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中島 艦上偵察機「彩雲」C6N1(1944)

 広い太平洋を戦場とした日本海軍にとって、高速で広範囲を偵察する艦上偵察機が必要になり開発された。高速と航続距離と航空母艦に収納という条件に特化した設計がなされた。航空母艦から短距離発進するための大きなプロペラや前縁スラットと親子式ファウラーフラップ、指定された『誉』エンジンの幅ぎりぎりに絞られた細い胴体、高速化をねらった層流翼、エレベーター幅ぎりぎりまでに収められた尾翼形状などに特徴がある。また、偵察員と無線員と操縦員と搭乗員を三人にすることで機上要務の効率性を向上させた。

 1942年に中島飛行機で開発が開始、1944年に制式採用となった。しかし、彩雲を配置する航空母艦が失われてしまっていたため、1機も航空母艦で使われることなく全てが陸上基地での運用となった。高高度性能と高速性は評価が高く、グラマンF6F戦闘機と遭遇しても逃げ切ったときのエピソード「ワレニオイツクグラマンナシ」が有名である。量産機で610km/h程度が出たというが、戦後アメリカでオクタン化の高い燃料で計測すると694.5km/hで日本海軍実用機最高速度をマークしている。

 渡辺洋二氏は、『空の技術』(渡辺洋二、光人社)の中で実戦部隊で600 km/h程度の速度ではもはや高速とは言えなかった。F4UやP-51には捕捉されてしまう速度だった。敵戦闘機に食われてしまった機も多かったと厳しい意見を述べている。

 戦争末期に対戦闘機戦を専門として編成された第343航空隊は、紫電改による戦闘301隊、戦闘407隊、戦闘701隊と彩雲の偵察第4隊で編成された。また、高高度性能を活かしてB-29を迎撃するために30mmの大口径斜銃を搭載した機体も開発された。さらに高性能をねらって排気タービン過給器装備の『彩雲改』も1機試作された。


<彩雲11型C6N1>
全長 11.15m
全幅 12.50m
全備重量 4,500kg
発動機 誉21型(2,000ph)
最高速度 609km/h(6,000m)
航続距離 5,300km
武装 7.7mm機銃
乗員 3名

> 軍用機図譜

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