社会変化の波

今、社会変化のうねりのような、大きな変化の胎動を感じている。
2011年東日本大震災のときにも感じたが、2020年コロナ・パンデミックを一つのきっかけとしたこのうねりは、10年前のものよりもより大きく、力強いうねりのように感じられる。

資本主義、市場経済といった、ここ100~500年ほどの常識が揺らいでいるのだと思う。


「人新世の資本論」や「武器としての資本論」などがとても読まれているようだ。少し前はTeal組織がベストセラーになった。マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」のときよりも、より解像度の高い、社会実装に近い議論がされているように思う。田原さんの「出現する参加型社会」もそのうねりの一つだと思う。

資本主義、市場原理、経済成長といった「常識」が、環境問題、気候変動などの問題意識と出会い、修正の方向性としてSDGsといった概念が生まれてきたりしている。


日本社会においては、1976年頃出生率が2を切るようになり、人口拡大フェーズから、人口縮小フェーズへ舵を切っている。

「どんどん経済成長する」という方向性は、もうほぼ間違いなく修正されていくのだろう、と個人的には感じている。

そういったところに問題意識を持ち、議論を重ね、実践できるところから実践していく、という人たちも、身近にたくさんいる。その数は、実感値としては明らかに増えている。


政治の世界では、大西つねきさんにとても注目している。貨幣の発行システムを根本的に変えよう、ということを主張していらっしゃる。

「金利」というものは、経済成長局面では、成長の牽引役として機能するところがあると思うが、成長志向から修正しようとしたときに、「金利」もまた修正せざるを得ないだろうと思う。(ゼロ金利、マイナス金利といったことが存在していることが、既に金利の限界を示し始めていると思う)

これから、日銀や、銀行と言った存在の社会的役割は大きく見直されていくことになると思う。


もう一つ、特許と言った概念も、これから見直されていくことになるかと思う。


また、もう一つ社会システムとしては「雇用の流動性」といったことはおそらくとても重要になって、個人的には「会社(私企業)」と「行政(公共)」の役割分担の修正が重要になるかと思う。

終身雇用大国だった日本だけれど、今後はすぐ解雇されても、公共的な職業再訓練の場で学びなおし、新しい職業に挑戦する・・・ということが、長い人生の中で、2回、3回と起こることも普通だ、と言うことになるように思う。(LIFESHIFTとかはその辺の話をしているのかな)

副業解禁も一つの要素で「働き方」も今後、さらに大きく変わっていくだろう。

■ベーシックインカム

社会保障や税金といったシステムも変わっていくと思うが(変わらざるを得なくなってくるように思う)、


まず、日本には空き家問題があって、要は衣食住の「住」についてはマクロでみると「余っている」ということだと理解している。


Addressという素晴らしいサービスがあるが、コロナでリモートワークが増えて「どこでも働ける」という感覚を持った人たちが、どんどん「空き家に住んで仕事をする=家賃(固定費)をとても下げた生活をする」ということは、さらに増えていくのではないか。


食料自給率は100%ではない、というのはあると思うが、一次産業の従事者は、全労働人口の10%を切るような割合だということを考えると、これもマクロでみると「日本人10人の胃袋を満たすのに、1次産業従事者は1人いれば十分」だということだと思う。


これは乱暴な話になるけれども「日本人として生まれたら、食と住は無償で提供されますよ」ということは、物理的には可能なのだということだと思う。

あとは、それをどういう社会システムで回していくのか、と言うことかと思う。ベーシックインカムというか、ベーシック食住、というのは可能なのではないか。

■企業の変化

間違いなくこの100年ほどの「社会活動の主役」は企業であったと思う。これは言い過ぎではないと思う。

企業は、社会全体が、経済成長を求め、市場競争をよしとしていた時代に適応してきたと思う。


しかし、社会全体が変化していく中で、企業そのものも変化せざるを得なくなってくるのだと思う。


何人か親しい人たちが活動しているが「自然経営研究会」というものがあって、そのコミュニティはもう1000人以上の人たちが参加している。


新しい企業のあり方について模索している人たちは大勢いる。


20代などの若い世代の人たちと話をしていると「経済成長」という感覚が、僕ら40代や、50代以上の人たちとかなり違うことを実感する。

彼らは、相対的に言って、出世すること、収入を上げること、経済成長遂げること、と言うことに対してそれほど情熱を持っていない。

今後、企業は「猛烈に働いて、高い給料をとろう!」という「24時間戦えますか」的スローガンでは、働く人を集めることが難しくなってくるだろう。


被雇用者の意識の変化が、企業のあり方へ変化を求め、対応せざるを得なくなってくる、ということは起こると思う。

■イノベーションは辺境から起こる


これは資本主義社会に対する革命運動なのだと思うのだけれど、いわゆる革命のような流血が必要な革命にはならないで済む、済んでほしい、と思っている。

街からCD屋がなくなったとき、それは割と静かに、そして素早く起きた。それは明らかにiTunesが出てきたからだった。

魅力的な選択肢が出てきたときに、人々はそれを自然と選ぶ。

そして選ばれなくなった選択肢は、自然と消えていく。(もちろん、当時CD屋さんを経営していた人たちは大変な想いをされたと思うが。。。)

実際問題として、今「魅力的な場」を作るために、とても大勢の、情熱溢れる人たちがぐんぐん活動している。そのうねりは、日増しに大きくなっているように見える。


同じビジネスをしていても、働きがいのあるA社と、働きがいのないB社では、A社の方に人材が集まってきて、人材の枯渇によってB社の方が淘汰されていくはありえる。

A社の方がよりよいサービスを顧客に提供できて、顧客からB社が選ばれなくなる、ということももちろん起こりえる。

「どの企業で働くか」「どの土地で暮らすか」ということについて、新しい世代が「こっちのほうが良い」と思ったところの方が、今後繁栄していく、というのは自然の摂理だと思う。

例えば「逆経済特区」のようなものが生まれてきて、そういった場所に人々が集まってくるかもしれない。

その地域では、ベーシック食住が提供され、そこに登記している企業は経済成長を第一義としない。そのような場所に、優秀な人材がひきつけられ、地域として隆盛するみたいなことが起こるかもしれない。


国家の中央集権システムにおける「中央」が変化するのは、最後。のように思う。


各地域で、イノベーションが起きていって、自律分散的な社会システムが実質的に構築されて行って、中央集権システムが役割を終了していく、というようになるのではないか。

ここで書いたような流れは、もう既に起こっていることで、たぶんだけど、この流れは力強く進んでいくように思われる。


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