各国で「学生叛乱」が起こったが、いずれも同時的現象であり、相互に影響し合って起こったものではない。清水氏はその点を留意しているが、筆者もその点に異論はない。日本の場合、「東大闘争」と「日大闘争」とが特に知られているが、いずれも当該大学固有の事情によって起こったものである、東京大学の場合は、医学部内の学生側と教授側との対立が発端となり、日本大学の場合は、大学の巨額の使途不明金問題といったいわゆる経営側の不祥事が発端であり、元々は革命とは何の関わりもない。今回俎上に載せるのは「日大闘争」のほうであるが、日大では、上記の不祥事の他に、膨大な学生数に見合わない施設の貧弱さや大学当局の隠蔽体質もあり、学生側からの反発も大きかった。学生側から反発が起こる度に、経営側は、学内の右翼学生集団や体育会系の学生を利用して反発を抑えていたが、使途不明金問題に至って、学生側の反発は頂点に達する。そこで、1968年9月30日に、日大全共闘は、日大の会頭、全理事との「大衆団交」の開催に成功し、会頭、全理事は、全共闘側の要求に応じることになった。だが、問題はここからである。翌日の当時の佐藤栄作首相の鶴の一声により、日大当局は要求のすべてを破棄し、大量の機動隊を導入し、学生との激しい衝突を繰り広げることになる。その様子を清水氏は次のように言っている。

 私はTVの画面で見ていたのだが、本来なら大学側に立つはずの体育会系、右翼系の学生までバリケード内の学生たちの側に立って、機動隊と激しく衝突していたのは、強烈な印象であった。そしてまた、そのことを報ずるTVアナウンサーの上ずった声も、今もって印象に残っている。

 この言葉に筆者は違和感を覚えた。これが個人的な体験の形式で語ることの限界のように思われる。体育会系にしろ、右翼系にしろ、その信条は様々であり、なかには反体制的なものもあるのは当然である。だが、それはほんの一部に過ぎない。清水氏がテレビ画面の範囲で見たのであれば、あたかも体育会系や右翼系の学生のすべてが反体制的に見えるのは故なきことではない。しかし、清水氏は直接に現場で見たのではない。現場ではテレビ画面に映るものとは違った情況だった可能性も考えられる。テレビとは、それだけ恣意的なものである。体育会系や右翼系の学生であろうが、ひとたび反体制側に立てば、それだけで処分の対象になりうるはずである。時は流れ、現在の日大の経営側には体育会系の人物が多く名を連ね、その支配下で不祥事が相次いでいるが、清水氏はこの件をどのように思っているのだろうか。
 清水氏は、本書を締め括るにあたって現代社会への不満を口にしている。ポピュリズムに蝕まれた政治に対する対抗運動がこのAIとスマートフォンの時代には起こらないと。清水氏は、本書において終始世代的な観点(清水氏は、自らを戦争からも戦後の混乱期からも「遅れてきた世代」と規定している)から戦後思想史を語っているが、筆者はこのようなアプローチには賛成しかねる。これでは本質を見誤ってしまうからである。清水氏は、筆者のような世代の人々は対抗運動を起こさないと考えているようであるが、スマートフォンが普及してからの対抗運動に関心が向いていないように見受けられる。清水氏が本書でも触れているアラブの春にしたってSNSが大きな役割を果たしたが、清水氏はSNSについては一切言及していない。これはアラブ諸国での出来事であるが、日本に移してみても、2012年の夏頃に野田政権下での大飯原発再稼働に反対するデモが首相官邸前で起こった。筆者もその当時その様子を観に行ったのであるが、かなり大規模なもので大騒動だったことを記憶している。2015年には、安保法案に反対するデモが国会前で起こり、その際に、SEALDsと略称される学生団体が注目を集めた。筆者は、SEALDsとは立場を異にする者であったが、このように学生も声を上げたのである。2020年には、検察官の定年延長に抗議する声が、コロナ禍のなかSNS上で相次いだ。本書において情報化社会に批判的なことを書きながら最新のパソコンを持っていると自嘲した清水氏の視野にこれらの出来事は入らないのであろうか。
 これら以外にも気にかかる点がいくつかあるのだが、別の機会に譲りたい。
(彩流社、2019年1月刊)

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