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戦争を知る本#3 「機動部隊」(淵田美津雄・奥宮正武)

 この本が戦後6年目に書かれたことに着目したい。しかも、作戦立案に関わっていた中枢部の参謀たちが著者だ。

 淵田美津雄氏は、日本軍の真珠湾攻撃時に空襲部隊総指揮官で、「トラトラトラ」(ワレキシュウニセイコウセリ)の電文を打ったことで有名である。その後、連合艦隊の参謀として航空作戦の立案計画にあたった。戦後、アメリカに渡りキリスト教伝道師となり、市民権も得ている。奥宮正武氏は、機動部隊の参謀として船中を過ごし、戦後は航空自衛隊の空将となり、軍事に関する著書を多くものにしている。この『機動部隊』は、まだ二人が戦後に公職追放にあっている時期の昭和26年に日本海軍の航空戦史をまとめたいとして共著したものである。戦後まだ6年しかたっておらず公式の戦史を出す母体もなかった時期である。

 「初版のまえがき」から淵田氏の思いを抜粋する。戦後6年目であることを念頭におかれたい。

 「年輩の日本人は、過去において、いかに悪い政治ー言い換えれば戦争ーなるものが多くの人を殺し、最良の国民すらも苦悩のどん底に陥れるものであるかを体験した。しかも日本の将来を背負うべき青年達は、彼等の祖国を今日の悲境に陥れたこの政治なるものについての観念は殆どないように思われる。従って何故に彼等の父兄が「戦争」によって生命を失ったのか、また何故にかつて世界の強国といわれた日本が東洋の一小国になってしまったのかについて、充分知らないのである。彼等はこれらの事実を正しく理解する権利をもっているし、われわれは彼等に対し、親切に、かつ、正しくその模様を伝える義務がある。
 われわれ第一線において、常に血みどろな戦いを続けてきたものは、戦争の厳しさと残忍性を満喫した。この戦争の姿をありのままに伝えて、次代を背負う人々とともに、その恐怖と嫌悪に生きなければならない。」

 本書は、南太平洋海戦とマリアナ沖海戦を扱い、日本軍の作戦計画と実際の戦いを追って書いている。この二人の共著は、他にも「ミッドウェイ」があり、本書と合わせて読むことで太平洋における海軍の作戦の大局をつかむことができる。

 南太平洋海戦は、ミッドウェイ海戦後に行われたアメリカ軍の反攻に対して日本軍が対応する形で起こった。ミッドウェイ海戦では失敗したものの、日本の連合艦隊はまだ巻き返しができると考えていた。アメリカの太平洋艦隊を主力とする連合国の艦隊よりは優勢であるという判断だ。真珠湾で傷ついたアメリカの戦艦はその大部分が動けない状態であったし、空母の勢力はまだ日本側が優勢だった。ただ、海軍の航空兵力だけはほぼ伯仲であるという判断だった。飛行機の数よりも搭乗員の数が重要な点で、アメリカ軍はパイロットを続々と戦場に送り出すことができたが、日本では搭乗員の補充がまったくといっていいほどできなかったのだ。そのような状態で行われたのが、ガダルカナル島をめぐる攻防戦だ。アメリカ軍も疲弊していた。あと一押し、アメリカ軍がおさえていた飛行場を艦砲で攻撃すれば形勢は逆転した。しかし、戦艦を動かす燃料がつきていた。本書を読むと、アメリカ軍が展開する戦力の集中と日本軍側が展開する状況をみながらの戦力の逐次投入の差がよくわかる。

 マリアナ海戦では、さらに後手後手となる海軍の作戦が展開する。三次にわたる「渾作戦」(は、一次、二次と情報錯綜のため中止、三次目の作戦開始というときにアメリカ軍の方が先に攻撃をはじめてしまい、即中止して、そのまま「あ号作戦」(マリアナ海戦)へと突入する。日本海軍の搭乗員は、発着艦の訓練をし出したばかりの未熟搭乗員をアウトレンジ戦法で2〜3時間もかけた攻撃に出すことになる。ようやく敵艦船に到達したところを、レーダーで先に察知し待ち伏せているアメリカ軍戦闘機と新兵器のVT信管のついた艦砲射撃で日本軍機はことごとく撃ち落とされる。「マリアナ沖の七面鳥狩り」とネーミングされてしまう始末であった。

 本書は、この二つの大きな海戦(航空戦ともいえる)を日本軍参謀の立場から記述し、分析をおこなっている点が他の戦記と違う意味をもっている。

 機動部隊は、航空母艦とそれを守る高速戦艦や高速巡洋艦、駆逐艦で構成される。戦艦に要求されるのも大口径砲よりも航空母艦並みの速度である。航空母艦は、みかけは速度が出ないような感じがするが、実は駆逐艦並みの速度が出せた。風上にむかってこの速度を生かすことで飛行機が短距離で発艦できるのだ。また、主たる武器は艦載機になるわけだが、空母を基地とする航空部隊が設置されていた。母艦航空隊だ。基地航空戦と海上戦の違いを次のように書いている。

 「基地航空隊の特徴は、戦闘機を主とする戦いである。いままで空母部隊が経験した数回の会場航空戦は、敵の空母を沈めることが、その主目的だった。この目的さえ達成すれば、海戦の勝利は熟した柿が落ちるように、わが手に落ちるのである。従って、その主役を果たすものは、敵空母の発着能力を封ずる急降下爆撃であり、これにとどめを刺す雷撃機である。戦闘機はこれらの攻撃隊を援護するために、絶対に必要なものではあるが、これだけでは海戦の勝敗を左右する力を持たない。
 しかし、基地航空戦では、敵の飛行機そのものが主攻撃目標である。海上戦と違い、その基地を爆撃しても敵機撃滅の目的はほとんど達せられないので、搭乗員もろともその飛行機を葬り去る空中戦闘が、全航空戦を、さらにはそのカサの下で行われる地上戦闘や局地の艦隊戦闘を支配する力をもっている。海上戦闘ではその戦例がはっきり物語っているように、最も被害の大きいのは急降下爆撃機であり、雷撃機である。だが基地航空戦では終始力闘を要求され、しかも損害の多いのは戦闘機である。」

 戦争も3年目に入り搭乗員だけでなく、軍全体のほころびがあったことが本書の随所から伺われる。米軍では戦場から帰ったベテランによって教育訓練された新兵がつぎつぎと投入され、休暇を含めたスケジュールの中で最大の力を発揮できるように管理されていた。一方、日本軍は戦争初期から戦い続けている疲弊したベテランが訓練もほとんどされていない新兵と交代なしで前線で戦わなければならなかったのだ。補給もままならず、衛生面での配慮がなく、前線では感染症がはびこっていた。戦死以上に戦病死が多いのが戦後明らかになる。

 マリアナ沖海戦の直前、内地でほとんど訓練を受けていない搭乗員にせめて発着艦だけでもと訓練すると事故がおきて、しかも、甲板上に並んだ貴重な飛行機もろとも炎上してしまう。攻撃準備を準備していた硫黄島の基地では、整備員がうっかり信管を落とし、爆弾、燃料、攻撃機が大爆発して失われてしまう。旗艦から作戦命令を伝達する発光信号がうまく伝達できない。などのエピソードが記述されている。兵のゆるみと言えばそうではあるが、すべてのシステムが機能していない状態なのだ。現場の実情を知らないで数値だけで計画をたてるとこのようになる。このような閉塞状態は軍隊だけでなく、大企業でもよく起こるし(企業病)、官僚組織もそうだ。・・・話が横道にそれた。

 「日没前、明十九日の戦闘要領や発動点などの所要の命令が、大鳳から全部隊に対して発光信号で送られた。ところが当時、城島部隊は、索敵機収容のため列を解いた大鳳から少し離れたところにいたので、この命令がなかなか受信できない。中間にいる瑞鶴が中継するが、これも了解できない。そのうちに天候が次第に悪化し、日没間近の海上は急に暗さを増していく。いくら読みかえしても命令の体をなさないのである。私(奥宮氏)は、ついに自分で受信をはじめた。信号兵が海軍独特の発声法で、一字一字受信用紙に繰り返し繰り返し書き取ったとぎれとぎれの片カナに、自分で受信したものをつづり合わせて、やっと命令文を作り、城島司令官に届けた時にはすでに日はとっぷり暮れていた。二年余りの艦隊勤務をかえりみても、平易な発光信号の受信がこのように手間どったことはかつてなかった。天下分け目の決戦の命令を受けるのに、准士官の掌航海長以下が総がかりで、一つの信号をもてあます、これが日本の運命を双肩に担う第一線の、しかもその主力である空母部隊の旗艦の視覚通信能力なのである。発着艦にすらこと欠いて、連日のように事故を起こす飛行機隊の練度とも思い合わせ、私は、あすの決戦を前に、再び暗然としていうべき言葉もなかった。」

 あとがきに次のようにある。
「太平洋戦争を始めた主因の一つは油であった、多くの戦闘の勝敗を決定的にした航空戦を大きく左右したのも油であった。これらのことは周知の事実である。しかし、本戦争の流れを変えたガダルカナルの攻防戦のさい大和、武蔵を含むわが海軍の主力が油の不足のために動けなかったことを知る人は少ないであろう。しかし、作戦の原因は油にばかりあるのではない。また、日本の国力の差のみにするのも妥当ではない。作戦部隊自体にも多くの問題があり、全軍一致して戦ったとは言い難いからである。」

 当事者になってからドロナワ式で準備する場面や戦場になっていない部隊を訪問すると白い軍服と白い手袋で出迎えらたというエピソードが紹介されている。現場での当事者意識が全軍的なものでなかったという反省である。コロナ禍での政府やと各自治体の場当たり的対応の報道をみると変わらない「意識の問題」がそこにあるような気がする。



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