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生成AIと教育を考える2「自分の頭で考えること」

最近、気になったできごとに「銀座の宝石展襲撃事件」がある。真昼間に衆人環視の中、そして監視カメラのたくさんある中で宝石店を襲った少年たちは、なんでこんな杜撰な事件を起こしたのだろうと思う。

しかし、これは巧妙にしくまれた計画があり、捕まった少年たちははじめから捕まえられるべき餌として動いているのだ。とかげのしっぽである。そして、真犯人は、ちゃんちゃんと宝石と共に逃げきっている。

ちょっと考えれば捕まることがわかるのに、少年たちはあまり考えていない。というかどういう結末になるか、「見通せない」「文脈がつかめない」ようだ。自分の頭で考えるという習慣が形成されていないのではないかと思う。

生活費に困っているのにコンビニで高いお弁当やおにぎりを買う少年・少女のことがSNSで話題になっていた。スーパーに行って安い食材を仕入れ、自分で料理するということができない。そんな経験もない。だから思いつかない。食べるすべは、コンビニに行くことしか思いつかない。

ネットから限られた知識を得ることはできても、知識を活用する力がない。経験もない。つまり知恵がない。

そんな少年・少女たちは生成AIを使って生きる力を得られるだろうか。生成AIは知識とともにプロダクトを行う知恵も身につけている。生成AIを使いこなせるスキルを少年・少女に身につけさせるのが教育の使命になっていくのだろうか。

今日のネットニュースで、中国で故人のデータを生成AIに学び取らせ、故人になりすませたAIとコミュニケーションができるようにするビジネスが生まれているとあった。

生成AIを使った人間の暴走がとまらない。

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