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鈴木宣弘「日本でも餓死者が出る」(『維新と興亜』第12号、令和4年4月)

ウクライナ危機の陰で日本に飢餓が発生する?


── ウクライナ危機が起こったことにより、食料価格の高騰が起こっています。
鈴木 ウクライナ紛争で浮き彫りになったのは、食べる物を自国で賄えるようにしておかないと、いざという時に我々は生きていけないということです。この基本を今一度確認すべきです。特にウクライナ紛争前から中国の爆買いがだんだん始まって、小麦もトウモロコシも大豆も値上がりして、しかも中国の方が高い値段で大量に買う力がありますので日本は買い負けるという状況が起こっています。穀物だけではなくて肉類や海産物に至るまで、日本はすでに「お金を出せば買えるから輸入先をちゃんと見つけておけばいい」などという議論は成り立たないんだということをわからなければいけません。そういう時代がすでにウクライナ紛争の前から生じてきていて、特に今回それが危機的状況になったという印象です。
 さらに、生産資材に至ってはより危機的な状況です。例えば化学肥料の原料であるカリとリンは日本には鉱物資源が不足しているため100%輸入に頼っています。日本は中国からかなり買っていたんですが、中国が輸出を抑制し始めて値段が上がり始めていたところにウクライナ紛争が発生し、カリやリンはロシアとベラルーシが中国と並ぶ大生産国なので状況がさらに深刻化しております。今年の分は何とか確保できているけど来年はわからないという状況に陥ってしまっています。このままではまさに餓死者が出るような食料危機が発生しかねない状況です。
── そのような危機的な状況に対して政府はどのような対応を取っているのでしょうか。
鈴木 まさに現在起っているのは食料危機なんです。生産資材も入ってこない状況で我々が生きていくにはどうしたらいいのかという議論を始めなければいけません。
 ところが政府にはその危機感がまったくありません。岸田総理の施政方針演説では、「経済安全保障」と言いながら「食料安全保障」という言葉は一度も出てきません。「食料自給率」という言葉すら出てきません。国会の議論でもそうした話はあがってきていません。この期に及んで「食料自給率」や「国内生産振興」という言葉すら出てこないということは異常な事態と言わざるをえません。政府はいまだに「どこか外国から買ってくればよい」という認識でいます。新たな調達先をどう確保するかという議論にしかなっていない状況です。さらにひどいことには「もっと貿易自由化を進めていけば、さらに買い先が増えるのではないか」と言い出す始末です。貿易自由化を進めすぎたことで国内の生産を犠牲にして、製造業の輸出は増えたかもしれないが農業は衰退しているという状況を招いているのに、それをさらに貿易自由化を進めればなんとかなるというような、全然本質的な議論ができていないのが現状だということです。
 さらに財務省が、減反政策でコメを作らせない代わりに野菜を作ったり麦を作ったり大豆を作ったりといった転作を支援する活用交付金をカットすると言い始めた。いまこそ食料危機を乗り越えられるように頑張っていかなければならない状況だというのに交付金をカットするなど何を言っているんだ、と全国の農家も蜂の巣をつついたような騒ぎになっています。
 財務省はこの期に及んで歳出削減したいということしか頭にありませんが、そこには「国民を守る」という国家戦略がかけらもありません。まさに「今だけカネだけ自分だけ」の人達です。そのバックにはアメリカの穀物商社や巨大企業の利益があって、それと結びついた政治、行政、マスコミ、研究者が国を危うくしているという恐るべき状況です。

安全保障としての農業保護を行え!


── このような危機的状況にどう対応していけばよいのでしょうか。
鈴木 飢餓などの不測の事態が起こらないよう、たとえどんなにコストがかかろうとも国内で農作物などを作るのを奨励することです。「国内で作るのはコストがかかるから輸入すればいい」というものではありません。有事のために備えるコストというのは莫大にかかってもしょうがないんです。そうでなければ国民は守れません。短期的にはコストがかかりますが、もし飢餓が発生してしまえば大変な社会的損失ですから、経済ベースで考えても普段からちゃんとお金をかけて命を守るための生産を維持しなければならないのです。その点では軍事的安全保障の考え方と一緒です。
 化学肥料にしても、たしかに鉱石の生産国は外国で国内の自給は難しいですが、そもそも化学肥料を使うこと自体が問題なのではないかという議論もあります。江戸時代のわが国の農業はまさに完璧な循環型社会をつくっており、幕末頃の肥料学の世界的な第一人者であったリービッヒという人が、江戸時代の日本の農業は凄いと述べています。「日本の農業は土に自然資源を入れてそれをまた糞尿で出し、それをまた入れて全てを使うという循環農業の究極の姿だ」と絶賛しているのです。江戸時代と現在では時代状況がまったく違いますが、自然の摂理に従って生態系の力を最大限に発揮し、できるだけ自国の資源で全てを賄うということはやろうと思えばできるんです。早急にそちらに向けて舵を切る必要があります。高村光太郎が「食うものだけは自給したい。これなくして真の独立はない」と言っていますが、まさにその通りです。

GHQに食糧生産も自国の食文化も奪われた

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