見出し画像

ロウ・イエ監督『ふたりの人魚』と『スプリング・フィーバー』を見て思考の迷宮をさまよう

外出自粛が続いて不便ではあるものの、アルコール消毒や手洗いになれてくるとそれほど窮屈さを感じなくなってきた今日このごろです。東京の状況は予断を許さないのでとりあえず5月末まではこんな状況かなと思いつつ、今日も家で映画を見ています。

さて、UPLINKの60本(以上)見放題、全部見ると言ってやっと半分の30本までたどり着きました。今日は26本目と27本目、ロウ・イエ監督の2本『ふたりの人魚』と『スプリング・フィーバー』です。

かなり難しく、しかも暗く閉塞感のある映画なので「ぜひ見て」とは言いません。でも、2000年代の中国の若者のリアルが描かれていて、感じる人は感じると思うので、なにか引っかかった人はぜひ見てほしいですね。映画という表現の深みにも触れることができると思います。

現実が現実と思えなくなる感覚

さて、2000年の作品『ふたりの人魚』は、主人公の男が語る創作のはずの話の登場人物が現実に入り込んでくるという話。その男の恋人と話の中の女性が全く同じ顔(男が自分の恋人をモデルに考えた話だから当然ですが)で、それをいまや大女優となったジョウ・シュンが演じています。

この映画から感じられるのは誰もが感じたことがあるであろう「現実が現実と思えなくなる感覚」で、そのざらっとした手触りがなんともいいです。

もう少し詳しい記事はこちらで。


存在しなくなってしまった愛を求め続ける人々

2本目『スプリング・フィーバー』は2009年の作品で、この間にある『天安門、恋人たち』という作品で製作禁止処分を受けたロウ・イエ監督がゲリラ的に撮影した作品です。そのせいか画面も暗く、台詞も少ないので、登場人物の誰が誰なのか、一体何を描いているのかもわからないのですが、不思議なもので中盤辺りになってくるとぐっと物語に引き込まれていきます。

そのあたりの解説はこちらで詳しく書いたので興味のある方はお読みください。

こちらの作品も、当時の中国ではタブーだった同性愛を描いているということもあって、公開中止になったそうです。公開中止になることがわかっていながら同性愛を描いたのは、おそらくセクシャリティや価値観に関わりのない普遍的ななにかをつかもうとしたからだと思います。

そして、その普遍的な何かとは愛で、でもこの映画が描いているのは「愛の不在」。愛が存在しなくなってしまった状況で愛を求める人々を描くというなんとも重苦しい感じがリアルでいやなんかすごいなと思いました。

人間を深堀りすることが好きな人はぜひ見てほしいです。解釈は人それぞれだと思うので「言ってることぜんぜん違うな」と思うかもしれませんが、それもまた映画の面白さなのです。


どちらも見たあとかなり考え込んでしまいました。ロウ・イエ作品はあと3本あるので、ちょっと間を空けて見るための気力が溜まったらまた見たいと思います!

UPLINK 60本以上見放題リストはこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?