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三菱九六式艦上戦闘機 A5M1(1935)

 宮崎駿の映画「風立ちぬ」で、主人公が設計していた飛行機が「九試単座戦闘機」。後に制式採用されて「九六式艦上戦闘機」になった。モデルになった堀越二郎が、自分の設計した中でもっとも好きだったと語った飛行機である。世に知られている「零式艦上戦闘機」(零戦)は、この「九六式艦上戦闘機」の後継機になる。

 堀越二郎氏は、同じく東京帝国大学工学部航空学科を出た後輩で航空評論家の佐貫亦男氏に零戦の話を聞かれてても「いつの間にか九六艦戦(試作名九試単戦)の話につれてゆかれてしまう」と言われるほど、九六艦戦が好きだった。いや、正確には九試単戦が好きだったのだ。
「ゼロ戦があまりにも有名だったため、いまは玄人筋しか九六艦戦のことを知っていない。単なる航空マニアでは、九六艦戦が固定脚と開放座席(九六式二号二型は密閉座席であったが、空戦で後方視界を悪くするというので中止)であるために軽く見て、せいぜい流麗な主翼平面図形や、長い操縦者頭かけから垂直安定板へつながる縦びれくらいにしか眼を向けてくれない。
 ところが堀越さんからいわせると、この九試単戦こそゼロ戦への道を切開いた突破口であると、感慨深いものがあるようだ。また、この設計者に存分に腕を振るわせた海軍の仕様書の出し方もりっぱであった。すなわち、九試艦戦ではなく九試単戦として、艦載機としての拘束を外して、ただひたすら戦闘機としての性能向上に努力させた。」(「続ヒコーキの心」、佐貫亦男)

 九試単戦としての初飛行は、昭和10年(1935)である。試作要求は昭和9年だから九試となるのだが、その仕様書で要求された性能をはるかに超えていた。最高速度190ノット(352km/h,3000m)を超えることという要求に対して243.5ノット(451km/h)を出した。また、上昇能力は5,000mを6分30秒内に超えることという要求に対して、5分54秒で5,000mに達した。設計における最大の特徴は翼端失速をふせぐ「ねじり下げ」を戦闘機として初めて用いたことである。また、主翼外形は美しい曲線の楕円翼とし、国産実用機として初めてフラップを採用した。徹底的な軽量構造を追求し、枕頭鋲を採用した結果、設計者の予想以上の高速になってしまう。堀越氏は220ノット(407km/h)を試算していたのに13%オーバーのスピードになったのだ。

 九六艦戦として制式化されたが、逆ガルタイプの主翼は試作2号機から廃止されてしまう。日中戦争でデビューするが、中国軍の戦闘機を圧倒する高速性と空戦性能であった。戦線が広範囲になり、航続距離が課題となる。そのため、後継機零戦には長距離の航続性能が付加されることになった。太平洋戦争が始まる頃には、他国の戦闘機が高速性を増しており、後継機の零戦と代替することになる。しかし、当初は零戦が間に合わず。太平洋戦争初期には前線に配備されていた。その後は、練習航空隊で零戦の前の練習戦闘機として多くの搭乗員を育てることになる。

<A5M1>
全長 11.0m
全幅 7.71m
全備重量 1,075 kg
発動機 中島寿2型 460馬力
最高速度 405km/h
武装 7.7mm機銃×2
爆装 30kg爆弾2発 または 50kg爆弾1発

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