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「素敵なルネッサンス」 天皇杯決勝・柏レイソル戦:0-0(PK:8-7)

割引あり

———これが決まれば、優勝が決まる。

その5人目のPKキッカーとして登場したのはバフェティンビ・ゴミスだった。

 今季夏に加入した元フランス代表の大物FWだ。勝負を決める5人目のキッカーに彼を指名したのは、世界を渡り歩いてきた経験値と高精度のキック技術に対する信頼だろう。試合後の鬼木達監督が話す。

「バフェは練習でもPKが上手い。他の選手たちも決めてくれると思っていたと思いますが、GKのファインセーブもありました」

 バフェティンビ・ゴミスのキックはさほど甘いコースやボールスピードではなかった。だが柏レイソルのGK松本健太の鋭い横っ飛びにより、ゴールの枠外にかき出された。

祈るように見守っていた黄色いユニフォームの集団がわっと沸く。そして後攻の柏レイソルは5人目の武藤雄樹がきっちりと成功した。運命のPK戦は「サドンデス」に持ち込まれた。

 「サドンデス」・・・懐かしい響きである。

一昔前、どちらか一方がゴールを決めて得点を取った時点で終了する延長戦でのゴールデンゴール方式の決着方法を「サドンデス」と呼んでいた。

 英語で書くと「sudden death」・・・・「突然死」という意味だ。響きが良くないということで「Vゴール方式」となり、さらに「ゴールデンゴール方式」と呼ばれるようになった。

 だがPK戦で6人目に以降の勝負になると、いまだに「サドンデス」のフレーズが使われている。なかなか「死語」にならないサドンデス。「ゴールデンゴール方式」のPK戦だと伝わりにくいからなのだろうか。

 続く6人目。登場したのは登里享平だ。

 川崎フロンターレ一筋、プロ15年目を迎えたサイドバックである。今季は柏レイソル戦でゴールも決めている。ただPKキッカーを務めるのはプロになってから初めて。メンタル的には落ち着いていて、決める気持ちしかなかったというが、左足のキックはまたもGK松本のセービングに防がれた。

 頭を抱える登里享平。次に柏が成功すると、自分たちの負けが決まる。ノボリの脳裏によぎっていたのは、このクラブの未来だったという。

「長く在籍している自分が、後輩とかタイトルを経験していない選手たちに優勝を味わってもらいたい中で(PKを)外してしまった。本当に情けないという思いと、これで相手も外してまたフロンターレが勝てるかどうか・・・どっちの星に自分がいるかと考えてました」

優勝の流れは柏レイソルへと完全に傾いていた。6人目のキッカーである片山瑛一がペナルティスポットに向かっていく。追い詰められた川崎からすると、投了寸前。覚悟を決めなくてはいけない時間だ。

だが次の瞬間、スタジアムに響いたのは乾いた金属音だった。片山のキックはゴールバーを叩いて、大きく弾かれていた。

4人目で失敗した仙頭啓矢のキックもそうだったが、柏のキッカーはゴール上隅ギリギリのコースを狙うことが多かった。おそらく入念に準備をしてきたのだろう。そこに飛べばGKがまず届かない場所だが、わずかでも精度がズレればポストやバーに嫌われる可能性がある。

タイトルのかかった舞台という緊張感と、120分を戦った心身の疲労。そして191cmという体躯を誇るGKチョン・ソンリョンが与える威圧感。何より62,837人という大観衆に見守られながら蹴るPKのキックは、練習とは別次元なのだろう。

九死に一生を得た川崎だったが、状況はまだイーブンである。

登場した7人目は遠野大弥。

ある意味、もっともプレッシャーのかかったキッカーだったかもしれない。

と言うのも、PK戦には流れがあり、特に失敗は連鎖するとも言われている。味方の5人目が失敗。さらに6人目は両チームが失敗した。スタジアムには異様な雰囲気が漂い始めており、明らかに蹴りにくいシチュエーションだったからである。

「緊張して・・・・心臓が口から出るかと思いました(笑)」

難しい流れで巡ってきたPK時の心境を尋ねると、遠野本人はそう笑っていた。それに加えて、気持ちの整理がうまくついていない中で蹴らなくてはならない難しさがあったことも吐露している。

「正直言うと、バフェ(バフェティンビ・ゴミス)は練習でもPKをうまく蹴っていたので、これで決まるなと思っていました。決まったら優勝なので、みんなちょっとソワソワしてて・・・・まだ決まっていないですけど、自分の中でもそれはどこかであったので。次、ノボリくんも失敗して。感情の起伏がコントロールできなかったです(苦笑)」

 それでも、いざ蹴る時は冷静だった。

「そこ(ペナルティスポット)に向かうまでは緊張していたんですけど、ボールを置いて、いざ蹴るとなったらリラックスしていて、自分の間合いで打てました」

 天皇杯のアルビレックス新潟戦でもPKキッカーを務めたが、遠野の助走の短さは独特である。ただ、あれが本人の間合いなのだという。

「同じコースにキーパーが飛んでも取られない位置というか、そういうボールの速さで決めてよかったです。ホッとしました」

 決めた瞬間、腰を落として大きな、大きなガッツポーズを力強く決めた。とても印象的な振る舞いだった。

思えば遠野大弥にとって、自分の人生を変えてきたのがこの天皇杯という大会だった。

 高卒後の彼が最初に所属していたのは、J1、J2、J3の下に位置するJFLのHonda FC。彼はアマチュアのプレーヤーだった。本田技研工業を母体とした社会人サッカークラブだが、天皇杯ではJクラブを破るジャイアントキリングを起こす常連としてお馴染みである。

 2019年の天皇杯では、そのHonda FCが北海道コンサドーレ札幌、徳島ヴォルティス、浦和レッズと、Jリーグクラブを次々と下してベスト8に進出する快挙を果たしているのだが、その中心にいたのが遠野だった。札幌から2ゴール、徳島から1ゴールを記録。天皇杯での活躍とポテンシャルをJリーグのスカウト陣から高く評価され、早くから接触していた川崎フロンターレの移籍を決断した。

 そうやって、彼はこの決勝という舞台に立っている。アマチュアから這い上がってきた男は、国立競技場の異様な空気に飲まれなかった。むしろ、川崎はPK戦の悪い流れを断ち切ったと言える。遠野の成功により、8人目の山根視来、9人目のジョアン・シミッチも決めていく。

 だが、柏も譲らない。

結局、決着がついたのは10人目だった。チョン・ソンリョンと松本健太のGK対決が実現。先にソンリョンが決めると、そのままゴールマウスに立ち、見事な読みで松本のキックをストップした。

 試合中にビッグセーブをしても感情を爆発させない守護神が、大喜びで味方の元に走り出す。ベンチから飛びついたのは、この試合で唯一出番のなかったGK上福元直人だ。赤いユニフォームを着ている者同士の思いが爆発する。PK戦が10人目まで続いたのは、天皇杯決勝史上、最長の記録だった。

 あちこちで歓喜の輪が出来ている。多くの選手は涙を拭っているようだった。

「助けられたというか。ホッとした気持ちと、色々なところに感謝がよぎりました」

PKを外した登里享平は安堵していた。そこにあったのは、チームメートに対する感謝。特に2016年からゴールマウスに立ち、さまざまな修羅場を潜り抜けてきた守護神チョン・ソンリョンとの絆は強い。PK戦における彼に対する絶対的な信頼があったと、試合後のミックスゾーンで明かしている。

「PK戦になれば勝てると思っていたので・・・・誰が言うてんねんていう感じで嫌になるんですけど(笑)。勝つと思っていました」

自らのPK失敗を自虐的にツッコミながら話す様子に、報道陣も笑った。周りを明るくするのがノボリの持ち味だ。

 前回優勝した2021年元日は、リーグ最終節(相手は柏レイソルだった)のアディショナルタイムに左鎖骨骨折したため、ノボリはスタンドから優勝を見守っている。今季のリーグ戦の柏レイソル戦ではゴールを決めて味方と喜んでいたら肩を痛めて、あわや交代になるところだった。だからなのかわからないが、優勝後のカップリフトではやたらと左肩をグルグルと回して、周囲に突っ込まれていた。

 安藤駿介と並んで最古参選手となった彼に聞きたかったことがある。それは、こういう難しい試合展開でも、タイトルを獲れる勝負強さが身について来ているという事実についてだ。勝つかどうか。一発勝負のファイナルには、そこに天と地ほどの差があるが、またも勝ち切った。その勝負強さに胸を張った。

「決勝が初めての選手も多い中で、結果が全てだし、勝ったという事実は自信を持っていいと思います。もちろん、戦い方の部分だったり、メンタルの部分だったり、自分もなかなか落ち着かせられなかった部分がある。その辺でいろんな課題が見えましたが、やっぱりタイトルを獲るか獲らないかで、今後の方向性が変わってくる。しっかりとそういうのを受け止めて、来季、もう一度しっかりとあのチームで闘える集団にしたいなと思います」

 なおPK戦の10人目に両GKが登場したのは、柏の古賀太陽が負傷によりPK戦に参加出来ないという申し出を川崎側が了承したためだった。ルール上、人数を揃えて行わなくてはならないため、鬼木監督は、前日のPK練習の様子からジェジエウをキッカーから外したと話している。

 これにより、お互い10人によるPK決着となったというわけだ。もし10人目のGK対決で決着がつかなければ、また川崎は家長昭博からの2巡目が始まることになっていた・・・・想像したくもない緊張感である。

※12月11日、山根視来に関する約4000文字の長文コラムを追記しました。8人目のキッカーとして登場してPKを成功させると、今まで見せたほど咆哮し、フロンターレのゴール裏も煽りました。優勝後は涙を流しています。チームに対する、どんな思いがそこにはあったのか。

■(※追記)「タイトルを獲れるチームに自分が居たところから、獲れないチームになりかけていた」。山根視来が危機感を抱いたチームの日常。タイトルを獲る集団であるために、彼が果たした役目。

※12月14日、橘田健人に関する約3000文字のコラムを追記しました。今シーズンのチームを語る上で、やはりキャプテン・ケントは外せないからです。彼が背負ってきたもの。困難にどう向き合って、乗り越えてきたのか。そんなお話です。

→■(※追記その2)普段の練習から、どんなにきつくても自分の持ってるものを全部出すって思いながら、1日1日を過ごしてました」(橘田健人)。困難に向き合い続けた若きキャプテンが苦しみの果てに掴んだもの。そして、笑顔で掲げた天皇杯。

※12月17日、PK戦勝利の立役者であるチョン・ソンリョンに関する約4000文字のコラムを追記しました。PK戦では10人目のキッカーとして登場。かなり難しいコースに成功した場面は話題になりました。実はソンリョンは韓国代表時代にゴールを決めたことがあります。Kリーグ時代にはFWとして公式戦に出場したこともあります。そして今回の優勝までの軌跡を振り返った時に、同じくらい死闘だったのが準々決勝の新潟とPK戦でした。あの試合をターニングポイントとしてソンリョンの言葉から振り返っていきたいと思います。

■(※追記その3)「本当に今まで感じたことないような気分、貴重な体験でした」(チョン・ソンリョン)。かつて語っていた韓国代表で得点シーンとKリーグ時代にFWとして出場したエピソード。そして優勝の一体感が生まれた、準々決勝・新潟戦での死闘。


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