「市民プラットフォーム」探求のご報告

昨年から、メンバーの出入りなどありつつ「市民プラットフォーム」というキーワードに興味関心のある人達で集まり、対話を重ねてきました。

一旦、このタイミングで対話しながらの探求は一区切りということで、このプロセスで自分が学んだことなどを言語化してみたいと思います。

■ことの始まり
もともと、この対話の場が出現したタイミング、僕自身がこの場に参加しようと思ったタイミングでは、イタリアのルソーのような「市民が政策を作っていくプロセス、プラットフォーム」のようなものを出現させたい、というような想いでした。

ルソーについて
https://natural-world.info/2018/07/10/rousseau/


けれど「じゃーそれを日本でもどう作っていくか?」という検討や行動にすっと移っていくことはなく「そもそもプラットフォームとはなにか?」「今、社会で何が起こっているのか?」といったことを探求していくような時間になっていきました。

■個別に展開されている素晴らしい活動の数々

対話を重ねる中で、環境問題、不登校、貧困、企業変革、などなどなどなど、それぞれの領域で、情熱や使命感を持って活動をしている個人や団体は本当にたくさんあることがより見えてきました。

そうした活動の【横のつながり】がもっとあるといいのではないか。大きな方向性としては実現したい未来みたいなものは重なっているところで、もっともっと合流していって大きなうねりにできるのじゃないか、そんなことも話し合われたと思います。


同時に【関心の溝】みたいなことも感じられてきました。SDGsのような領域にとても興味や情熱がある人々と、そういった領域にはほとんど関心がなく、他に大切にしていることがある人々と、流行の言葉でいえば分断といったことがやはりある、というようなことも問題意識として浮かび上がってきたように思います。

そういう対話の積み重ねを経て「年に数回は、こういった問題意識を持った人たちが集まって、交流を温める、親交を深めるような場はやっぱりあるといいよね」というような合意というか、結論みたいなものが生まれてきました。

2020年の11月に一度そのような場を開催しましたが、今後も年に数回は、そういう場を開いていこう、と僕自身思っています。


それは僕の認識では主には【横のつながり】を作る場です。

この「つながり」というのは、もう少し分けて考えると【認識の重なり】と【活動の重なり】に分けられると考えています。


僕自身は企業の活性化や変革が自分の活動の中心ですが、市民活動(討論会や読書会、住民投票運動などなど)が中心の人もいますし、気候変動への取り組みが活動の中心の人もいます。

自分は有限な人間で、時間は24時間しかなくできることは限られていますが、自分が手が届かない領域も、でも大切だと思っている領域も、そうやって「やってくれている人がいる」という認識をできることは、とても幸福なことです。希望を感じますし、安心感も感じます。

そのような「やってくれている人がいる」と思えること、それが【認識の重なり】です。

それぞれの活動内容や想いに触れて「それは自分は時間を割いて関わりたい」となるものもあったりします。そうなると【活動の重なり】も出てくると思います。

活動の重なりは「がっつり入り込んで、毎週の定例会議などにも参加する、作業も行う」みたいなレベルのものもあれば「URLをシェアして、広報の一部を無理ない範囲で手伝う」みたいなレベルのものあるだろうと思います。


この【認識の重なり】や【活動の重なり】が生まれていくこと自体も、素晴らしい価値であると個人的には感じています。

■関心の溝をどうするか。

年に数回、交流して【横のつながり】を持つことはすごく価値があると思います。

一方で縦の深堀りみたいなことも必要で、それは、それぞれの中心の活動の中で、掘り下げて行っていくことが大事なのだなと改めて思いました。

それぞれの領域で、乗り越える必要のある壁や溝などはやはりあって、それについては日々の活動のなかで真摯に取り組み続けることが大切なのだと改めて感じています。


例えば環境問題についても「環境問題についてもっと多くの人に関心を持ってほしい」と思っていたりしたら、その活動の中で「いかに、今関心のない人に関心を持ってもらえるか?」は掘り下げて考えて、行動していくことが大事なのだと思います。


そうしていくことで、それぞれの活動がより力強くなったり、広がったりする。そういう営みについて、年に数回の【横のつながり】の場で共有し、お互いの進捗をお祝いしあったり、そこから学びあったりできるということができるといいのだろうなと思っています

■市民プラットフォームとはなにか?


この【横のつながり】と【縦の深堀り】の往復運動そのものが市民プラットフォームである、というのが現時点での私なりの仮説です。

僕自身は、当初考えていたようなイタリアのルソーのような活動もいずれしっかりと取り組んでいきたいと思っています。それは僕にとっての個別の活動でいいのだろうなと思っています。

いきなりルソーのような状態にはならなくとも、その土壌を耕すとか、種まきをするという意味で、社会的テーマを取り扱ったディベートの場(先日、ワクチンについて一度ディベートをしましたが、個人的には本当に素晴らしい場でした)や、市民アジェンダの場(それぞれの関心ごとを持ち寄って、アジェンダを形成する)といった活動をしていこうと考えています。

もちろん、企業への支援、貢献ということも引き続きやっていきます。


そしてそういった試行錯誤の日々を、年に数回の交流の場で共有させてもらえることはとても嬉しいし、とても有難いなと感じています。そこで【認識の重なり】が生じることももちろんうれしいですし、もしかしたら【活動の重なり】が生まれるご縁もあるかもしれません。


そのように新しい社会が生まれてくるプロセスの中に、自分自身が生き続けていくのだろうと今は思っています。



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