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杉田庄一ノート12:昭和18年4月18日〜海軍甲事件8(戦闘はどう行われたか)

 『ラバウル空戦記』に記述されている実際の戦闘場面を追ってみよう。

 「日本の護衛隊はどうしていたのだろうか。柳谷飛長は語る。
『視界もよいことだし、もうそろそろブイン飛行場もマッチ箱ていどに見えてくるころだな、とジャングルの青さの中に、視線は前方にばかりそそがれていた。
と、森崎中尉機が突然、七〇〜八〇メートルほど突っ込んでいくのが目に映った。続いてわたしの小隊の一番機日高上飛曹機も、急に増速して長官機の前方に向かって降下をはじめた。スーッと編隊から抜け出すように飛んで行くあわただしい一番機の動きに、二番機の位置にいたわたしは『何か変わったことが起きたな』と緊張して、周囲を見回した。
 すると、いた!前方、右下方約一五〇〇メートルの高度に、一群の飛行機が!しかもこちらを目指し、ぐんぐん近づいて来る。
『敵のP-38だ!』
 わたしは、とっさに長官機を見た。小隊長機は長官機の前に回り、しきりにバンク(主翼を上下に振る合図(している。よもや、と思っていた敵機の来襲だ。
 長官一行の乗る陸攻ニ機は急角度で機首を下げ、全速力でブイン基地に逃げ込みはじめた。が、わたしは気が気でなかった。いくら機首を下げ、スピードを上げたところで図体の重い陸攻のことだ。戦闘機から見れば、牛の歩みのよぅなのろさなのだ。
 長官機目がけて敵の数機が右回りで上昇してくるのへ、向けさせてたまるかと、わたしは増槽を落として迎撃態勢に入った。」
   <中略>
 「低く飛んで来たP-38は、われわれの下を潜って次々と陸攻に斜め後方から殺到しょうとする。直援機は、それらのP-38を先頭から各個に擊破しょうと迎え撃った。それ以外に長官機を守る方法がないのだ。六機では、あまりにも少なすぎる。
 P-38はわき目もふらず直進し、陸攻の後方でグルリと向きを変えると射撃を浴びせた。零戦は一機ずつそれに襲いかかり、一瞬、激しい攻防が展開された。
 やっと一機を追い払い、機首を立て直すと、すぐ次のP-38が長官機目がけて襲いかかる。そのため、ただ一機を追いかけているわけにはいかない。ましてや追撃戦をするには高度が低すぎる。
 思い切って急旋回上昇し、食い下がるPー38に変則的な上昇射撃をするというあわただしさ。僚機がはるか彼方で巴戦をしているのが、瞬間だが、わたしの目をよぎった。
 ーーーと、そのとき、ふと長官機の方を見たわたしは、ハッとした。すでに長官機は、片方のエンジンから黒煙を吐いているのだ。
 わたしは機首を立て直してP-38に襲いかかって行ったが、胸は暗く動揺した。
 先頭のP-38の詳れを撃退している間に、そのP-38の統弾が長官機のエンジンに命中し、彼らはすでに目的の大半を果たしてしまったのだ。そのP-38は、もう帰途についている。来たときと同じように、わき目もふらずに、もと来た道を引き返して行くのだ。」

 直進し、陸攻の後方で向きを変えてきたのがランフィア機、すぐ次のP-38というのがバーバー機だとすると、柳谷はランフィア機に追われているうちバーバー機によって長官機が射弾を受け黒煙を吹いていたということになり自然な流れである。


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