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極北のブルックナー

 クナッパーツブッシュのブルックナー8番と言えば1963年にミュンヘン・フィルと組んで録音したウェストミンスター盤が天下周知の名演だが、これはバイエルン州立管弦楽団を振った1955年ミュンヘンでのライブ演奏。クナが最晩年に達した融通無碍の境地を示した1963年盤に私は最大限の敬意を払っているが、バイエルン州立管との本演奏こそは、この老巨匠がブルックナーの第8交響曲という奇怪、異様なエニグマに真っ直ぐに突き入り、その深奥に踏み込んだ稀有な記録であると私は思っている。

 これは普通の意味での「いい演奏」では到底ない。厳しいというよりただぶっきらぼうで無造作なだけではないかと思える音楽の運びに、最初は戸惑う。が、やがてブルックナーの生き霊がそこら中でうめき声を挙げ、咆哮し、憤怒を爆発させるかと思えば喜悦の涙にむせび、哄笑し、薄気味悪い鼻歌を歌いだす様に慄然とし、呆然となる。これはまるで冥界からきこえてくる喜遊曲だ。巨大な異形の精神が全裸で嬉々として踊っている。そして、この異様な幻想世界に真正面から対峙する、クナッパーツブッシュのすさまじい気迫がひしひしと骨身に響いてくるのを息を詰めてこらえるような時間がいつまでも続いた末に、雪崩か地滑りのような終楽章コーダを迎える。感動?そんなものはない。終わりのない戦慄から解放された虚脱感だけだ。

 この曲の名演はあまたあり、いずれも雄大、壮麗な大交響楽として聴衆を満足させてくれるものだ。中でもシューリヒトとヴィーン・フィルの1963年録音、カラヤンとヴィーン・フィルの1988年録音がスタンダードな名演として誰にでもお薦めできる。が、同曲のスコアに初めて目を通し、「演奏不可能」とブルックナーに告げた指揮者ヘルマン・レヴィの巨大な困惑と恐怖感を身に染みて実感させてくれたのは、チェリビダッケとミュンヘン・フィルによる1990年の来日公演と、このクナ/バイエルンのライブ録音だけだ。一聴全く対照的だが、いずれもまさに《極北》の演奏。愉しみやカタルシスを求めてきいてはいけない。


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