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サヨナラだけが人生だ

あの透明なコーラ。
なんていう名前だっけ?

クイズ番組に出ていた白髪の男性がCMをして流行ったやつ。


ぜんぜん、出てこない。ここまでも、そこまでも出てこない。
けれど、インターネットで調べるということは極力しない。


できるだけ文明の利器の力は借りない。
自分の記憶と対決するゲームの始まり。


ほら、銀色の缶で、実家の近所の新宅商店に入った時には感動したでしょ?

飲んだら大しておいしくはなかったけれど、流行りに乗って、「割と好き」と言ってみたりしてたでしょ。

実際、こんなことを考えたり、思い出そうとしているときは、なかなか出てこないもんだ。

ふとした瞬間だ。ご飯が炊けて、へらを差し入れる瞬間などに、

「タブクリア。」

何かの啓示のように、頭に浮かぶ正解ワード。

おう、それそれ!という自己満足だけで終わってしまうが、満たされる瞬間。日常生活の小さな幸せだ。


ただし、仕事の時はそうはいかない、

この場合、思い出すというより、言い回しの工夫が効かない。

最近は特に感じる。語彙のストックが数えられるぐらいの乏しさだ。


「だめだ。本を読もう」と思うが、思っただけで終わってしまうのが、凡人の凡人たる理由だ。


そして、そろそろ、年齢のせいにし始めるのだ。

ああ、いやだ。


このごろは出会いより、別れの方が多くなってきた。

というより、いつのまにか別れていることが多い。

人もモノも。

そう、いつのまにか。

タブクリアなんて、いつ無くなって、なぜ思い出したのかもわからないけれど。
なんとなくそんな感じ。


そんなことを思いながら、先日、台風情報を見ていたとき、〝台風の目〟なる動画がSNSに表示された。


コメントでは、多くの人が新鮮な驚きを書いている。

九州の知人は大丈夫かなと、ぼけっと見ていると、なぜだか既視感。


その動画は数年前のものだった。


虚無感というか、時間だけ使って何も得ていないというか。

忙しさとそれの繰り返しの毎日を過ごす。

話を聞けば周りの友人なんかもそんなもん。



でも、田舎の小さな店に初めて入荷したタブクリア。

あの輝き。

あんな感動をもう一度。
自分は味わいたいし、周りの人たちに感じてもらえたら最高。


そう思い直して仕事をする毎日。


今年もいつのまにか、残り3か月ちょっと。

新聞社はもうそろそろ新年号の準備が始まります。




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