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ADHDの独り言『日々流れる脳内映像について』

最近、自覚して非常に驚いていることがある。
あたしの耳・目にまつわる現象は、多くの人と異なるようだ。

遠くで鳴っている電話の着信音や、小さな鳥の声、朝の大気の音などを聞き取っている。

でも、ミーティングなどで何人もの人が話し出すと、段々と言葉を拾えなくなる。これはADHDによくある現象らしく、そこは納得。

ただし、その点を同じ障害の人と話していても、どうもしっくりこなくて、ずっと他者や自分を観察していた。

小説を脳内で映画化

そして、自分は耳から入った情報を無意識のうちにどんどんどんどん絵・映像にしていることに気付いたのだ。

だから、ミーティング中、うっかりすると人の話より自分の脳内映像に意識が向いてしまっている。その間も人の声は物音(すみません汗)として届いているが、内容は押さえていない。

いまnoteを書いているが、外で複数の鳥が鳴いている。あたしの頭の中には既に鳥がいて、その数はどんどん増え、昔飼っていたインコや文鳥まで登場。さらには、ヒッチコックの映画「鳥」のシーンまで現れている。

意図的ではない。そして、それらは目の前に実在せず脳の中で流れていることを認識しているため、幻覚ではない。

これが障害の影響なのか、ある種の癖のようなものなのか、なんなのかは知らない。

ちなみに、目から入る情報でも同じようなことが起こる。

小説を読んでいるときも、無意識のうちにどんどん映像化している。目で文字を拾いながら映画を見ているような気分とでも言うのだろうか。頭の中で登場人物が動き出す。

原作を読んだ後で映画化された作品を観て、「ああ、あたしの脳内で自動上映された映画とはずいぶん異なるなぁ」と思うときも多く、その違いを楽しんでいたりする。

似ているのは部分にすぎない

人に音の話、脳内映像の話をし始めたのは最近のことだ。これらはあたしにとって普通の現象。あまりに普通過ぎるから、みんなもそうなのかと思っていて、人に確認したことはなかった。

就労移行支援事業所に通うようになり、そんな話をする機会があり、人によって脳内の動きがずいぶんと違うことを知った。

似ている部分があったとしても、それは部分にすぎない。

ネットニュースなどで流れるADHDの情報は、あくまでも統計・傾向だ。何かしらの傾向が存在するから診断されているので、それらを無駄な情報とは思っていない。

ただし、掘り下げていくと、ひとりひとりの脳内で起きている現象は違う気がしてならない。実際にまだまだ脳は分からないことだらけ。だから、現在知られているADHDの特性は、現時点での情報にすぎない。

100年後、ADHDについてどんな説明がされているか非常に興味深いのであった。長い長い独り言、おしまい( *´艸`)

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