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歳をとると歴史が身近になる

今年67歳になった。まだ自分の歳になれていないうちに、次の年齢を重ねていく、そんな思いをもつようになったのは40歳くらいの頃。その頃から、いくつになっても自分の年齢に驚く。だんだん自分の年齢に置いてけぼりになっているような気がするのだ。

 初めて会社員になったとき、年上の先輩がものすごく遠く離れた存在に見えた思いをいまだに鮮明に覚えている。今考えるとわずか数歳上だったのに。

 逆に歳をとると身近になってくるのが歴史上のできごとだ。昭和29年生まれなので、戦後たかだか9年しかたっていない。しかし、物心ついて父親から毎日のように聞かされた海軍の話は、遠い遠い大昔のできごとであり、切実感なんてまったくなかった。生まれる前のことなんか恐竜時代とさしてかわりはない。

 幼い時の時間のスケールは1メモリが小さいのだ。逆に60歳を超えて頃から歴史が身近になってきた。おそらく時間のスケールの1メモリが大きくなったのだろう。10年単位で考えることができる。10年前、20年前、30年前・・・と、語ることができる。10年単位のスケールが脳にできた。

 そして、そのスケールで考えると、たかが生まれる10年前、太平洋戦争中だった。そう思うと急に戦争のできごとが身近に思えてくる。切実感ができてきたんだろう。その時の親父は18歳だった。今の自分は67歳だ。不思議な思いにかられる。

 自分が生まれてから67年たったのだが、生まれる前の67年間に何があったのだろうかと思いをはせてみて愕然とした。自分の年齢のスケールを生まれた年で折り返してみようということだ。67歳の自分が生まれた年から67年前は、なんと明治20年(1880年)だ。明治20年は、ようやく明治政府が落ち着きそろそろ憲法制定という話が出てきた頃。まだ日清戦争も日露戦争も起きていない。日本の近代史として勉強したことのたいがいがその中におさまってしまう。

 歳をとると歴史が身近になってくるという話。


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