サピエンス全史、上下巻読み終えて

下巻も読み終えて。

まず人類の歴史を10万年単位で眺めてきて、自分の中の時間軸が今、ぐーーーっと伸びている。

10万年前、ホモサピエンス台頭。
1万年前、農耕出現。
5千年前、貨幣出現。
3千年前、帝国出現。
500年前、近代科学出現。
500年前、資本主義の台頭。

ざっくりこんな感じの歴史を眺めてきた。


そもそもホモサピエンスが、狩猟採集生活を何万年もやってきて、農耕のライフスタイルに変化してから、1万年ほどしか経ってない。狩猟採集のライフスタイルの方がずっと長い。

ハラリさんは、10万年前から「人間はどんな神話を信じているか?」を変遷させてきていると言う。確かにその通りなのだろうなと思う。

宗教とか、資本主義とか、人権だとか、全てその時々で「信じている神話(虚構)」だと言う。

この神話を大規模に共有できる能力の獲得(認知革命)こそが、サピエンスを他の動物種と決定的に分けた要因だという。

この500年くらいは、とにかくヨーロッパの各帝国が、世界を征服していく侵略の時代だったんだなと。そして、ヨーロッパ各国でも覇権争いをしていたけれど、その時に「商人が安心して投資できる」金融制度の整った帝国が、資金調達に成功し、覇権争いにも勝ってきた。


基本的人権だとか、平和だとか、そういう神話(概念、虚構)が、人類全体で「大切なもの」とされてきたのは、本当にごく最近のことだなと感じられる。

ついこないだまで「優秀な人種が、他民族を征服する」という概念は当たり前のことだったんだ。


今ある
「自然との共生」
「基本的人権」
「人種差別」
「資本主義の限界」
といった神話は、本当にごく最近生まれてきたものなのだな、と感じられる。


そしてこういう「神話のアップデート」を人類は繰り返してきた。

そして、そのアップデートのスピードは、指数関数的に上がってきているように思われる。


10万年続いた狩猟採集時代の安定。

数千年続いた農耕部族生活の安定。

2千年超続いた、帝国支配生活の安定。

それが、500年前から「世界は変化し続ける」という風になって(これには近代科学の影響が大きい、とハラリさんは言う)

今やVUCAの時代なんて言われたりしている。

明確な意思やビジョンをもって「この神話をアップデートする」といったことが起こってきたケースは、10万年単位でみるとほとんどない。進化論よろしく「偶発的に」発生してきたというケースが多い。

でも、この100年ほどは違ってきている。「私には夢がある」と、ある一人の黒人男性が言った。この人には明確なビジョンや意志があり「私たちは今あるこの神話を選ばない!」「新しく選ぶ神話はこれだ!」と明確に宣言していた。


500年前からの帝国時代において、黒人奴隷は、まさに「家畜」扱いで、アフリカから「輸入」されてきていた。それは当時の欧州人からすれば、ひどいことでもなんでもなく、普通のこと、当たり前のことだった。それが彼らが共有している「神話」だった。

その神話に「私には夢がある」とハッキリとNoをつきつけ、神話のアップデートをはかろうとした個人の意志やビジョンが、歴史上あったことを私たちは知っている。

生まれや人種で差別しない、といった神話も、現代の私たちには「普通のこと」のように感じられるけれど、300年前には決して普通ではない。

この現代、重要だとされている神話も、多くの、医師や、教育者や、政治家といった人たちが神話のアップデートに文字通り命をかけて、行ってきた恩恵だろう。


正直なところ、上下巻を一気には読み通せなかった。読んでいてしんどいのだ。ハラリさんが編集してくれた歴史は、現代人の私からすると、とても未熟で、身勝手で、暴力的で、陰惨な歴史が積み重ねられてきたように感じられて。


けれど、最後読み終わったときに「私たちには、自分たちの神話を自分たちでアップデートできる力がある」ということを、ハラリさんは言いたかったんじゃないか、と感じられ、それに勇気づけられた。

ハラリさんはそうは書いていないし、学者らしく「未来のことは分からない」と言っているけど。

300年前「戦争はよくないことだ」という神話は、なかった。あったかもしれないが、一部の人たちだけのものだった。「戦争して征服することはよいことだ」「戦争は儲かるからよいことだ」「戦争は、未開人を救済するからよいことだ」そういう神話の方が強かった。


でも、今グローバルで「戦争は避けるべきことだ」という神話の方が強くなっていると思う。少なくとも「じゃんじゃん戦争して、自国だけ儲かればいいじゃん」と公言する人を、首相や大統領に選出するような国はほとんどないだろう。


これは、世界大戦なども経て、人類が共有する神話をアップデートしてきたからなんだろう、と思う。

今も、そこかしこで神話のアップデートが、大規模に、小規模に、行われている。


「企業活動は、自然環境との共生も配慮すべきだ」
「学校は、子供に正解を暗記させるところではない」
「ジェンダーによって人を差別するべきではない」

などなど、数え上げたらキリがないだろうと思う。

そして、本当にどれが「善い」ものなのかは、誰にも分からない。
もしかしたら、明確な階級社会の方が、より安定し、より幸福である、ということもありえるし「幸福」が、神話の良しあしを測る指標でよいのかどうかすら、意見が分かれるかもしれない。


それでも、それらの意見を出し合って、議論を重ねて、自分たちにとっての最善の共有できる神話は何なのか?それを磨き続ける、という行為そのものが、非常に「サピエンスらしい活動」だということに、なるのだろう。


民主主義、というのはそういうプロセスのことを指すのだと思う。

ということで、今年もサピエンスとしての人生を全うしていきたいなと思います。


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