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荒谷卓「『守るべき日本』を浸食してきたアメリカと市場」(『維新と興亜』第12号、令和4年4月)

わが国は主権国家ではない


── 一九五二年にサンフランシスコ講和条約が発効し、わが国が主権を回復してから七十年が経ちます。しかし、未だに日本はアメリカへの依存を続け、独立国としての気概を失ったままです。
荒谷 国民は「アメリカに依存する以外に日本の生存の道はない」と信じ込んでしまっているのです。第二次安倍政権で成立した「平和安保法制」には、「米国が攻撃されると日本の存立が脅かされる」とする「存立危機事態」という概念が書き込まれました。それほどまでに、「日本はアメリカなしには存立できない」という考え方が浸透してしまっているのです。
 政府、経済界、メディア、御用学者たちは、中国や北朝鮮の脅威を取り出して、「日米同盟に頼る以外に道はない」と主張し、自主防衛の努力を怠ってきました。
 しかし、現下の世界情勢は、まさに人類史における革命的大転換期にあります。もはや、日米関係のみに固執する時代ではありません。自立した思考と判断で日本の将来を創造しなくてはなりません。
 アメリカに頼るしかないと信じ込んでしまっているため、日米関係を維持することが自己目的となっているのです。その結果、日本政府はアメリカ、正確にはアメリカのグローバリストの言いなりになっています。こうした状態は独立国とは言えません。日本政府がグローバリストの要求に屈して、日本の農業、林業、水資源までも売り渡そうとしているのも、主体的選択肢を自ら放棄しているが故に彼らの要求に逆らえないからです。
── 日米地位協定によって日本の主権は踏みにじられています。
荒谷 まさに治外法権を明文化しているのが、地位協定です。日本との講和交渉のために来日した国務省顧問ジョン・フォスター・ダレスは、一九五一年一月に「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか」と語っていました。このダレスの言葉に象徴されるように、アメリカは日本のどこにでも基地を置くことができるのです。
 わが国は、ロシアとの間で北方領土問題を抱えていますが、日本政府は「北方領土には米軍基地を置かない」と約束することさえできないということです。これが、領土問題の解決を妨げている大きな理由です。つまり、日米地位協定によって、わが国の主体的な外交が阻害されています。わが国は主権国家ではないということです。

守るべきものは「日米安保体制を基軸とする戦後憲法体制」ではない


── 東西冷戦の終結、ソ連邦の崩壊は、日米安保条約を見直し、わが国が自主防衛に転換する好機でした。しかし、わが国はそれを活かすことができませんでした。
荒谷 世界各国は、冷戦終結とソ連邦崩壊を受けて、軍の任務を見直しました。例えば、ドイツでは五十二万人体制から三十七万人体制への兵員削減や徴兵制度見直しなどにより、 新世界秩序構築のための安定化任務に適合した少数精鋭のプロフェッショナルな軍隊へと転換を図りました。しかし、わが国は国際環境の変化に対応した戦略の見直しも行わず、自主防衛への転換の意志も示そうとはしませんでした。
 冷戦終結によって、アメリカの対ソ封じ込め政策は終結し、日米同盟の存在意義も消滅したはずです。しかし、冷戦終結によって世界の構造がどう変化するのかをまともに議論しないまま、わが国は日米同盟にしがみついたということです。
 冷戦終結によって、対ソ戦略上の日米同盟の存在意義がなくなったにもかかわらず、アメリカがその存続を望んだのは、日米地位協定をはじめとする日本における既得権を維持し、冷戦時代に稼がせた日本の資産をすべて収奪しようと考えたからでしょう。
 一方、わが国は「日米同盟は永遠に不滅だ」「日米同盟がなくては日本の安全は保障できない」などという無思考・無作為に陥り、日米安保をそのまま存続させたのです。対米従属によって利益を享受してきた人たちの「既得権」が優先されたのかもしれません。
 もともと、アメリカの初期対日占領政策は日本弱体化政策でしたが、東西冷戦の勃発に直面したアメリカは、グローバリストのシンクタンク外交問題評議会の刊行誌「フォーリン・アフェアーズ」に掲載したジョージ・ケナンの「X論文」の主張に沿ったかたちで、日本の経済復興、再軍備政策に転換しました。日本の再軍備の経緯を振り返ると、日本政府が自発的に軍事力を再構築しようという意図を持った形跡は全くありません。
 一九五〇年六月の朝鮮戦争勃発を受け、日本はマッカーサー書簡によって、陸上自衛隊の前身となる警察予備隊の設置を告げられました。そして、ポツダム勅令を根拠に国会の議論も一切ないまま、再軍備が開始されたのです。戦前に駐米大使を務めた野村吉三郎はアメリカの意図をくんで、海上自衛隊の前身である海上警備隊の創設を日本政府に働きかけました。海上警備隊は米軍の一部として創設されたのです。サンフランシスコ講和条約後には、米軍の提案によって航空自衛隊ができました。
 つまり、日本の再軍備・防衛体制は、すべてアメリカの要請によって進められてきたということです。日本占領は七年間で終わり、GHQは解体されましたが、彼らはワシントンに引っ越して日本占領を続けたということです。
 日米安保は対ソ封じ込め戦略に基づくものでしたが、同時に日本を抑える意味もありました。例えば、一九九〇年に在沖縄アメリカ海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール少将は、「アメリカ軍が日本から撤退すれば、既に強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。我々は 『瓶のふた』 のようなものだ」と発言しています。北大西洋条約機構(NATO)にも、対ソ封じ込めと同時にドイツを抑える意味がありました。
 野村吉三郎が米海軍のプラット提督に宛てた書簡には、「新憲法は無血革命と言えるかもしれない」と書かれていました。日本人の中には、マッカーサーによる占領を有難がり、マッカーサーがアメリカに帰国することを非常に残念がった人もいました。彼らは、占領体制の継続を渇望していたのでしょう。こうした人たちが守りたいのは、伝統的な日本ではなく、マッカーサーの無血革命によって作られた社会なのです。つまり、彼らの言う「国防」とは、日米安保体制を基軸とする戦後憲法体制を守ることなのです。

グローバリズムを守ろうとする「保守派」


── 「保守」と呼ばれる人たちも、守るべきものが何かを見失っています。
荒谷 三島由紀夫が『文化防衛論』を著したのは、本来の守るべき日本を明らかにするためでした。日本人が守るべきものは、日本の歴史、文化、伝統です。その歴史、文化、伝統を破壊してきたのが、グローバリゼーションなのです。「守るべき日本」を浸食してきた最大の脅威は、アメリカであり、市場であることに、早く日本人は気づくべきです。それに気づきさえすれば、なぜ日本がアメリカから自立しなければならないかが理解できるはずです。
 かつて、日本は英米が主導するグローバリズムと戦い、アジア諸国をグローバリズムから解放しました。しかし、終戦後の七年間に及ぶ米軍占領下に、日本はグローバリゼーションの側の手先と化してしまったのです。自分たちが何を守ろうとしていたのか、自分たちが何と戦っていたのかを完全に忘れてしまい、日本人が命をかけて守ろうとしていたものを日本人自らが破壊しているのです。まさに戦後体制とはグローバリズムであり、いまや「保守」と呼ばれる人たちまでが、グローバリズムを守る側に立っているということです。
── 守るべき日本が見えなくなっているのは、日本人が国体観を喪失してしまったからだと思います。
荒谷 日本人が国体観を取り戻せば 現在の日本が本来の姿ではないことがわかります。
 上皇陛下が、平成三十年八月八日、ご在位中に渙発したお言葉(みことのり)には、「国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」とありました。
 畏れ多くも上皇陛下は、こうしたわかりやすい言葉によって、現在の日本国民に、「しろしめす」ということを説明されたのだと思います。「しろしめす」とは、人々の心情を御知りになるということです。そして、その人々が祖先から継承する伝統文化を尊重し、人々の弥栄のために、天皇は一日も欠かすことなく朝に夕に全身全霊で祈りを奉げられるのです。そのような
天皇に感謝し、大御心に少しでもお応えしようとする国民が、一体となって国を築いているのが、日本の本来の姿なのです。日本国民は、自ら生きる土地と伝統的共同体を地道に支え、自らが日本文化そのものになって生きていくことが大事なのです。そのことによって、天皇のしろしめす大御心と国民の思いが一つになり、守るべき日本自体が顕現されるのです。
── 公教育によって国体観を回復することはできるでしょうか。
荒谷 歴史を振り返ると、国体観を取り戻す上で重要な役割を果たしてきたのは、私塾だったと思います。特に幕末の志士たちは、志のある師のもとに集まって学び、日本のあるべき姿に目覚めました。現代においても、学校で学ぶよりも、志ある師に学ぶことの方がよほど重要なことを学べるのではないでしょうか。

中国にはわが国を占有する能力はない

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