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杉田庄一ノート6:昭和18年4月18日〜海軍甲事件2(陸攻撃墜される)

4月18日
 6時、一式陸攻2機と護衛の零戦6機はラバウル基地を飛び立った。行程約350浬(約600km)だが、ブーゲンビル島およびショートランド諸島の制空権はまだ日本にある。ブーゲンビル島でも敵機の空襲はあったが、それはいつも夜間か、単独または数機による高高度からの水平爆撃であり、戦闘機だけが単独で襲撃することは「通常」考えられなかった。アメリカ軍の陸上戦闘機が飛来するにはガダルカナル島基地から遠距離すぎる。近海にいるアメリカ海軍空母の情報はなく、海軍機による飛来も考えられない。2時間弱の距離であるが、「通常」であれば敵に襲われる心配はほとんどない。しかも快晴である。比較的楽な飛行が予想された。しかし、護衛戦闘機6機の中で一番ベテランである日高上飛曹は、やや疑念を抱く。

 『六機の護衛戦闘機』では次のように記述されている。「もっともベテランであり、この日の第二小隊長であった日高義巳上飛曹は、そのことをよく承知していた。しかも、ラバウルからバラレまでの飛行は、東南方に向けて飛ぶこととなるので、午前中は、太陽に向かって飛行する結果となり、護衛戦闘機にとっては、非常に不利な、神経のいる飛行であった。緊急やむをえない場合ならともかく、長官の巡視飛行であるならば、安全を第一と考えるべきであり、こうした現場の実状を、艦隊司令部はよく認識した上で、今日のこのだいじな巡視計画を立案してくれたのかどうかと、腹立たしく思えてくるほど、その日の前方の視界はまばゆかった。」
 実際にこの言葉を日高が言ったかどうかは定かではないが、ベテランの日高であればこそ、そう言わせるような合理性と計画の杜撰さが前述のように存在した。
 午前7時過ぎ、一行の前にブーゲンビル島が水平線上に姿をあらわす。「辻野上一飛曹が、森崎機に接近して前方をゆびさし、自分の腹をゆびさした。『腹が減った』というサインらしい。森崎中尉は拳を振り上げなぐるまねをする。柳谷飛兵長は、美しい海と空に見とれていた。何度も飛んで通い慣れたブイン街道であるが、ことさら美しく感じた。『・・・今にして思えば、あのとき、なぜそう感じられたのか、ふしぎな気がしますね』」とただ一人戦後まで生き延びた柳谷の述懐である。まさか敵が来るとは思っておらず、おだやかで安穏とした飛行でそのままバラレに着くはずだった。バラレの基地でも出迎えの準備をしていた。

  『零戦隊長』(神立尚紀、光人社)の中に編隊編成についての柳谷飛長の談話が紹介されている。
 「一番機の左後ろに二番機がつくのが普通だが、長官機の右後ろに二番機(参謀長機)がついていたと思う。その右後ろに、零戦は三機、三機でついた。敵機がもし来るとすれば海側からなので、海側を警戒していたということ。」

 7時20分、六機は高度2500メートルを保ち、バラレへ向けてブーゲンビル島の樹海に近づいていく。もうすぐこの重苦しい任務も終わる。計画では、7時45分にバラレに到着する予定である。敵機は現れなかったという安堵感とあと数分このまま無事にすぎて欲しいという思いが皆の心によぎる。もうすぐこの重苦しい任務も終わる・・・。

 7時25分、二機の陸攻機は樹海上空を、編隊を組んだまま高度を下げ始める。低空で進むことにより敵機からの攻撃を受けにくくするためである。下からの攻撃は防げるし、上空からはねらいにくくなる。はたして敵機が後方約1500mの高度に現れる。四機のロッキードP38双発双胴の戦闘機である。さらに上空高度6000m付近にも多数のP38が直掩しているのが見えた。待ち伏せにあったのだ。


 アメリカ軍はP38を二つの隊に分けていた。一つは、ヤマモト司令長官をねらうキラー隊でランフィア大尉を小隊長とする四機編隊である。もう一隊は、ブイン基地から迎撃に来るであろう多数の零戦部隊を迎え撃ちキラー隊の邪魔をさせない直掩隊だ。アメリカ軍は暗号の解読で護衛機が六機であることを知っており、ジャングルに紛れるように1500mの高度で四機のキラー隊を待機させ、十二機の直掩隊は高度6000mで待機した。ブイン基地には多数の零戦がいてこれらに襲われたらひとたまりもないことを知っていた。おそらく山本を出迎えるため数十機の零戦が上空直掩をすると予想していた。だから主力P38をそのためにあて、キラー隊は零戦にかまわず陸攻を攻撃するという作戦だった、しかし、ブイン基地からは零戦は上がってきていない。そして、時間通りにヤマモト司令長官を乗せた一式陸攻は2500mの高度でやってきたのだ。


 敵機の出現に陸攻一番機も気付き、直ぐに機首を下げて樹海の上空50mまで降下した。ブイン基地まで5〜60kmの距離であった。
 しかし、山本達の乗った陸攻機が迎撃されるまでそう時間はかからなかった。一番機は右方向へ、二番機は左へと逃げた。しかし、一番機は銃撃に火炎をあげて樹海に突っ込んだ。二番機も炎を弾きながらモイラ岬付近の海上に不時着水し転覆した。5分あまりのできごとであった。


 実際の戦闘はどのように行われたのだろうか。『六機の護衛戦闘機』では次のように書かれている。「日高機とその列機は、ふたたび上昇に移った。見ると、敵もすでにわれを発見しているらしく、反転して増槽(補助燃料タンク)をすて、空戦の意図のあることを明らかにしてきた。この敵の戦闘機隊は、十二機と四機の二隊に分かれており、四機はランフィア大尉の指揮する山本機撃墜の特命を受けた攻撃隊、他の十二機は、ミッチェル少佐指揮の、その上空直掩隊であった。・・・」
 P38の行動半径は500マイルである。ガダルカナル島からブーゲンビル島までは、直線距離で300マイル以上あり、途中の島嶼郡には日本軍の緊急避難基地が置かれており直線飛行は難しいことが予想された。事実上の制空権は日本側にあったのだ。油断がそこに生まれたわけだが、アメリカ軍にとっても迂回航路の半径は435マイルと予想され、ブーゲンビル上空で待ち伏せしている時間は30分ほどに限られていた。山本らの行動が暗号電文のように時間通りに進捗することが作戦成功の鍵をにぎっていた。そして、山本は、いや日本人はともいえるが、几帳面に時間通りに行動したのだ。その正確さがわずかのチャンスをアメリカ軍にもたらした。

 「六機の護衛戦闘機」で追ってみると、山本の乗った陸攻を撃墜したというランフィア大尉の手記を引用してその時の様子を次のように記述している。
「山本の一行は、かれらにいわせれば、かれらの計算どおりやってきた。つまり、日本時間の午前7時45分にバラレに到着する予定の2機の陸攻は、かれらのいうランデブー地点へ、午前7時35分に到着する予定であったが、わずかに1分だけ早く、現場の上空に姿を表したのであった。
 だが、それにもかかわらず、かれらの予想を、日本側がやぶった事実が、たった一つだけ存在する。それは次の一事であった。アメリカ軍諜報部とp38戦闘機隊の最初の予測では、山本長官とその幕僚たちの同情した”ベティ”(一式陸攻の米軍呼称)二機をまもるために、ラバウルおよびカヒリ(ブインのこと)の飛行場から<雲霞のごとき大群>となって集まるであろうと思われていた”ズィーク”(零戦の米軍呼称)の大集団が、この時刻に、現場の上空に見られなかった、という一事である。・・・・柳谷飛兵長は、そのときの状況を思いだしつつ、とつとつと語る。『われわれは、その日には、ひとりも死んでいません。だから、事件のあとで、そのときの模様を話し合いました。それによると、司令部からの命令がきたとき、当時、われわれの隊長であった宮野善次郎大尉が、ブインには零戦隊もいることだし、こっちからは二十機もつけてやろう、といわれたといいます。ところが、その返事を聞いた連合艦隊司令部から、いや、そんなにたくさんいらない。六機も出してくれればいいといってきたんだそうです。なにしろ、自分の家の庭の空みたいなところを飛ぶのに、そんなに多数の戦闘機を連れていかなくともよい、という考えだったではないでしょうかね。』」
・・・

 7時35分、「敵四機の一隊が右前方にまわりこんできた。これは、その最初の目的どおり、陸攻二機の前方を扼して攻撃を集中するためであった。森崎中尉は、この敵の行動を見て、いちはやく状況を察知するや、ただちに、右前方にまわりこんできつつある敵の一番機に向けて、後上方から突っ込んでいった。この敵の一番機がランフィア大尉機であり、かれは、森崎機の第一撃をたくみに回避すると、その追撃をふりきって、なおも前方へ前方へとまわりこんでいった。このときの模様を、ランフィア大尉自身がその手記の中で、つぎのように書いているが、『丸』誌に要約が紹介されている。
『くるか、ほんとうにくるか。目を皿のようにして、ぐるりと周囲を見た。白い雲、積雲以外にはなにも見えない。この高度だと、カヒリ(ブイン)の日本軍からは、こっちのほうが丸見えだ。背をぬらす冷たい汗にかわって、ひたいにあぶら汗が出てきた。三十三分、三十四分・・・。
「敵機だ! 怪物だ。トミイ(ランフィア大尉のこと)の十時の方向、上空っ」
沈黙をまもってきたラジオが封止をやぶり、カミングス(上空にいり十二機中の一機)の声が、私のレシーバーに、ガンガンとはねかえった。
 おお、きた。ついにきた。ときに一九四三年四月十八日、午前九時三十五分(現地時間。日本時間の七時三十五分)機械のように正確に、山本は定められた時刻に、定められた地点上空にその姿を現した。みごとな編隊である。葉巻のような一式陸攻二機にぴったりと寄りそうように六機の零戦が援護の位置についている。
 六千メートルの高度から、ミッチエル少佐(この日の敵戦闘機隊の指揮官)のひきいる十二機が、まっしぐらに降下にうつるのが見える。私は、把手をひいて落下増槽(補助燃料タンク)を落とした。つづいて列機のバーバー機も増槽をすてたらしい。増槽が、白い燃料の尾をひきながら、くるくる回って落ちてゆく。
 私は、つぎの二機のリーダーであるホームズ機を見た。だが、なんとしたことか、列機のハイン機が、すでに増槽をおとしているのに、ホームズ機はまだくっつけたままでいる。しようのないやつだ。が、よく見ると、ホームズは機内でなにかやっている。増槽がはなれないらしい。あわてて敵機のほうを見なおした。すると、護衛の零戦が増槽を落として上空から降ってくるところであった。かれらは、ミッチエル隊には目もくれずに自分たちの方に向かってくる。
 あわてて、もう一度、ホームズ機の方をふりかえると、恐怖に形相をゆがめたホームズと視線があった。だが、つぎの瞬間、ホームズ機は、ひらりとハーフロールをうち、海面めがけて降下し、逃げの態勢にはいった。ところが、列機のハイン機までがホームズ機にしたがって降下していくではないか。
 私の頭には、カッと血がのぼった。ホームズたちの失敗を責めているひまはない。私は歯を食いしばって、いまやジャングルすれすれに高度を下げつつあるベティ(一式陸攻)の一番機めがけて突っ込んだ。
 「トミイ、あぶない! うしろにゼロ三機!」
 レシーバーには、ミッチェル隊からの叫び声と、バーバーの声が入りまじった。その瞬間、ササーッと、私のまわりを白い曳航弾の束がすぎていった。横転、また横転・・・・私は避弾行動の連続だ。
 ちらっと後方に目をやってみたが、すでにバーバーまでもはぐれてしまっている。
 しかし、なんという幸運、眼前に屏風のように突っ立ったジャングルの上を、濃緑色の迷彩をほどこされた双発機が、すーっと横切ったではないか!
 私はぐいと機を引き起こした。もう後方の敵機も、危険も、かえりみてはいられない。私は、この敵機を照門に入れ、ドドドッと、二〇ミリのイスパノ機銃と、四門の十三ミリ機銃を発射した。すると、ベティ(一式陸攻)の一番機は、右のエンジンから、ばっと火をふいた。その火が、みるみる右翼に燃えひろがっていく。そして、ベティ(一式陸攻)は、そのまま沈むように、ジャングルの中にもぐりこんでいった。」

 ところが、『巨星「ヤマモト」を撃墜せよ!』を読むと、このランフィア大尉の証言が戦後論争になっていたことがわかる。ランフィア大尉は、キラー隊の隊長であり基地に帰着後に自分が山本機を落としたと報告する。だが、二番機のバーバーの証言とは食い違いがあり、さらに他のパイロットの証言を突き合わせてもランフィア大尉の報告に偽りがあることがのちになって判明する。しかも長い間、このことは公にならなかった。ランフィア大尉は、山本撃墜の名誉をもって政界に入り、いずれは大統領になりたいという野心が明らかになる。ランフィア大尉が戦場に赴いたこと自体、野心に満ちていたこともわかる。反攻にでようとしていた当時のアメリカ軍ではまだ報告の制度自体が整っておらず、ランフィアの「裏付けのない報告」が公式の報告となり、その後長く問題を引きずることになる。日本から柳谷を招いてその時の日本側の動きと突き合わせてみるとますますランフィアの証言の根拠があやふやであることが判明する。結局、アメリカ軍はバーバーとランフィアの協同の撃墜と認定するが、現場にいた関係者たちはランフィアの言っていることを信じてはいなかった。


 それではバーバーはどのようにして山本の乗った一式陸攻を撃墜したのか、またランフィアはどう主張したのか、『巨星「ヤマモト」を撃墜せよ!』の記述を追ってみる。キラー隊は、ランフィア一番機、バーバー二番機のペアで飛んでいる。また、ホームズ三番機、ハイン四番機がペアである。まずは、1945年9月12日から14日にニューヨーク・タイムズに載ったランフィアの話。
「私はヤマモトの編隊の正面へと斜めに進みながら、発見される前に少なくとも同高度に昇ろうと必死だった。ミッチェル少佐は、カヒリ(ブイン)からの日本戦闘機を求めて空中を見回しながら、ロケットのように上昇していくところだった。
 敵を確認してから、張りつめた二分間が過ぎたが、ミッチの隊も私の小隊も、日本機には見つかっていなかった。とはいえ、その二分間にホームズとハインを見失ってしまった。ホームズは増槽を投下できないと叫んでいた。彼は上昇を止め、海岸の方へと降下しながら、自分の機を揺らしたり降ったりして、狂ったようにタンクを振り落とそうとしていた。ハインはホームズの僚機だったので、つき随うことになっていたのである。
 バーバーと私はヤマモトの右二マイル、前方約一マイルのところまで来たが、護衛のゼロに見つかってしまった、彼らは無線で警告を叫んだに違いない。ゼロの胴体下タンクが投下されるのが見えたからだ。これは彼らが戦闘に入ろうとする兆しであり、そのまま一団となって機首を下げ、われわれの方へ、つまりレックスと私の方へと急降下してきた。
 互いの距離は急速に縮まった。ヤマモト編隊の海側を飛んでいた三機のゼロは、編隊とわれわれの間に割って入り、こちらがヤマモトの乗機に手が届かないうちに迎撃しようとしていた。
 そのすぐ後には、編隊の陸側にいたもう三機のゼロが来た。
 ホームズとハインは海岸の方へ降りて行って見えなくなり、ミッチのグループもやはり視野の外だった。彼らはスロットルを目一杯開けて、何よりも大きな戦闘になるに違いないと思われるもの、つまりカヒリ(ブイン)から来る日本軍の援護戦闘機の方に向かって上昇していくところだった。〈中略〉
 早く射とうと気が急くあまり、機首が正しく敵機の方を向く前に射ちはじめてしまった。敵機の翼内機銃から灰色の煙が見えたが、私は茫然と人ごとのように、奴の面に銃を向けるより先にあっちの銃弾にやられるんだろうかと考えていた。
 しかし、敵の方が私よりまだ射撃が下手で、そのために死ぬことになった。私の機銃と機関砲が敵機の主翼を切り裂いたのだ。敵機はすっかりと炎と煙につつまれて、下方をきりきり舞して行った。敵の僚機二機と私はすれ違い、二機の間に向かって数斉射ほど無駄弾を射ってしまった。そうしてからやっと、私は痛い目に会う前に仕事を片づけて退散する方が良さそうだと思ったのだった。
 機を背面に入れ、戦闘の爆撃機を捜した。敵機は陸地の奥の方へと降下していた。空中に逆吊りになりながら私が見た光景はこういうものだった。東の方向では空の青を背景にして一群の飛行機が飛び回っていた。ゼロの大群の中で、一機のライトニングが逆光になって見えた。あれはバーバーの機で、彼は彼で必死にやっていた。」

 ここまでの記述でもいくつか検証したいところがある。二機の一式陸攻の編隊とその後方やや上空に三機ずつ二編隊の零戦が追随しているところにランフィアとバーバーの二機、ホームズとハインの二機が低空から出現する。P38の四機も零戦も全力で一式陸攻に近づいていく。追いついてきた零戦とランフィアは「すれ違い」ざまに斉射によって零戦の主翼を切り裂き、背面飛行で爆撃機のあとを追うという行動をとる。「すれ違う」ということは、ランフィアは一式陸攻に追いつくよりも近寄ってきた零戦と戦うことを優先し、舵を一式陸攻から零戦側に変えたのだ。そして零戦を落としてから再び背面飛行から方向を一式陸攻の飛んでいた方向に戻したということだ。日本側の記録にあるように零戦は一機も失われていない。また、バーバーの記録ではランフィアが零戦の方に舵をきったのに追従せず、命令通り零戦にかまわず一式陸攻に向かっていき斉射をしている。その際、一時的に一式陸攻を追い越してしまい、横滑りをして機のスピードを落とし機が流れる中で斉射をして、それが右エンジンに命中する。この部分の記述はあとで引用する。結果的には、ランフィアが零戦にかまけているうちにバーバーが一式陸攻への攻撃をすませていたと考えられる。しかし、ランフィアの記録ではこのあとにとってかえして一式陸攻を発見し攻撃をしたことになっている。


「戦闘の興奮の中では、人間の目にはいろいろと不思議なことが起こる。数秒という短い時間の間に、私はレックス(バーバー)を見て、さっき射ち損なったゼロを見て、そして同時に樹上すれすれを動いていく一つの影を見たのだった。あれがヤマモトの爆撃機だ。その機はジャングルの上をかすめながらカヒリ(ブイン)に向かっていた。
 私は、その機の方へと急降下した。
 降下の途中で、スピードがつきすぎ、このままではヤマモトの機を追い越してしまいそうなのに気がついた。スロットルをもどし、操縦桿と方向舵ペダルを反対に動かして機を横滑りさせ、スピードを殺そうとした。
 私を射ちもらした二機のゼロがまた現われ、若干右寄りの角度からヤマモトの機に向かって降下してきた。私がヤマモトの機をやる前に、こちらをやってしまうつもりだ。私の位置から見ると、ヤマモト機と二機のゼロと、そして、私は、みんな同じ時に同じ場所に到達することになりそうだった。
 実際、ほとんどそうなるところだった。それからの三秒か四秒が生死の分かれ目だった。私は唐突なくらい急に、がっちりと心を固めて、せっかくここまで来たのだから、なんとか見事に一撃を見舞ってやろうと決めたことを憶えている。私は爆撃機の進路の真横、ほぼ九十度の角度から、しっかりと長い一連射を送った。
 ヤマモト機の右エンジンが、ついで右翼が炎につつまれた。これで私はあたえられた任務を達成したことになる。日本軍の飛行機は一度燃えはじめると、爆発すのでもないかぎり、火が消えることはないのだ。乗っている人間は脱出できない。」
 このあとランフィアは、山本の乗った一式陸攻の主翼が折れジャングルに突っ込んで爆発するのを確認し、ジャングルすれすれを低速で飛行する自機を立て直してミッチエル隊長に助けを求め、零戦を追い払ったということを書いている。映画のシナリオになりそうなランフィアの記述は、基地に戻った時の自身の報告(公式記録になった)に基づくものである。また、あとで大きな問題になるのであるが、この報告書では「ヤマモト」機を撃墜したと記載している。二機のうちどちらに山本が乗っていたのかはこの時点では不明なのにである。さらに、報告書を作成する前、ランフィアはガダルカナルの基地に戻ってくる途中で、無線で戦闘指揮所に「俺がヤマモトをやったぞ!俺があいつをやったんだ。」と興奮して話しており、基地に戻ってからも取り巻いてきた地上員たちに手を振りながら「俺がヤマモトをやったぞ」と叫んでいて、いっしょに作戦に従事していたパイロットたちが困惑したという。

 この記事はランフィアを有名にし、講演がたくさん舞い込むことになる。また他紙に掲載されるにつれ、だんだんと描写が派手になっていった。ランフィアは記事の中で「バーバーの方はそれほど運が良くなかった」と書いたが、バーバー自身の記述から追ってみる。


「ランフィアと私は、ベティ(一式陸攻)にほぼ九十度の角度から接近し、二機の爆撃機と少なくとも同高度に達しようとなおも上昇中だった。
 ベティは機首を下げ、目的地の飛行場の新入高度へと降下を始めるものと見えた。それまでのベティ右後方上空で、かなりの距離をとっていた三機のゼロも、急に反転するや急降下に入り、増槽を切り離した。明らかにわれわれは見つかったのだ。一瞬の後、左側の爆撃機編隊に近い方にいた、別の三機のゼロも反転した。
 右側のベティに近い三機のゼロは、どうやら間違いなくわれわれが射点に回りこうとするのと同じころにベティに追いついてきそうだった。そうなると、われわれは完全によい標的である。
 右に旋回してベティの後ろに回りこもうとする寸前、ランフィアは左に約九十度旋回し、やってくるゼロに後ろを取られず、爆撃機を攻撃する機会をもらったのだ。私がベティの後ろにつこうとして、右に大きくバンクする間、左翼とエンジンに短い間だが視界をさえぎられ、爆撃機の姿が二機とも見えなくなった。機を元に戻すと、前方にはベティは一機しかいなかった。それが先導機なのかどうかは判らなかった。
 そのときには、地上一千フィート以下にまできてしまっていたが、ベティは樹上すれすれにまで下りるつもりが、もう一度降下角を増した。こちらは旋回した結果、ベティのわずか左側、五十ヤードほど後方に来ていた。私は敵機の胴体越しに右のエンジンを狙って、射撃を開始した。エンジン・カウリングの破片が飛ぶのが見えた。機を横滑りさせて真後ろにつこうとしたとき、射線がベティの垂直尾翼を横切った。方向舵の一部が千切れた。私は右に向かいながら、なおも右エンジンに射撃をつづけた。敵機のエンジンはカウリングのまわりから濃い黒煙を吹きはじめた。私は狙いを主翼付け根から胴体、そして左エンジンへと、手前に移していった。」

 バーバーの記述からは、ランフィアが反転をして零戦に向かい、自分はそのまま一式陸攻に突っ込んで行ったことが示されている。地上近くまで追って行き五十ヤード近くまでせまったという。一ヤードは約90cmである。45mまでせまったということになる。一瞬だが一式陸攻を追い抜いてしまい、横滑りで機の速度をおとし、必死で逃げる一式陸攻をやりすごし、左側から再度せまって胴体越しに右エンジンを射ち、自分は右側に流しながら一式陸攻の左側へ射線をながしていったことがわかる。ランフィアのような派手さはないが着実に撃ち落とそうとした戦闘機の行動は自然だ。その後の様子を続ける。
 「このころにはべティの後方おそらく百フィート以内に近づき、ほとんど同高度になっていた。突然、ベティが左に急傾斜した。敵機が傾き、急激に速度を落としたため、もう少しでその右翼にぶつかりそうだった。追い越すときに、左肩越しにふり返ってみると、爆撃機は翼を垂直にまで傾け、右エンジンから黒煙を吐き出していた。敵機の墜落を見てはいないが、きっとこのベティはジャングルに墜ちたものと思っている。」

 バーバーは、ジャングルを抜け海岸に出るともう一機のベティを追っているホームズ中尉とハイン中尉の二機編隊を見つける。ベティの高度は低く、プロペラが海面に波だてていた。ホームズとハインは攻撃を行い、ホームズの射撃はベティの右エンジンを捉えた。バーバーも追いつき、右エンジンに射撃を加えると同時にベティは爆発する。爆発の中をバーバーの機は突っ切り、破片を右翼に浴びてターボチャージャーのインタークーラーが止まってしまう。すぐに護衛の零戦と遭遇する。ホームズは、その内の一機を撃墜し、ハインは右エンジンをやられて沖合へ向かっていく。バーバーも下方ににげようとした零戦を落とし、ハインを探すが見つからないまま帰途に着く。


 ホームズは、増槽が落とせなく、そのままでは戦闘に入れないと考えて、海の方にいったん退避し、機を急激にまわして増槽をはずそうとする。僚機のハインはホームズに追随する。なんとか海上で増槽を落とすことができて振り返る。


 「戦闘がどうなったか見定めるのは不可能だった。ランフィアとおぼしき誰かが、『三機のゼロに挟み込まれて、まっすぐに前にしか行きようがないんだ!』と叫んでいた。


 ちょうどそのとき、一機のベティが一直線に突っ込んできたて爆発した。混戦だったので、誰がこの機をやっつけたのかわからなかった。しかし、ランフィアはその前から助けを呼んでいたので、あの爆撃機を墜としたのはレックス・ハーバーの射撃なのだと思った。


 下を見ると、一機のP38がベティを追いかけながら、その機も三機のゼロに追われていた。レイン・ハインと私は、バレル・ロールを打って降下に入り、苦戦をしているそのライトニング(P38)のパイロットを助けようと、アリソン・エンジンのスロットルを一杯に開いた。


 取り囲まれているパイロットは、ランフィアではなくバーバーだった。ランフィアは見当たらなかった。後になって、ランフィアは三機のゼロに追いかけられて、カヒリ飛行場の近くにまで行ってしまい、ヤマモトを救おうと緊急発進するゼロの群れが巻き上げる土ぼこりに隠れて、やっとのことでゼロを振り切ったというを聞かされた。私は最初の攻撃から後、この戦闘中にはランフィアを見ていなかったのである。」


 ホームズはその後の動きについて次のように記している。「バーバーにつきまとっていた零戦を尾部からの一連射で爆発させ、その破片をかいくぐって、もう一機の零戦も尾部を破壊し炎上させた。護衛機を失った一式陸攻は海面を必死に逃げようとするが、P38の50口径砲と20ミリ機関砲の斉射でエンジンに被弾炎上して海面にあたり、破片をまきちらし沈んでいった」


 ところで。何度も確認していることだが零戦は一機も墜とされていないのである。空中戦の報告は常に「藪の中」なのである。しかし、上空から見ていたミッチェル隊長やそのほかの作戦従事者たちの意見からも、ランフィアは最初に零戦に立ち向かったことで一式陸攻への直接攻撃はできなかったとみるのが自然だ。山本の乗っていた一式陸攻はバーバーに。宇垣が乗っていた一式陸攻はホームズに撃墜されたと考えるのが自然だと思われる。そしてハインは、零戦に撃墜されてしまう。




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