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【名言】大好きだったんですよ…

「(花道疾走ラリアットなど思い出したところがあったが?)いや、大好きだったんですよ。ガキの頃。武藤敬司は60で引退しますが、それに比べりゃまだハナタレ小僧ですから僕は。まだまだ世界で戦っていきたいと思います。ありがとうございました」
by SHINSUKE NAKAMURA(2023.1.1日本武道館 グレードムタ戦後バックステージにて)

やっと言えた、「大好きだった」―――
2023年1月1日のグレートムタvsSHINSUKE NAKAMURA。世界から注目されたプロレス界の宝の一戦は、当の本人にとっては筆舌に尽くしがたい感情の中で行われていた。誰がどう見ても、それはスーパースターvsスーパースター。しかし内実は、一人間、いや一プロレス少年が憧れに触れる冒険だった。中邑少年は間違いなく、武藤敬司が大好きだ。しかし、彼はこの言葉を口にすることなく、プロレス歴を過ごし、この日を迎えた。
彼がプロレスラーとしてデビューしたのは2002年。総合格闘技がブームになり、刺々しい雰囲気、殺伐とした試合が好まれ、だからその反面プロレスの”エンターテイメント”の楽しみ方に首をかしげるものが多くなってきた時代だ。だから彼は、長く培ったレスリングの実力を持って、殺伐な試合を提供し続けた。2004年にはアレクセイ・イグナショフと総合格闘技の試合を行ったこともある。
しかし、時代は移ろい、2010年を超えたあたり。今度は総合格闘技ブームに陰りが見え、代わってプロレスの”見方”を世の中が学び始めた。面白いものを「面白い」、感動するものを「感動する」と素直にプロレスファンが口に出し始めた。業界におけるプロモーション方法が変わり、ファン層が変わったのがきっかけの一つだ。だから、中邑もこの頃から本当にやりたいプロレスを表現し始めた。鋭さや危うさに加え、感性を融合させたプロレス。そのプロレスは試合前から試合後まで全てがストーリー、アートになっている。インターコンチネンタル王者は5度戴冠し、まさに世界観を作り上げた。
2016年。中邑の芸術は世界に飛び立った。そう、WWE―――そして年月を経て、ついにWWEの中のトップ選手の一人として、今彼はいる。だから、ムタvsSHINSUKE NAKAMURAが発表された時のプロレス界の激震はただならぬものだった。

まさに、1試合だけでも”客を呼べる”試合。『金の雨を降らす』ことのできる試合と言ったら別の国境がざわつくか。しかし、まさにこれこそ今だからこそ実現した、そして今後実現しえない奇跡のカードだ。それだけに、NAKAMURAはあくまで”対等”の、”同じスーパースター同士”としてリングに立った。
世界から注目された試合は、その期待を遥かに超える音色を奏で、幕を閉じる。試合後、NAKAMURAは「マジで本当に…こんな奇跡、神様じゃないと仕組めないでしょうよ。言葉を出せば出すだけ自分自身の感動が薄れていってしまうような感じが。」と前置きした後、思わず漏らす。
「もう試合前から…ずっと殺してきたんですよ、こういう感情はプロとして(と感極まる) それをこういった奇跡のタイミング、元日・日本武道館、相手はザ・グレート・ムタ、最高の入場、たまんないっすね、マジで。奇跡をありがとうございました。」
そこにいた記者の質問も秀逸だ。
『ファン時代に見ていたムタの試合をオマージュしようとしていたようだが?』―――
まさに、本当の本音を引き出す質問だ。間違いなく、NAKAMAURAを解放し、中邑の言葉に手を伸ばしていた。
「そう思ったんであれば、そう思ったことを書いてください」と返したNAKAMAURAに、記者は『花道疾走ラリアットなど思い出したところがあったが?』とさらに言葉をかけ、それに対しようやく絞り出した言葉が、上述の「大好きだったんすよ」、だ。
デビューから20年以上。ようやく辿り着いたこの言葉。
解き放たれた、ハナタレ小僧。

リングを去るグレートムタと、これからも羽ばたき続ける、羽ばたき続けなくてはいけないSHINSUKE NAKAMURA。
最高の芸術をありがとう。


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