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グラマン F4Fワイルドキャット(1939)

 F4Fは当初、次期アメリカ海軍艦上戦闘機に応募するべく複葉戦闘機XF4F-1として開発された。しかし、すでに単葉機の時代に入っていて、いくらなんでもこれはということで採用は見送られ、ブリュースター社のX2FA-1(バッファロー)が採用されることになった。グラマン社としては社の存亡がかかっており、なんとか挽回するために急遽単葉機に設計をし直し、作り上げたのがXF4F-2である。海軍はX2FAを制式採用したものの、ブリュースター社の生産性などに不安があり、グラマン社の試作機もXF4F-3として試作継続を決める。XF4F-3では、胴体と脚を除く機体各部に改良が加えられた。エンジンを離昇900馬力のプラット&ホイットニーXR1830-66から離昇1,200馬力で2段2速過給器を備えたプラット&ホイットニーXR1830-76に換装した。翼端も角形になりカウルフラップもつけられた。1939年9月3日、XF4F-3は制式採用されるが主翼の折りたたみ機構はまだついていない。

 当初、フランス海軍向けに発注を受けていたがフランスがドイツに降伏してしまったため、イギリスに振り向けられることになった。これは「マートレット1」と呼ばれている。このあとギリシアからも発注を受けるがやはりドイツに降伏したためこれもイギリスに引き渡され「マートレット3」となった。ちなみに「マートレット2」は、イギリスが本来発注したもので主翼が折りたためるようになっている。

  第二次世界大戦に参戦をしたアメリカは、航空母艦の増産に取り掛かり艦上戦闘機の大量生産が必要になったため、F4F-4として制式採用され「ワイルドキャット(山猫)」と命名された。

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  主翼の折りたたみは、主翼付け根に近い部分から後方に折りたたむ機構でかなりユニークなものだった。当初は油圧式だったが、手動でも簡単に素早く折りたためることから油圧式は廃止された。

 F4F-3にフロートをつけて水上戦闘機にしたものもあるが、スピードが極端に遅くなり戦闘機としては使いもにならなかった。

 F4Fはゼネラル・モーターズ(GM)でも生産され、FM1(F4F-4)、FM2(F4F-8)と呼ばれた。自動車工場のラインを使える生産性の良い設計で、当時増えていた女性工員が活躍できた。

F4Fは六年間で7,898機が生産され、そのうち5,927機がGM社製のFMシリーズである。グラマン社には、2000馬力エンジンを積んだ発展系のF6Fの開発生産に専念することが科せられた。F6Fの開発は早くから始まり、不恰好なデザインそのままに、より無骨な戦闘機として登場することになる。

F4F平面図

 あまりに醜悪なデザインと無骨さからグラマン鉄工所と呼ばれたが、直線を多用したデザインで余裕のある設計は優れた点でもある。生産性を良くしたり、整備を容易にした。2000馬力エンジン(F6F)への転換も素早くできた。F6Fは基本的にF4Fの発展型でしかない。完璧なまでに洗練された零戦が、なかなか次期戦闘機(烈風)に発展できなかったのと対照的である。

 太平洋戦線では、零戦をライバルとして連日のように空戦を行った。当初は、格闘戦に持ち込まれ零戦の餌食になることが多かったが、サッチ・ウィーブという2機のペアによる編隊空戦を取り入れることで巻き返すようになっていった。「第二次世界大戦の『軍用機』がよくわかる本」(PHP文庫)に次のように記述している。「1942年夏以降、ソロモン諸島をめぐるアメリカ軍の反撃が始まる。この頃から連合軍側の零戦対策が徐々に浸透し、F4Fも零戦に対等の戦いを挑むようにな る。最初に採られた戦法は海軍のジョン・サッチ少佐が考案したサッチ・ウイーブ で、2機ペアとなり互いにカバーしながら1機の零戦と対決するというものだ。次いで、零戦の急降下に弱いことと防御装甲がない弱点を突いたー擊離脱戦法である。ラバウルから出擊して1000キロ近くも離れたガダルカナル攻撃に向かう日本軍機は、爆擊機部隊だけでなく、戦關機部隊もこうした戦法をとるワイルド・ キャットの前に大きな損害を蒙る事態になったのである。」

 F4Fの大きさは零戦とほぼ同じであるが、頑丈さが売りだった。急降下で逃げられると零戦は制限がかかっていて追うことができなかった。ちなみに零戦21型の全備重量は2410kgである。

全長 8.50m
全幅 11.6m
全備重量 2,760kg
発動機 プラット&ホイットニー1930(1200hp)
最高速度 530km/h
武装 12.7mm機銃×6 45kg爆弾×2

> 軍用機図譜




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