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歴史を検証する意義

 「歴史より未来の方が大事なんだよ」
 高校生の頃、世界史で学年最下位になった僕は母に悪態をついたことがあります。
今、思い出しても恥ずかしい。
だから、未だに歴史全般に疎く、旅先、映画、ドラマなどでついていけないことがあるんだよなぁ。
 
歴史を学ぶこと、検証することで、見え方、考え方の幅が広がることも多い。
特に戦争や虐殺など負の歴史に走ることを防ぐ役割もあります。
感情が上回って行動してしまうこともあるのでしょうが。
 
1970年代、カンボジアで、ポル・ポト政権による自国民大虐殺が行われました。
 
プノンペンに滞在した際、トゥールスレン虐殺博物館に伺ったことがあります。
「政治犯」とされた人々の強制収容所が、そのまま博物館になり、
亡くなった方々のモノクロの顔写真が並ぶ壁一面の光景は今でも忘れられません。

あまりのショックに、その博物館を出た直後から、気力を無くし、
一週間ほど食事以外、ホテルから出なくなりました。
長い旅を初めて一年ほど経った頃の滞在だったので、疲れもあったとは思います。
 
日本語に飢えていた僕は、部屋のテレビでNHKの番組を流しながら、
一日中、ビールをちびちび飲み、
インターネットに繋いだパソコンでは虐殺がなぜ起きたのかを貪るように読んでいました。
 
ポル・ポトは、極端な共産主義を信じ、疑心暗鬼になり、都市部の知識層を片っ端から虐殺していったのです。
しかも復讐を恐れ、その子どもまで殺し、教育を否定し、学校までも潰してしまいました。
そんな政権は長く続かず、3年ほどで崩壊しますが、既に国民の4人に1人にあたる170万人が虐殺されていたのです。
 
先週、当時の元幹部の終身刑が確定しました。
他の幹部は既に死亡していて、大虐殺関連の審理はこれで終結します。
昨日、このニュースを検証する番組を拝見していたら、
ポル・ポト政権の大虐殺の歴史を知らない若い世代が多くなっているのだとか。
 
インタビューに答える若者たちは、みな穏やかで、いかにもカンボジア人らしい。
おそらく当時もそうだったのではないでしょうか。
それが、いきなり自国民同士で殺し合っていく、それが正しいと信じながら。
人間をも変えてしまう政治の怖しさを感じ、負の選択を防ぐためにも、こういった歴史を風化させないことも必要なんだろうなぁ。

ホテルを出たところに、よく売りに来ていたしじみ売り。
ビールのつまみに買っていました。

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