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12 夫の死とOSHOとの再会

けっして、私の事を過去形で語ってはならない!

私が退院をしてから、夫の癌の進行は思いのほか早く、3ヶ月後に無二の親友と呼んでもいい夫が亡くなった。
夫亡き後、何をする気力も失せ、かつてはやりがいを感じていた仕事も辞め、10年住んでいた夫と2人で購入したマンションも治療費の相殺の為、売却せざるを得なくなり、別の場所へ引っ越しなど、一番辛い時にそれまで大切にしていたものを、手放す事を余儀なくされた。

そんな中でのOSHOとの新たな出会いは、どれほど私の心の支えになった事だろう。
OSHO自身が亡くなる前に「私が死んだら、お前たちの所へもっと気楽に行くことができる」
「けっして、私の事を過去形で語ってはならない!」と言っていたが、彼は約束をきちんと守ってくれた。様々な援助としか言えないものを(夢や、そんな事ありうる?という常識では信じがたい事まで)私は沢山の贈り物を貰った。OSHOとの接触方法は彼のあまたある、本の中から「自動書記」という方法で接触を試みたのだ。

<私なりの自動書記>
私がOSHOに対して聞きたい事がある時は、夜寝る前に聞きたい事をノートに書き、枕元にペンとノートを置いて寝る。翌朝、起きてすぐに浮かんだイメージや、言葉をノートに文字で書いていくだけというシンプルなものだった。閃いた言葉(今は降りてきたといった方がぴったりくるような気がする)や浮かんだイメージを単純にノートに書きこんでいった。

次にノートに記入した事を出来るだけ実行してみる事にした。その際に「そんな事、出来る訳ない!」や「無理!」というワードは極力無視をし、ただ実行していった
少し自分自身を後押しした。
やらないようにしようとする考えには「やってみなきゃわからない!」に
変換し、まずは試してみた。
そこから始まると思って・・・。

そして、実際に実行した結果を検証していった。
過去の自分の思いや行動と自動書記通りに動いてみた結果を比較してみた。
どんな差があったのか。その結果得られたものは何だったのか?
期待通りにいかなかった場合、何が原因だったのか?なぜそういう結果になったのか?
上手くいった、上手くいかなかった、どちらも検証をしていった。
私の場合には結果に大きな差が出て、こんな生き方が出来たのかと驚く事が多かった為、
だんだんと自動書記というものに、信頼を寄せてるようになったのだった。

OSHO曰く、多くの人はやらないだけで、実際に自動書記の能力のある人は大勢いると言っていた。
私の場合には、OSHOや亡くなった夫とコンタクトをとりたいという思いがとても強く難しい事は考えず、ただ実行していった気がする。

後に自動書記に頼らなくても、ダイレクトに接触が出来る様にもなっていった。

そして、私はやり残した宿題を終えて夫の元へ行くつもりでいる。
でも私が死んだら一番先に行くところは、夫の所でくつろぐより先に、

OSHOかな?
なぜかその図まで想像できてしまう、OSHOに会ったら、なぜか「バカバカバカ!」と(子供のようにほんとは甘えたいのに、どうして良いか解らず)和尚の胸をたたき、その後に彼に飛び込み、号泣するような気もしている。
限りない援助と厳しさと愛の何たるかをOSHOには教えてもらった気がしている。

亡くなった直後の夫の夢は、「信じられるかい?俺さ、OSHOに会えたよ!とてつもなく深くて、とてつもなく愛なんだ、そして少し変わっている!」でした。オッジー(亡き夫の名)私も経験しているからわかるよ。“とてつもない愛と、深い”は私もそう思う。でも、一つ訂正させて!OSHOは“少し”所じゃなくて、そこの部分も又、とてつもなく変わっている!と思う。生きている私にアプローチしてくるんだもの。
いくら私が霊媒体質の家系だからって、普通の人にそんなアプローチはびっくりするはず・・・。

でも師のOSHOはそれも前もって言い残している。「弟子には私がわかる!」・・・と。
OSHO・・・あなたという魂は・・・。
そして、今、接触して来たのはOSHOだと、ただわかる、という事も起こり始めた。


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