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杉田庄一物語その39 第五部「最前線基地ブイン」米軍、「十月危機」

 十月十四日、六空はブイン基地から船団上空哨戒任務に一直(四時四十分〜七時十五分)と四直(十二時五十分〜十六時十五分)の二回出撃している。この日もラバウル基地航空隊の二段引きの航空攻撃が行われた。

 二直と三直は天候不良のため中止になった。二回とも小隊長は田上健之進中尉で、六機ずつ出撃している。前述のように兵ではあるが島川一飛も二回飛んでいる。田上中尉が二度とも小隊長を行ったのは、小福田飛行隊長や宮野大尉がデング熱にやられ指揮搭乗員が不足していたためだと思われる。小福田、宮野とも出撃を見合わせているが、前日亡くなった戦死者の葬儀には参列した。

 ガダルカナル島では、この日の夜も巡洋艦「妙高」「摩耶」による艦砲射撃が行われ、ヘンダーソン基地に残っていた米軍機の大半が破壊される。

 十月十五日、六空は前日に引き続き船団上空哨戒任務に一直(四時〜九時三十分)十二機と二直(十一時〜十六時)六機で二回出撃をしている。一直小隊長は宮野大尉、二直小隊長は川真田中尉であった。この二日間の任務にある「船団」とは、ガダルカナル島に向かう六隻の輸送船団のことである。二日間とも敵機とは遭遇しなかった。実は、連日の艦砲射撃によって米軍側には輸送船団を阻止する飛行機がもはや二、三機しか残っていなかった。

 この間、日本側の輸送船団は約四千五百名の揚陸に成功している。『ニミッツの太平洋海戦史』(ニミッツ/ポッター)によると、このときのガダルカナル島の日本軍守備兵力は約二万三千人、米軍兵力は二万二千人と拮抗するようになった。米軍の大部分は補給がままならない状態で戦闘にも疲れ、マラリヤに苦しめられていた海兵隊だった。一方、日本側の上陸軍は兵数ではやや劣っていたが十分に準備を整えていた新鋭部隊だった。

 米軍が「十月危機」と呼んだガダルカナル島攻防戦のピークであった。米軍太平洋艦隊の報告に
「ガダルカナル島周辺の水域を支配することは、不可能かと思料される。状況は絶望的ではないにしても、重大な局面を迎えていることはたしかである」

とある。米軍もぎりぎりで戦っていたのだ。十一月には日本軍の兵数が上回ることになる。

 水陸両用作戦部隊の指揮官であるターナー少将と第一海兵師団の指揮官であるヴァンデグリフト少将の意見が対立していた。ターナーはヴァンデグリフトのくさび形防衛線に欠陥があると指摘し、ヴァンデグリフトは艦隊から支援を受けていないと主張した。南太平洋軍司令官のゴームレー中将はこの対立を解決できず、部下への信頼も失っているようだった。米太平洋艦隊のニミッツ司令長官は大きな決断に迫られていた。

ニミッツ

 夕刻、ニミッツは幕僚を集め特別会議を開く。「敗北主義はもうたくさんだ。敵も痛手を受けていることを忘れてはならない。」というニミッツの言葉で会議は始まった。「敗北主義」というのはゴームレーの指揮統率のことをいい、事実上彼の更迭が議題となったのだ。ゴームレーは知的で献身的な提督という評判であったがタフさに問題があるとニミッツは考えていた。幕僚たちはニミッツの言葉に、口をそろえてゴームレーの行動に批判的な発言を行う。ある幕僚が彼の人格についても触れるとニミッツは「そのような発言は、上官に対する反抗に値する」と述べて口を封じた。ニミッツとしても苦渋の選択であったのだ。「ゴームレーを解任すべきときが来ていると思うか」と幕僚たちに問うと、全員が「イエス」と答えた。このあと後任人事を決めず、会議は終了する。 その夜、非公式な形で少数の幕僚たちがニミッツに会談を申し込み、ハルゼー中将を推した。実はニミッツはすでにゴームレーの後任にはハルゼーを決めていたのだが、幕僚たちから提案させる作戦をとっていたのだ。

ハルゼー

 ウィリアム・ハルゼー・ジュニア中将は1882年生まれの当時六十歳であった。海軍兵学校、海軍大学、そして交換留学で陸軍大学をも卒業するエリートであったが、空母の艦長になりたいがためにかなりの年齢になってから航空パイロットの資格もとっている。念願かなって空母「サラトガ」艦長を経て、1940年から航空戦闘部隊司令官兼第二空母戦隊司令官となった。ミッドウェイ海戦後のこの時期、皮膚病の治療のために入院していた。ちなみにニミッツの方が海軍兵学校の後輩である。

 翌朝、ニミッツはゴームレーに電報をうった。
「あらゆる要因を慎重に検討した結果、ハルゼーの才能と経験を活用するのが現況打開に最善であると判断し、貴地域日付で十八日、同人がヌーメアに到着しだい、南太平洋地域司令官に任命することに決定した。きわめて困難な任務遂行途上における貴官の忠実かつ献身的な努力に対し、深く感謝する。なお、状況に関する貴官の全面的な知識と忠実な援助をハルゼーが必要とすると思われるので、当面のところ、同人の指揮下にとどまることを命ずる。」

 続けてハルゼーにも南太平洋方面軍司令官に就くことを要請する電報をうつ。電報を受け取ったハルゼーは「なんたるこった!とんでもない役をおおせつかったものだ」と憤激するが、すぐに準備に取り掛かった。

 ハルゼーは幕僚たちを集めてヌーメアで会議を開いた。「撤退しようというのか、それとも、確保しようとするのか?」と詰問する。ヴァンデグリフトは「確保できます。もっと積極的な支援をお願いします」と答える。最善を尽くしていると抗議するターナーの言葉をしりぞけハルゼーはヴァンデグリフトに、「手に入るものはすべて送ってやる」と約束する。その言葉通り、このあと戦艦「ワシントン」部隊にガダルカナル島への増勢と砲撃を命ずる。また、空母「ホーネット」と修理を終えたばかりの空母「エンタープライズ」を基幹とする機動部隊をガダルカナル島北東海域に出動させる。

 新聞記者を集めて発表したハルゼーのステートメントは「KILL JAPS, KILL JAPS, KILL MORE JAPS .」だった。猛将といわれるハルゼーのこのセリフはツラギの基地の入口に掲げられた。

<参考>


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