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世紀の大声~エンリコ・カルーソー

 毎日どこでもここでも腹立たしいニュースや新聞記事ばかりで気がくさくさする。酒なんか飲んだって気はちっとも晴れやしない。気が鬱している時は大声でワッハッハと高笑いするとすっきりするそうだが、今どきは家の中でも屋外でも、そんなことをすれば119番に通報されかねない息苦しい世の中である。

 その代わりと言っては何だが、その声をきくだけで気が晴れ晴れとする歌手というのが世の中には何人かいる。たとえば植木等さんや春日八郎さんの歌声をきくと、どんなに気持ちが腐り切ってしまうような嫌な話も、いや~馬鹿だねえワッハッハッと笑い飛ばせる気分になるのは私だけではあるまい。二十世紀初頭を代表する――というより、オペラ歌手の代名詞と言うべき大テノール、エンリコ・カルーソーも私にとってはそういう歌手である。

 私はクラシック音楽のマニアだが昔からひどいオペラ音痴で、歌手の声の良し悪しや上手い下手はどうにかわかるにせよ、誰の何がどういいのかがさっぱりわからない。通してきいたことのあるオペラは生涯に三つあったかなかったか、三大テノールの顔と声も一致しないし、世紀の歌姫マリア・カラスの声さえ思い出せないほどだから、オペラ好き、歌好きから見れば実に救われない哀れな人間なのだが、カルーソー、メルバ、シャリアピンといった二十世紀の ”偉人” クラスの歌手になればさすがに大したもので、私のようなオペラ音痴でさえその歌声には陶然と酔うことができる。中でもカルーソーは、今日みたいな気分の時には取り分けききたくなる歌手である。

 カルーソーはその美声のみならず、超人的な大声で名声を博した。その大音声(だいおんじょう)でミラノ・スカラ座の窓ガラスが割れたという伝説もある。今では貧しい録音できくことしかできないが、それでもこの声がどれほど「大きな」空間を占めることのできる声かはよくわかる。ただ物理的に大きいのではない。ひとりの人間が占めることのできる空間の ”大きさ” である。その大きさがきく者を驚かせ、感嘆させ、気分爽快にさせてくれるのだ。

 そんなわけで、私同様、このところ気分がくさくさしてどうもいけねえや、という方にカルーソーの ”大声” をお届けしたい。ひとつはヴェルディの《リゴレット》から有名な「ラ・ドンナ・エ・モビレ」。1908年の録音だから何と111年前のもの。もうひとつはナポリ民謡のお馴染み「サンタ・ルチア」で、1917年録音。だが、こんな雑音だらけの百年前の録音からでも、カルーソーの ”世紀の大声” は何と、凛凛、朗々と響き渡ることか。どうぞ、ご一聴あれ。

◆音源へのリンクはこちら:
ラ・ドンナ・エ・モビレ 
サンタ・ルチア  

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