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杉田庄一ノート7:昭和18年4月18日〜海軍甲事件3(柳谷証言)

 写真は勲章を受けるランフィア。

 「ラバウル空戦機」(第204海軍航空隊編、朝日ソノラマ)に戦後まで生き延びた柳谷さんの記述が載せられている。

 「『低く飛んで来たP -38は、われわれの下を潜って次々と陸攻に斜め後方から殺到しようとする。直援機は、それらのP-38を先頭から各個に撃破しようと迎え撃った。それ以外に長官機を守る方法がないのだ。六機では、あまりにも少なすぎる。
 P -38はわき目もふらず直進し、陸攻の後方でグルリと向きを変えると射擊を浴びせた。 零戦は一機ずつそれに襲いかかり、一瞬、激しい攻防が展開された。
 やっとー機を追い払い、機首を立て直すと、すぐ次のP-38が長官機目がけて襲いかかる。そのため、ただ一機を追いかけているわけにはいかない。ましてや追撃戦をするには高度が低すぎる。思い切って急旋回上昇し、食い下がるP-38に変則的な上昇射撃をするというあわただしさ。僚機がはるか彼方で巴戦をしているのが、瞬問だが、わたしの目をよぎった。
 —と、そのとき、ふと長官機の方を見たわたしは、ハッとした。すでに長官機は、片方のエンジンから黒煙を吐いているのだ。
 わたしは機首を立て直してP-38に襲いかかって行ったが、胸は暗く動揺した。
 先頭のP -38の群れを撃退している間に、そのP-38の銃弾が長官機のエンジンに命中し、彼らはすでに目的の大半を果たしてしまったのだ。そのP-38は、もう帰途についている。来たときと同じように、わき目もふらずに、もと来た道を引き返して行くのだ。
 長官機は黒煙を吐いている。見ると、少し離れて、参謀長以下が分乗している二番機も、 火を吐いているではないか。
 わたしは、呆然としてそれを見た。
 あまりにも鮮やかな、P-38の迎撃だった。」
<中略> 
 それにしても、あまりにもあっけない空戦だった。わずか二分間の出来事である。P-38のみごとな早わざだった。
 皮肉にも直援機六機は無事だった。それを確かめるとわたしはおめおめと帰ることに、ある後ろめたさを感じた。そのとき、森崎中尉機は、煙を吐く長官機に近づいて行った。
 援護の不備を詫びるつもりでもあったろうか。わたしもまた、長官機に近づいて行った。 輸送機の窓から山本長官の姿が見える。
 長官は、草色の第三種軍装を着て、副操縦席に端座している。純白の手袋をまとった手に軍力をしっかりと握り、泰然自若たる風で瞑目しているようだ。日ごろ「常在戦場」をとなえておられた山本長官の、これはまことに武人らしき死の直前の一瞬か。いずれブイン基地には、無事に着陸できぬ機中の人なのだ。
 そう思ったとき、わたしはハッとして身を引き締めた。
 長官は、すでに絶命しているのではないか。墜落の前にみずから死をえらんだか、あるいは敵の銃弾が命中しての戦死か?いずれにせよ、身ゆるぎひとつしないあの姿は……。
 そのとき、それまで盛んに黒煙を吐いていた長官機は、グワッと大きな真紅の焰に包まれた。焰は機体にまつわりつくように急速に広がり、もう最後だ、とわたしは思った。
 グラッと傾き、平衡を失った機体は、たちまち錐もみ状態となって、深いジャングルの中に墜落してしまった。ブイン基地より数マイル北の地点であった。 わたしは機首を立て直した。
 参謀長以下の分乗する二番機もまた、焰に包まれて、西方に向かって落ちて行く。その うち海上に不時着したが、とたんに大火災を起こし、やがて波問に没し去った」

 神立尚紀氏も柳谷さんへの取材をもとにこのときの空戦の様子を「零戦隊長宮野善次郎の生涯」に書いている。

「『一番機の左後ろに二番機がつくのが普通だが、長官機の右後ろに二番機(参謀長機)がついていたと思う。その右後ろに、零戦は三機、三機でついた。敵機がもし来るとすれば海側からなので、海岸側を警戒していたということ。ところがー』(柳谷飛長談)
 ブーゲンビル島、もうすぐブイン基地が見えるかというあたりで、日高上飛曹が、予期に反してジャングルの方向から回り込んでくる敵機を発見した。敵機の方がやや早くわが編隊を発見したらしく、P-38はすでに攻撃態勢に入っていた。零戦隊は直掩の常識通り、長官機の上空五百メートルほどのところに位置していたが、敵機はこちらの意表をついて、低高度から突き上げてきた。長官機を守ろうと、森崎予備中尉、日高上飛曹機が突っ込んでいき、列機もそれに続いた。時に七時十五分。
 『私もすぐに追いついた。威嚇射撃だから当たらなかったかも知れないが、一発、追い払って引き起こした。次の攻撃態勢に入った時には長官機は煙を噴いていました・・・・・』」(柳谷飛長談)
 敵機は、零戦には脇目もふらずに二機の陸攻に襲いかかった。零戦はそれを阻止しようと一瞬、激しい攻防が繰り広げられた。高度が低く、敵機の機動が急なので、零戦隊は有効な直掩ができなかった。第一、機数が圧倒的に足りなかった。やがて長官機は浅い角度でジャングルに撃墜され、ひと筋の黒煙が天に上った。参謀長機も、海上に撃墜された。全てはあっという間の出来事であった。
 柳谷飛長は、ブイン基地の上空、百五十メートルの低高度で二十ミリ、七ミリ七の機銃を撃って急を知らせ、また空戦上に戻っていったが、用の済んだ敵機は早々に戦場を離脱しようと引き返す。柳谷はその中の一機を追いかけ、ついにショートランド島南端で撃墜した。」

 柳谷さんの証言は、バーバーの報告を裏付けるものである。低空にあったP38の四機編隊の方が早く一式陸攻を発見し、増槽を落として速度を増し上昇する。一式陸攻の二機編隊もすぐにP38に気付き、ジャングルの上を左右に分かれて逃げようとする。その動きをみて、上空ばかりを警戒していた零戦の六機もP38に気付き、増槽を落として全速力で一式陸攻に追いつこうとする。P38に追いつく前に、当たらずとも遠くから威嚇射撃をしてP38を追い払ったっ時にはすでに一式陸攻は煙をはいていた。間に合わなかったのだ。ランフィアは、零戦が近づいてきた時に機を零戦の方に向けて反航しながら射ちまくる。そのため零戦もその射撃を避けながら一式陸攻に向かわなかればならなかったというのが真相だろう。だからランフィアの功績も大きい。しかし、ランフィアは「そのあと反転すると一式陸攻が目の前にきたので一撃爆発させた」と自分の手柄を付け加えてしまったと思われる。それ以前にバーバーの斉射によって一式陸攻は白煙をあげてジャングルに沈んでいったのにである。

 柳谷さんはショートランド島まで追っていって一機のP38を落としたと証言している。その時の作戦でP38の未帰還機はハイン中尉だけである。はたして柳谷が撃墜したのはハイン機なのか。また、杉田はどのように動いたのだろうか。杉田も2機撃墜を報告している。
 杉田は第一小隊に属していた。一番機は森崎中尉、二番機は辻野上、そして三番機が杉田である。当時の編隊は三機で構成され、一番機が攻撃をすると一直線一列になってそのあとを続けて攻撃をするという空戦法がとられていた。ただし一撃目を与えたあと、敵機に応じて各個に分かれ個別で空戦することも多かった。向かいくるP38の一撃に間に合わなかった零戦は個別攻撃に入ったと思われる。「六機の護衛戦闘機」では次のように記述されている。


 「敵の第二編隊の一番機であるホームズ機が、増槽の切り落としに失敗して、あわてていたとき、わが辻野上一飛曹機が、これも浅い後上方から、ホームズ機めがけて突進を開始した。そして、自機のOPL(光学)照準器に、双胴のこの敵機をとらえるや、じりじりとその距離をつめていった。〜<中略>〜 狙われた敵のこの一番機には、零戦と空中戦をやる気がまるでなかった。P38は高高度でないと、その真価を発揮できない。しかも、一機対一機の空中戦になれば、P38は、ただでさえ零戦の敵ではなかった。それなのに、そのうえさらに、増槽の切り落としにも失敗している。戦っても、とても勝ち目のないことを、敵も知っているのだ。だから攻撃をうけたら、機を横すべりさせて射弾を回避してやろうと、そのタイミングをねらっていた。ところが、後方にとりついた辻野上機が、じりじりと、あまりにその距離をつめてくるので、ついうす気味わるくなったのか、あわてて反転しようとした。
 よし、いまだっ!辻野上は間髪を入れなかった。射弾が敵機を包んだ。敵機は海上に出て遁走する。見ると、翼のつけ根付近から白煙が出ている。だが、それを追っている時間はない。なにしろ敵機は、うようよいるのだ。
 このとき、杉田機は、すでに攻撃態勢にはいっていた。目標は敵の第二編隊の二番機である。杉田は、満面朱をそそいだようにまっ赤な顔をしていた。いいか、見ておれ!といわんばかりに杉田はぐわあっと突進を開始した。杉田の射弾は正確をきわめた。敵機の右のエンジンが、たちまち黒煙につつまれた。すると杉田は、ほとんど無謀と思われるような操作で、ぐわあっと機首を引き起こした。杉田機のエンジンに射弾がはねかえった。だが、杉田機は、たちまち態勢を入れかえた。そして猛然とこの敵に向かっていった。
 敵はひるんだのか、空戦を避けようとする。だが、杉田はつっかけた。たちまちにして追いつめ、翼根付近に射弾をたたきこんだ。
 〜<中略>〜第二小隊の日高も、岡崎も、柳谷も、このときまでにすでに第一撃を終え、第二撃めにはいろうとしていた。だが、二機の陸攻は、このときすでに敵機の反復攻撃を受け、その射弾を回避するために、一番機は右へ、二番機は左へとその距離が大きくひらいていた。」

 この間の時間は五分あまりである。第二編隊の二番機は、ハイン機である。彼だけが作戦後に基地に戻ってきていない。この時に杉田に撃墜されたものとも考えられる。

 つぎに「巨星『ヤマモト』を撃墜せよ!」の中に記載されている「日本側の記録』を見てみよう。
 「柳谷兵長ら三機の零戦からなる小隊は、一式陸攻の右側に位置していた。その小隊長(森崎)がP-38の襲撃に気づいたときには、もはや手遅れだったが、それでも小隊各機を率いてただちに敵機に向かって急降下に入った。三機はP-38一機(ランフィア機か?)に攻撃をかけ、さらにもう一度攻撃しようとズーム上昇した。柳谷兵長は上昇しながら、山本長官の乗機が、煙を吐きながら密林に向かっていくのを目撃した。もう一機の一式陸攻は洋上へ向かっていた。
 柳谷兵長は、自分たちが上空を見張ることに慣れ切っていたために、アメリカ機が攻撃をはじめるのを見つけるのがおくれてしまったと考えていた。P-38が低高度から上昇して来るとは思っていなかったのである。ジャングルの上を飛ぶ飛行機を上空から発見するのは難しい。」

 柳谷さんの証言から、零戦隊の哨戒は上空に向いていて護衛としての役目を完全に失敗していたことが明らかである。待ち伏せしていることは念頭になく、上空から発見されるのを防ごうと考えていたのだ。それも三機編隊の2小隊しかないので二機の一式陸攻の後上方に位置しせいいっぱい上空監視をしていたのだ。上空にいたミッチェル隊を発見できたかどうかは明らかではないが、四機の待ち伏せしていたP-38が行動を起こしたことに気づいたときには、「もはや手遅れ」だったのだ。一式陸攻が襲われているときに遠くからP-38に射撃をするしかなかった。

 このあと柳谷さんは編隊から離れショートランド島へ向かい、その途中で一機のP-38が水平飛行しているのを見つけ攻撃する。P-38は命中弾を受けガソリンを吹いたが炎上せず、柳谷さんはそのままP-38を追い越してしまう。墜落するところを確認していない。神谷氏の『宮野善治郎の生涯』では、撃墜していることになっているが、柳谷さんの証言(おそらくアメリカに渡っての『山本回顧の会』での証言)では「この機の撃墜を自分の戦果にできると思ってない」と述べている。この機がハインの乗機であったかどうかは、確認できないままである。





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