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【DQウォーク冒険の書】LV.5〜「りゅうおうの討伐」で思い出す「竜王は生きていた」の伝説。

どうも。ドラクエウォーカー・いしかわごうです。

10月の思い出を振り返ると・・・・やはりドラクエ1イベントですね。なので、ボスだった竜王中心に振り返っていきたいと思います。

■サンリオピューロランドに出現するりゅうおうに雰囲気があり過ぎた件

メガモンスターのりゅうおう討伐。最初に倒した場所が、多摩センターのサンリオピューロランドだったんですよ。

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初討伐に行く時、サブクエストの「りゅうおうの城」もサンリオピューロランドに設置したので、こんな感じで「いかにも」な雰囲気が出ていました。

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しかも、サンリオピューロランドが営業休業日だったので、夜に近づいていくと、もうピューロランドの雰囲気が・・・・もはや「りゅうおうの城」なんすよ。人もいないし、ちょっと不気味だった。

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・・・・・りゅうおうが住んでそうじゃないですか。ちなみに実際に討伐するには敷地内には入れないので周辺を歩きながらタッチして格闘する感じです。初見で、何も対策しないで戦ったから流石に苦戦しましたね。「魅了」とかなんだよ、あれ。

■「りゅうおうの杖」をゲットだぜ!

りゅうおうガチャでは、いきなり「りゅうおうの杖」をゲット。

・・・・ベギラゴンとドルマが打てるんですけど、ゴシックパラソル持ちでマヒャド使いとしては、そこまで嬉しくなかったですねぇ・笑。結局、りゅうおうの防具は当たらなかったんですよ。サリーちゃんのパパになれる頭防具、当てたかったぜ。

ちなみに自分の場合、武器運の引きが強いほうで、星5が出るときは、だいたい武器です。しばらく防具は星4と星3でしのいでましたね。

ちなみにこの時期(10月5日時点)は、主人公のレベルが52ですね。

まだロト装備を持っていなかったので、防具はワイルド装備です。この装備、見かけ的には好きだったりします。

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ちなみに重課金せずともロト装備は揃いました。防具が一回も被らないで、最後のロトの鎧下が出たときは、さすがに歓喜したよね。

■「りゅうおう」のこころS、ゲットだぜ!

10月のドラクエウォークを振り返っていると、ほんと「りゅうおう」関連ばっかりなんですけど、中でも一番嬉しかったのは・・・・・こころのSをゲットしたとき!!いや、まじで。

・・・ほんと、無欲で何も考えていなかったら虹色のこころだったので、「・・・!?」ってなりましたわ。震えたぜ。

ちなみにりゅうおうのこころSは、ターン開始時にMP6が回復する特殊効果があって、これがレベリングの時に便利なんです。いまだに重宝しております。

あと苦労した思い出といえば、やはり「追憶の賢者その3」ですね。なめてかかったら全然勝てなくて、世界樹の若葉が尽きてしまって、リターンマッチの難易度がより高くなったりと、手こずりましたねー。超困難度だけあって、本当に手強かった。


■「竜王は生きていた」とジャンプ放送局に掲載された時の思い出。

ドラクエとは全然関係ないんですけど、少年ジャンプが全盛期の頃、巻末に「ジャンプ放送局」という読者のハガキ投稿コーナーがあったんですよ。

読者コーナーと言っても侮るなかれ、当時の少年ジャンプは600万部売れている世界一の雑誌なので、ハガキを投稿する読者の数も凄まじい数だったので、その競争率も超高いことで有名でした。

聞くと、読者コーナーには毎週4万通ほどのハガキが来ていたそうです。それで1ページのコーナーで採用されるのが20枚くらい。いわば、4万人の中から選ばれる20人なわけです。ジャンプ放送局に掲載されることは、本当に狭き門でした。

僕はというと、学生時代はハガキ職人をしていたのですが・笑、主戦場にしていたのは主に深夜ラジオ(オールナイトニッポンなど)でした。でもジャンプは次元が違いました・・・・そりゃそうですよね。世界一売れている雑誌なんですから。

質の高いネタであることはもちろんこと、それに、いかに面白く調理して表現するのか。ネタの構成や言葉の言い回しを、一文字一文字、句読点にまでこだわって精査し、一枚50円のハガキに想いを表現していましたね。それを毎週10~15枚ぐらいのペースで投稿し続けていました。中高生なので、それぐらいがおこずかいの限界です。

それでも掲載されないのが当たり前で、「俺のハガキ、ちゃんと集英社に届いているのかな?」と思うこともありながらも、淡々と投稿していました。

今思うと、本当に根気と情熱がいる作業ですけど、「ジャンプ放送局に載りたい!」という気持ちだけでずっと続けていて、1年後くらいにようやく載りました。

「ホビーにくびったけ」というゲームに関するネタのコーナーです。

あれは自分の人生の嬉しかった瞬間のベスト3には確実に入りますね・笑。

だって、まだドラゴンボールが連載されている時期のジャンプに、自分のネタが載っているわけですから。もちろん、周囲は「すげぇーー」とものすごく喜んでくれて友達はわざわざ電話してくるし、学校でも人気者にもなるしで、反響も大きさに「さすがジャンプ!!」と思いましたね。

当時はインターネットが普及してない時代で、個人(しかも学生)が何かを表現するという場はほとんどなかっただけに、自分の考えたことを世の中の人に見て反応をもらうというあの体験は、もしかしたらライターである現在の自分を形成する大きな要素になっているとも思います。「北海道の田舎の少年でも頑張れば少年ジャンプに載れるんじゃん!」って自信がついたんですね。

・・・そんな僕の話はどうでもいいんですけど、この「ジャンプ放送局」で最も有名だった投稿戦士(ハガキ職人)が 「竜王は生きていた」というペンネームの人だったんですよ。

もう、ぶっちぎりの常連。連続優勝も果たしてます。もちろん、ネタのセンスも抜群で才能にあふれる人だったのですが、ドラクエから来ているこのペンネームのインパクトも強烈でした。

数年後、 「竜王は生きていた」さんが、北本かつらというペンネームで、「トリビアの泉」「やりすぎコージー」「くりぃむナントカ」等を手がける放送作家として第一線で活躍していると知った時は驚いたもんです。芸人のだいたひかるとも結婚してニュースになりました(現在は離婚し、再婚してるそうです)。

ドラクエウォークで「りゅうおう」の討伐をしていて、伝説の投稿戦士を思い出すという話でした・笑。

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