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上越立ち止まりスポット7(五智〜名立)


今日は名立区で夕方からお仕事。五智トンネルに向かう時の夕景、コロナ禍で自動車の通行が少ないので一旦停止して撮影ができた。

有馬川を過ぎて名立に入る頃には陽が沈みだした。

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名立漁港にはいると駐車場に祠がありお地蔵さんが祀られている。ここは名立機雷爆発事件の爆発地である。

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名立機雷爆発事件は、太平洋戦争が終わって4年目、昭和24年(1949)の春休み、3月30日に発生した。前日から漂っていた機雷(船を撃沈させるくらいの威力をもった水中爆弾)を巡査が押し戻そうとしたか除去しようとしたか、縄をもって近付こうとしたしたときに爆発した。何しろ軍艦を沈没させるくらいの威力をもっているので大爆発になった。ちょうど春休みに入っていたので見物していた多くの小中学生や付近の住民が犠牲になった。63人の方が亡くなったのだ。当時の記録を見ると首や手足が散乱する阿鼻叫喚の世界だったらしい。なぜその時そこに機雷が浮遊していたのか、アメリカの魚雷、ソ連の魚雷、旧日本軍の機雷などさまざまな説があるが朝鮮戦争前の緊迫した世界情勢や旧安保の縛りで詳しい調査は行われなかった。

毎年、3月末に「名立・平和を願う日」として式典を開催している。ちなみに私は「名立の子供を守り育む会」のメンバーになっており、可能な限り参加している。

名立での会議を終えて帰る時、名立の灯台が目についた。

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付近の駐車場に止めてスマホで撮影。ちゃんと写るもんだなあ。今のスマホのカメラはすごい。

名立灯台は、正式には「鳥ヶ首岬灯台」(とりがくびみさきとうだい)と言い、北陸随一の明るさをもつ。標高80mの高台にあり、佐渡や米山、能登半島まで一望できる。海に落ちる夕日が美しく写真にとれるので多くの写真家がここに立つ。いい写真を撮ろうと踏み出し、事故で亡くなった著名な写真家もいた。


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