見出し画像

「挫折」で見えること

人生に挫折はない方がいいのでしょうが、挫折で見えることもあると思っています。
それは後になってからわかることもあれば、数十年経ってから気づくこともあります。
 それでも、挫折の直後はしんどい。

「夢」に手が届き、将来のビジョンまで描けたところで、とん挫した方の話をうかがっていました。
ショックは大きく、1カ月間、何もする気がおきず、自殺も頭を過ったらしい。
それだけ想いが強かったということ。
 
数知れない挫折経験者の僕(パートナーから言わせれば、もう折れるところがない程。とほほ)も似た経験はあります。
でも、それはあくまで似ている経験というだけ。
だから、「気持ちはわかる」だけは言わないよう心掛けています。
その人の気持ちは、その人にしかわかりません。
しかも、その言葉をかけられたことで、ひねくれている僕は反発心が芽生えたこともあるから。
とにかく聞き、気になるところは質問するだけ。
 
最初は疲れ切った目で、ぽつりぽつりと話されていたのですが、
そのうち、想いがあふれ出すように話し始めました。
次第に「夢」がとん挫した原因に関わる人たちへの「憎しみ」も出てきます。
それも出しちゃえ、出しちゃえ。
でも、根が優しいから、「悪口」にまでなりませんが、とにかく心の中の想いを吐き出していきました。
 
「私も甘かったと思っています」
 とおっしゃいます。
その想いは、次の挑戦に活かされるのでしょう。
そもそも、既に自己分析されているところに、「まぁ、いっか」の僕とは明らかに成長のスピードが違うんだろうなぁ。
今すぐじゃなくていいし、ゆっくりでいいから、次の挑戦へ向かえばいい。
 
こういった時、ポジティブな言葉は逆効果なこともあります。
でも、あえて申し上げました。
「だいじょうぶです」と。
僕も含め、手伝ってくれる人たちはたくさんいるのですから。

写真はブルキナファソにて。
昨日、うかがっていた彼女の話を綴っていて、ふと思い浮かびました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?