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太安万侶は安八町生まれ?

チャールズ国王の戴冠式の衣装に安八町出身のクリエイターが関わっている話、
全国から習いに来る安八町在住の猟犬トレーナーの話など驚きの連続だったゴールデンウィーク最終日は歴史の面から安八町の可能性を知ることに。
 
昨年、従妹から紹介いただいた有働さんは酒豪の神職僧侶(どちらの免許もお持ちらしい)かと思っていたら、実は神道と仏教が専門の歴史宗教学者。
最近では、「日本書紀」から読み解いた飛鳥仏教の説が掲載された歴史雑誌が話題になり、異例の増版になったのだとか。
 
彼は現存する日本最古の歴史書「古事記」を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)も研究されています。
 
太安万侶の墓所は奈良市ですが、出生地はわかっていないらしい。
それが安八町ではないかと有働さんは推測していて、東京から取材調査にいらっしゃると従妹から連絡があり、僕も同行させていただくことに。
 
愛知県扶桑町の前利神社から始まり、一宮の大神社など、太安万侶にまつわる神社を次々に巡りながら考察されていきます。
「天武天皇」、「壬申の乱」、「多品治(太安万侶の父と言われています)」……同行した西尾先生との会話に僕は全くついていけません。
なにせ、高校時代、歴史のテストで学年最下位だったこともあるのですから。
 
そんな僕は羽島市の真福寺が、家康が名古屋に移すまでは大須観音として知られた場所だったことも知りませんでした。
「古事記(大須観音が国宝の最古写本所有)も一部は、ここで書かれたんじゃないのかなぁ。ここから安八までは……」
 スマホで安八町までの距離を調べながら、さらに考察。
 
こうして安八町までたどりつきます。
安八町の神社なら結神社もしくは名木林神社かと思いきや指定されたのは森部地区にある宇波刀神社。
お恥ずかしながら場所も知らなかった神社です。
「式内社」で格が高いらしい。
ただ、輪中で水害が多い地域なので、神社が何度も流され、場所が変わり、古い文献も残っておらず、
論社(どれが古い書類(延喜式)に記載されている神社なのか決定できない神社)なので、まだまだ調査が必要なのだとか。
 
有働さんの説は、今後、学会で発表される予定で、その後、世に出て、さらに検証されていくという流れらしい。
今後が楽しみです。

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