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杉田庄一ノート98 「戦艦大和ノ最期」(吉田満)大和に攻撃された杉田区隊?

『戦艦大和ノ最期』は、戦争文学の至宝ともいうべき名著である。詳細は別のnoteに書いている。

その中に、沖縄へ出撃する前に呉上空を紹介する紫電を誤射したという記述が以下のようにある。
「艦隊上空ニ小編隊ノ機影 前方ヲ遮ル如ク通過ス
各艦発砲、一機ヲ撃墜ト同時ニ、全機急降下ノ緊急味方識別表示ヲ行ウ 松山航空隊ヨリ飛来セル『紫電』ヲ『グラマン』ト誤認セルナリ
航空隊司令ヨリノ厳重抗議ニ対シ、艦隊司令長官名ニテ返電ス 『警戒航行隊形ニアル艦隊針路ニ無断侵入スル航空機ハ、敵味方ヲ問ワズ、全機撃墜ガ当然ナリ」

紫電とグラマンを誤認するくらいなので「紫電」も「紫電改」も区別はつかないと思うし、その頃は三四三空の搭乗員たちも「J」と「J改」と呼んでいたので、ここでいう『紫電』は三四三空の紫電改のことである。

ところで、笠井智一氏の書いた『最後の紫電改パイロット』の中に次のような記述がある。
「私をふくめた数機が呉上空で空中哨戒の折に、戦艦『大和』が下から高角砲をドンドン撃ってきた。友軍だという味方識別バンクを出し、上下運動したが、敵機動部隊の空襲を受けたばかりだったからなのか射撃はつづき、退避を余儀なくされた。この事案に関して源田司令が抗議電報を送ったら、『大和』艦長が『よい訓練目標をくれてありがとう』と冗談を言ったとか言わなかったとか。実際のところはわからない。幸い、撃墜された紫電改は一機もなかった。」

大和では一機撃墜したと記録されているが、笠井の記述から撃墜されていなかったことがわかる。それから、源田司令がいくら抗議しても、連合艦隊司令長官とはケンカにならなかったと思うので、抗議をいれたものの搭乗員たちには歯切れの悪い返答をしたのだろう。

ところで、大和出撃の三月下旬、杉田区隊は一番機杉田庄一(一飛曹)、二番機笠井智一(一飛曹)、三番機宮澤豊美(二飛曹)、四番機田村恒春(飛長)という編成であった。上空哨戒任務は緊急性のある任務ではないので、この編成で飛んでいるはずである。つまり、大和上空を通過して誤射されたのは杉田区隊であったと思われる。

沖縄特攻に向かう直前の大和に誤射され、名著『戦艦大和ノ最期』の中に記されたということになる。


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