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ひきこもり・サブカルちゅあ② カフカ「変身」

コロナ禍のなか、僕はひきこもりの若者と読書会面談みたいなものをたびたびしています。

どういうのかというと、小説や評論など一つを選んで、それをお互いに事前に読んで、面談の時にディスカッションするというものです。原則として、マン・ツー・マン(1対1)で実施します。

今日はチェコの天才作家、フランツ・カフカの「変身」を読んでディスカッションをしました。

「変身」はユニークな作品で、世の不条理をテーマにしたものです。1915年に刊行されたのですが、100年以上経った現代でも色あせない作品でもあります。

「変身」を好きなひきこもり当事者はけっこういたりします。(もちろん、嫌いな人もいます、笑)

「変身」のストーリーは、以下のようなものです。

雇われ行商人のグレゴールが、ある朝、起きると、なんと身体が毒虫になってしまっていたのです。グレゴールは焦り、心配しました。それは、午前5時の列車に乗って行商に行かなければならなかったのに、それに間に合わなくなってしまったからです。彼は必死になって、とにかく仕事に出かけようとします。グレゴールは身体が毒虫になったことにちょっととまどったものの、家の借金を返すためにも、いつも通りの日々をただ送ろうと考えます。一家四人の生活費や妹の音楽学校の学費の工面はグレゴールの双肩(この時は虫の首あたりでしょうか)にかかっているからです。

ところが、家族は違いました。巨大な毒虫となったグレゴールにとまどい、恐怖し、だんだんと嫌っていきます。父親はグレゴールがいなかったものとみなし、時には駆除しようとし、母親は心配のそぶりをしながらも、決してグレゴールに近寄りません。部屋の掃除をするのは妹で、食事も妹が与えてくれました。しかし、そのうち、妹もだんだんと兄のグレゴールを嫌悪していきます。

家族全員がグレゴールの存在を嫌悪し、不要、いない方がみんなのため、と思うようになったせつな、グレゴールは衰弱して、干からびて息絶えます。

物語はここで終わりません。グレゴールが死んだことを確認すると、3人の家族は引越しを算段。グレゴールの存在などなかったことにして、それぞれが幸せになることを目指して、前向きに未来にむけて改めて生活していくことを決意します。グレゴールのことは頭の片隅にも、もともと存在しなかったかのように…。

以上が物語のあらすじです。

今日の若者とのディスカッションは面白かったです。

「変身」を読むと、ついグレゴールが毒虫に変身してしまうことばかりに目を奪われがちですが、若者は「それだけが“変身”なのではない」と断じます。

問題なのは、むしろグレゴールではなく、家族がいびつに“変身”していってしまうことだ、というのです。

グレゴールは外見が変身したけれど、家族は内面が変身していくというのです。

一家の稼ぎ頭として将来を嘱望されたグレゴールですが、毒虫化して、突如無用で負担の多い邪魔者になった瞬間、家族のぬくもりも愛情も急速に冷めて消えていってしまうことに考えがいってしまい、読んでいて違和感というか、不条理というか、もしかしたらつらかったのか、そういった思いに陥ったようでした。

彼は、グレゴールの身の上と“ひきこもり”の己れの身の上を重ねました。無用の存在(※これは議論の中ででてきた表現であって、ひきこもりが社会などで無用の存在という意味では全くありません)と化してしまった怖さというか、とまどいというか、そういうものは、 ひきこもった本人自身に生じた現象にほかならない(までもいかないかもしれませんが、とにかく重なって見えたようです)からです。

ある日、ある朝、彼は変身し、ひきこもりになってしまった…そこから、彼の苦悩と葛藤の長い物語は始まりました。

1時間ほど議論しましたが、なかなか面白い内容となりました。

これまで、芥川、宮沢賢治、新美南吉、中島敦、坂口安吾、ラヴクラフトなど、いろいろな作品(主に青空文庫利用ですが) でディスカッションしています。

情報過多の現代ですが、そんな世の中で思考停止状態に陥らず、複眼的な思考で、多様なものの見方ができるように、心を耕したいものです。

僕が学べることも多々あります。

サポートしていただければ幸いです。長期ひきこもりの訪問支援では公的な補助や助成にできるだけ頼らずに活動したいと考えています。サポート資金は若者との交流や治癒活動に使わせてもらいます。