見出し画像

北北西に利用可能性を見て

この記事は freee Designers Advent Calendar 2021 の15日目の記事です。

こんにちは。freeeに今年入社したishikuraです。概念設計やUI設計、プロセスの検討などを行っています。このように記事を書くことが滅多にないため、拙い点はご容赦ください。
ソフトウェア開発の現場に入って10年目の今年のおわりに、利用可能性について自己流の考えを書き記し、みなさんのご批判を仰ぎたいと考えています。

ユーザビリティの翻訳

ユーザビリティは「使いやすさ」と翻訳されることが殆どではないでしょうか。利用可能性と翻訳される場面もありますが、その意味するところは同様に「使いやすさ」となっていると思います。
使いやすさであるから、その度合いを表し、ある一定の閾値を基準に使いやすいものになっているかどうかを判断する、というように使われていると思います。

ユーザビリティテストの名目で行われる合目的的な適合調査によって、対象顧客があるタスクを完了させるのにかかる時間や操作の回数などが、閾値を超えるかどうかを確認し、使いやすい状態かどうかを判断する。そうして使いやすさとしてのユーザビリティは保証されてきたのだと思います。

私がユーザビリティを翻訳するときは、「利用可能性」と翻訳します。そして利用可能性が「開かれたもの」か「閉じられたもの」かを注目します。プロダクトそのものや操作の対象が、利用者にとって新たな利用の可能性を開くものか、開かずに閉じ込めてしまうものかを見ます。

開かれたものと閉じられたもの

前述した使いやすさをめぐるユーザビリティテストでは、あるタスクを完了する方法が一つであっても、使い方がわかって完了できるのであれば合格と判断するといったことが多いと思います。
そして改善では、使いにくいとされていたものに対して、提示した方法・使い方によって完了できるようにするために、対象顧客に使い方を理解してもらう、また、理解できるように使い方の理解容易性を改善する(よりわかりやすく説明する)といったことが行われていると思います。
そうして使いやすくなったと判断されているのではないでしょうか。そういった場面は珍しくないと思います。

ですがそれは利用可能性を理解容易性として捉えているように思えます。ユーザビリティテスト、即ち使いやすさの検証でありながら、わかりやすさの検証が殆どを占めている。そう思えてしかたがなかったのです。
わかりやすさを充足しようと説明過多になり、マニュアル化が進んでしまう場合は、変化に耐えることが難しくなってしまう恐れがあります。取扱説明書を読んで使い方を覚えてから使い始めなければならないようなマニュアル化されたプロダクトでは、変化があった際にまた別の使い方を覚え直す必要があるからです。

提示された正しい使い方以外の使い方をした場合は、利用者は何度もエラーを見ることになるでしょう。そうして使い方を矯正されます。これは操作の主導権が利用者・人ではなくプロダクト・機械の方にあるとも言えます。
このように、あるタスクを実行し完了するために特定の使い方しか受け入れないものを、「閉じられたもの」と呼んでいます。

また、使いやすさをそのように効率性、合理性で測ってよいものなのかも疑問となりました。私たちの身の回りに、寄り添うように、当たり前のように存在するもの・道具たちは、異なる理由で日々使われ続けるものになったと思えたためです。そうして、私は利用可能性という言葉を見つめ直し、「開かれたもの」と「閉じられたもの」に分類し始めました。

利用可能性が「開かれたもの」は、ある特定のタスクの実行と完了の可能性に閉じられていません。開かれたものは様々な使い方を受け入れます。操作の順番や、限られた方法に制限されないということです。

それは操作の対象となるもの(=オブジェクト)がその尤もらしさを表されて存在し、操作の主導権を利用者・人に委ねるかたちをしています。利用者は自由に操作し、時に創意工夫をもってよりよい使い方を自身で作り上げます。

閉じられたものがタスク指向的、開かれたものがオブジェクト指向的と捉えることができることから、オブジェクト指向設計を推奨するようになりました。そうして、オブジェクトの尤もらしさを追究して表すことが、利用可能性を開き、保証することだという考えに至りました。

尤もらしさ

以前は確からしさ、蓋然的といった言葉で形容する時期もありました。今では尤もらしさという言葉に落ち着いています。

尤もらしさは統計学で尤度というように度合いで表すことができます。私はオブジェクト同士の相互作用や、形態としての見た目といったもので尤もらしさを表し、高めようとしています。

現実にあるものをソフトウェアで再現する場合、例えばカレンダーや地図といったものであれば、できる限りそれらの形相や性質、関係性を再現しようということです。カレンダーにはいくつかの見た目の異なるものがあります。年月日や週単位で形を変え様々です。それらを表現方法・ビューの切り替えで再現したりします。

隣にペンがあれば予定を書き込むことができたりします。書ける範囲がほどよく広ければ今日の出来事を簡単な日記として記すこともできるでしょう。隣にきらびやかなシールがあれば記念日などを目立たせて演出したり、忘れないようにしたりもできるでしょう。そのように、どのようなものが近くにあれば新たな利用の可能性が開けるか、関係性を考えたりします。(※1)

ユーザビリティテストや観察などでは、想定外のことを期待します。マニュアルに沿ったような、想定通りの使われ方を期待するのではなく、想定していなかった使われ方から、新たな利用の可能性が発見できることを期待します。

利用者が操作の対象に期待する、このように使えるだろうと思うこと、また、操作の対象が利用者に示唆する、このように使えるということ、それがその対象の尤もらしさを表していると考えるからです。

そうして利用者が自由に使い、創意工夫を発揮する中から得られる発見をもとに、尤もらしさを高めていきます。
そうしたものこそが、私たちの身の回りに寄り添うように存在するようなもの、使い続けられる道具になると信じて、日々設計を考えています。

北北西

自身がどこにいようとコンパスは北を指すことからTrue northという慣用句があります。真に重要な目標といった意味合いがあります。
真に合目的的、合理的なものの目指す先もまた北を指していると思っています。合理的である故に共通理解も作りやすいでしょう。ですが私は、北を見る場面はありつつも、少し西へ逸れて進みたいと思っています。
この記事の表題はヒッチコック監督映画の「北北西へ進路を取れ」から拝借しました。原題はNorth by NorthWestで、それは存在しない方位です。
コンパスが定められた方位だけでなく、存在しない方位が利用可能であったように、その方位に新たな可能性があると信じて。

明日はリサーチャーからデザイナーへと活動範囲を広げるkouさんの記事です。どうぞお楽しみに。

2021年12月23日 追記
※1 草案からの転記漏れがあったため本文内に追記しております。(「隣にペンが〜関係性を考えたりします。」まで)大変失礼いたしました。