ペルソナ / シナリオ法 Xデザイン学校ベーシックコース振り返り#5 2022

なんだかモリモリモリモリ盛りだくさんになっている。

モヤっとしたら隠さずに言わないといけない。

今回がっつりグループワークをやってきて、会議の進め方にいくつか課題があるのは頭では分かっていて「ちょっと待って」が言えなかった。
結局講義の中で浅野先生のリフレクションを聞いて、自身の感じた課題は間違いではなかったのか〜とホッとしたけど同時に危険だなと反省した。

多分、「正解なのか分からない」と答えを自然と求めてしまっていたり「誰かが言うだろう」と他力本願になって言うことへのリスクと責任と放棄していたんだろうなと大反省した。
課題に思っていることや違う方向に進もうとしているところにストップをかけずに「いいじゃないですか〜!」と耳障りのいい言葉ばかり並べるのは優しさではなくただの怠惰であると実感した。
モヤっとしたらまず恐れずに「ちょっと待って」を言えるようにならなければ今後の私も成長しない。
😇「講義の資料読み返してたら第一回目で言われてた〜そこをアンラーンしてどうするの〜〜やったらダメをコンプリートしてるわよ〜〜〜」

そのユーザーの「喜び」はなんなの?

「自動運転で自分の手元にモノが届くことは素晴らしいことだ!」と一見ユーザーのデライトのように見えるけれども本当にそうだろうか。
なんで手元にモノが届くと嬉しいの?なんで手段として自動運転を選んでいるの?を突き詰めた時にユーザーが求めている本質って別に自動運転じゃなくても解決できるかも?と立ち返ることができた。
もしかしたら時代をあえて逆行する方が「喜び」を与えられるのかもしれない。(可能性の1つとして)

自分ごと化しなくちゃ VS ユーザーに寄りすぎてはダメ

概念化トレーニング修行中であるからこそ今この壁にぶち当たっている。
サービスを作るのは自分ごと化できるものであるという1つの指標があるけれども、ユーザーの声に寄りすぎるとビジネスとしては成り立たなくなるといった話もある。
ここの塩梅が分からなくてアイデアを出すのにも詰まりに詰まった。
現状の理解では「自分ごと化」はアート思考で達成したいものはこれだ!の指標というかこれがないとサービスとかビジネスモデルなんて考えられないよね。というところで、
「ユーザーに寄りすぎてはダメ」というのはデザイン思考で、ビジネスモデルがそもそもあってこその話なので、そこがユーザーに寄り添いすぎる(という名の責任放棄?)と、ビジネスが立ち行かなくなるという話なのかなと。
ジャングルの奥地にでも行くか〜〜〜〜〜〜〜〜。

その他の小話

この1ヶ月、サービスのアイデアとかデライトがどうだとか、ありたい未来がなんだとかを常に考えていて(アイデアが16個出たのでどっかで話したい)タイムマシン欲しいんだけど、今の技術でどこまで実現するかなっていうのを真面目に本気で考えてた結果夢の中に浅野先生が出てきたり、夢の中でもミーティングをしている感じになっていてカオスだったw

常に思考したり議論等をしたことで今まで「なんだそれは?」となっていたことが少しずつ理解できるようになってきた(遅い)。
けど今自分は多分知識と体験をしただけで「分かった気になっている」という状態になっている。多分知識としては「こういうこともある」けれども実践をするとなると瞬く間に使い物にならなくなる。
時々、日常の中で「あーこれ質的調査と数値分析のやつだ!!!」とかお仕事中に「なんだか引っかかるなぁ」と思ったらビジョンが特になかったとかがあった。その度に「Xデザイン学校でやったことだ!!!!」と点と点がつながっている感覚になっているけれども、「じゃあこうしよう」と道を示すといったことはまだできていない。
ここの感覚ってどう養うんだろうなぁ。わかんないよパトラッシュ。

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