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長江文明の遺伝子と日本人

長江文明は、黄河文明と匹敵する高度な文明を持っていることが分かっている。黄河と比べるとあまり有名ではないと思いますがとても高度な文明を持っていた。

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写真 wiki「長江」より引用

上の画像は、長江の地図です。重慶、武漢、揚洲、南京、上海が長江流域にあります。下流は、揚子江と言われています。

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写真 wiki「黄河」より引用

上の画像は、黄河の地図です。蘭州、銀川、包頭、洛陽、鄭州、開封、済南が黄河流域にあります。黄河と長江の文明を比較すると中華文明と言われているのが黄河文明なのです。長江文明の継承者は、南に移動しベトナム人になって山間部に移動したのがミャオ族、ヤオ族、ハニ族、イ族になって東の海を渡って日本人と朝鮮人の先祖になった。日本や朝鮮半島の一部には、縄文人が暮らしていた。今の朝鮮半島の人は、日本人よりは、縄文系の血が薄いのは、中国と陸続きになっているため漢民族や満州に暮らすツングース系の人々が移住が日本より簡単であった。そして縄文系の血が薄まったのである。

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写真 wiki「ハプログループo」より引用

上の画像は、ハプログループoの多さを、表す地図です。長江文明を築いたのもこの遺伝子で、その内o1bが長江文明を築いた人に多いのです。o1bから別れたO1b1とO1b2の二つがあります。まずはo1b1です。 O1b(旧O2) (M268)
O1b1 (F2320)
O1b1a (M1470)
O1b1a1 (PK4)
O1b1a1a(旧O2a) (M95) - 東南アジア、中国南部に多い。オーストロアジア語族と関連。
O1b1a1a1 (F1803/M1348)
O1b1a1a1a (F1252)
O1b1a1a1a1 (F2924)
O1b1a1a1a1a (M111)
O1b1a1a1a1a1 (F2758)
O1b1a1a1a1a1a (Z24083)
O1b1a1a1a1a1a1 (Z24089)
O1b1a1a1a1a1a1a (F923)
O1b1a1a1a1a1a1a1 (CTS2022)
O1b1a1a1a1a1a1a1a (F1399)
O1b1a1a1a1a1a1a1a1 (F2415)
O1b1a1a1a1a1a1a2 (Z24131)
O1b1a1a1a1a1a1a3 (Z24100)
O1b1a1a1a1a1a1b (SK1627/Z24091)
O1b1a1a1a1a1a1b1 (Z39410)
O1b1a1a1a1a1a2 (Z24088)
O1b1a1a1a1a2 (F2890)
O1b1a1a1a1a2a (Z24048)
O1b1a1a1a1a2a1 (Z24050)
O1b1a1a1a1a2b (Z24014)
O1b1a1a1a1b (CTS5854)
O1b1a1a1a1b1 (Z23810)
O1b1a1a1a1b1a (CTS7399)
O1b1a1a1a1b1a* (CTS7399(xFGC19713/Y14026)) 日本(東京都)
O1b1a1a1a1b1a1 (FGC19713/Y14026)
O1b1a1a1a1b1a1* (FGC19713/Y14026(xZ23849)) 福建省
O1b1a1a1a1b1a1a (Z23849)
O1b1a1a1a1b1a1a (Z23849(xFGC61038)) 広東省、雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州[1]
O1b1a1a1a1b1a1a1 (FGC61038) 広西省、雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州[1]
O1b1a1a1a1b1b (CTS651) 北京、雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州
O1b1a1a1a1b1b1 (CTS9884)
O1b1a1a1a1b2 (F4229)
O1b1a1a1a1b2a (F809)
O1b1a1a1a1b2a (F809(xF2517)) 広東省、重慶市[
O1b1a1a1a1b2a1 (F2517) 雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州
O1b1a1a1a2 (SK1630) 中国(陝西省)、ロシア(リャザン州)
O1b1a1a1a2a (SK1636)
O1b1a1a1b (F789/M1283)
O1b1a1a1b1 (FGC29900/Y9322/Z23667)
O1b1a1a1b1a (B426/FGC29896/Y9033/Z23671)
O1b1a1a1b1a1 (FGC29907/YP3930)
O1b1a1a1b1a2 (B427/Z23680)
O1b1a1a1b1b (Z39485)
O1b1a1a1b1c (B418)
O1b1a1a1b2 (SK1646)
O1b1a1a2 (CTS350) 中国(湖南省)、日本(愛知県)
O1b1a1a3 (Page103)
O1b1a1b (F838) 中国、台湾、ベトナム(ハノイ)、インドネシア(アンボン島)、ミャンマー(エーヤワディ地方域)、チベット民族(四川省カンゼ新竜県)
O1b1a1b1 (F1199)
O1b1a2 (Page59) (旧O2)
O1b1a2a (F993) 中国、台湾、フィリピン、カタール
O1b1a2a1 (F1759)
O1b1a2a1a (CTS1127)
O1b1a2b (F417/M1654)
O1b1a2b1 (F840) 中国(湖北省)
O1b1a2b1a (F1127) 中国(タイ族、北京漢族)
O1b1a2b2 (CTS1451) 韓国、日本(東京都)
O1b1a2c (CTS9996) 中国、ベトナム

上を見るとO1b1は、日本にもいることが分かると思います。三国志に登場する曹操もO1b1を持っていたのである。曹操が生まれたのは、今の安徽省です。

     

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写真 wiki「安徽省」より引用

上の地図は、安徽省の位置が分かるようになっています。安徽省は、長江が流れているので、長江文明を築いた人の子孫かもしれません。O1b2も見ていきます。                            O1b2(旧O2b) (P49, M176) - 日本列島、朝鮮半島、満州に多い。東南アジアやインドネシアでも低頻度に見られる。
O1b2a (F1942/Page92)
O1b2a1 (CTS9259)
O1b2a1a (F1204,F3356,K10)
O1b2a1a1 (CTS713)(旧47z) - 日本人(大和民族、琉球民族)で高頻度にみられる。朝鮮民族、満州族で低頻度。
O1b2a1a1a (CTS1875) - 日本列島
O1b2a1a1a1 (CTS10682) - 日本列島
O1b2a1a1b (Z24598) - 日本列島
O1b2a1a1c (CTS203) - 日本列島
O1b2a1a2 (F2868,F3110,K4) - 日本列島
O1b2a1a2a (L682) - 朝鮮半島に高頻度に見られ、半島南端の全羅道慶尚南道で特に高い。 日本人、満州族、ウデゲ族、ナナイ族[要出典]などにもみられる。
O1b2a1a2a1 (CTS723) - 朝鮮半島
O1b2a1a2a1a (CTS7620) - 日本列島、ナナイ族[1]
O1b2a1a2a1b (A12446)
O1b2a1a2a1b1 (PH40)
O1b2a1a2b (F940) - 遼寧省の満州族に高頻度でみられる。満州系漢族および満州系モンゴル人から度々発見されている。
O1b2a1a3 (CTS10687) - 最大頻度地域は韓国の江原道(カンウォンド)で4%みられ、主に北方民族から発見される。 満州族と朝鮮族、西モンゴルのZakhchin族、シベ族、ブリヤート人、ウズベキスタン、キルギス、北部アフガニスタンのバダフシャーンと南部のバロチ族でも発見される。
O1b2a1a3a (CTS1215)
O1b2a1b (CTS562)
O1b2a2 (Page90)

O1b2の頻度を見ていくと                       日本人 26% -36%
朝鮮民族 19%  -37%
琉球民族 22%  -31% 
満州族 4%-34%
ナナイ族 8%-12%
ウデゲ族 10% 
ブリヤート人 2.0%
インドネシア 19.4%-19.5%
ベトナム 14.0%-17.0%
タイ 4.0%-5.4%
フィリピン 1.3%-1.4%
雲南漢民族 9.7%
漢民族 0% - 2.9% (1/34 西安漢族及び台湾客家)
ニブフ(推定)28.6%

更に国内の頻度では                         沖縄 22.2%
九州 32.1%
徳島 30.0%
静岡 34.4%
青森 30.8%

O1b2を見ると西は中央アジア、南は東南アジア、東は日本、北はシベリアで見つかっていることがわかります。とても気になるのがどのように長江流域からアジア各地に広がったのかです。

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上の写真はハニ族のパトォー・ピー(精霊の門)です。上に木彫りらしき鳥が置かれていることや、鳥を模した造形物を飾る風習もあることが実地を調査した研究者から報告されていることから、日本の神社でよく見られる鳥居の原型は、ハニ族らが長江流域から南下、避難してくる前、長江流域に住んでいた時代の「鳥居」ではないのか、という説もある。大阪和泉市の弥生時代の遺構から、ハニ族の村の門に置く鳥とまったく同じ形の木彫りの鳥が見つかっています。更にO1b2は、雲南漢民族の9.7%から見つかっています。普通の漢民族にはO1b2は、ほとんど見つかっていません。

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写真 wiki「雲南省」より引用

ハニ族は、雲南省やミャンマー、ラオス、ベトナムの山岳地帯に暮らしています。雲南省の人口の67%は、漢民族ですが、ほとんど少数民族との混血ですので9.7%見つかるのは当然であります。ハニ族は、弥生時代の遺跡等から見つかった人骨とDNA 骨格等が一致又は酷似しており、大豆を使った納豆や味噌さらに歌垣の文化、自然崇拝のアニミズム等日本との共通点が多いのです。とても気になるのは、満州人に高頻度なことです。宮脇淳子さんの本には、モンゴルが高麗をせめて来た時に高麗人がいっぱい満州に連行されて満州に住んでる人の先祖をたどると高麗にたどりつく人が多いと書いてあったのでO1b2は、朝鮮に多いのです。つまり朝鮮に住んでいる人をモンゴル人が連行しそれが満州の人の先祖になったということだと予測します。長江文明の遺跡から何が出てきたのかを詳しく書かなかったが、長江文明を築いた人の子孫がわかったと思います。歴史では、黄河文明が中心になっているのは、どうしてでしょうか。それは中華文明とは黄河文明の流れを汲むものだからなのです。長江文明はあまり知られていませんそれは、長江文明の流れを汲むのは、中国南部やインドシナ半島の少数民族だから昔は栄えていても現代では、少数派なのです。日本人は、長江文明の流れを汲む人ともともと日本にいた縄文人が融合したものなのです。日本には、縄文時代から受け継がれている文化、弥生時代に入ってきた文化もあり、その後、漢字が入ってきた日本の歴史や文化を知ると面白いのは、色々な文化が混ざり合った歴史があることです。

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