鬼木フロンターレとは何だったのか:Vol.5〜カップ戦のマネジメント力と、唯一負けたファイナル。そして三好康児と板倉滉という教え子。
就任初年度の鬼木監督がカップ戦で見せた起用法について語りたいと思います。
とりわけ印象的だったのが、ルヴァンカップです。
この大会は、2017年に21歳以下の選手を先発起用しなければいけないレギュレーションに初めて変更がありました。
当時の川崎フロンターレでの21歳以下となる対象選手は、田中碧、タビナス・ジェファーソン、三好康児、板倉滉の4人。ルヴァンカップ期間中は車屋紳太郎が日本代表に選出されていたので、そこを「引き算」してチーム編成を考えなくてはいけないというだけではなく、21歳以下の若手を先発に加える「足し算」する必要もありました。
ある意味で、メンバー選考に強制的とも言える「制限」が加わるわけですが、そこも監督としては腕の見せ所です。その影響を監督としてどう捉えているのか。
ある試合の前々日の囲み取材でその見解を聞いてみると、前向きな反応が返ってきました。
「使い切れない選手を思い切って使える。普段のリーグ戦だと、どうしようかなと迷う選手をこのレギュレーションで思い切って使えるんですね。本人たちのモチベーションも高くなるし、それで実際、試合に出て力をつけてきている選手もいる。それは悪いことではないと思います」(鬼木監督)
なるほど。制限があることで、これまで起用の際にできなかった思い切った決断ができると捉えているわけです。
この年(2017年)はACLに出場したため、フロンターレは決勝トーナメントから登場し、相手はFC東京。21歳枠でいうと、田中碧とタビナス・ジェファーソンは当時新人で、実力面を考えると、板倉滉と三好康児の二択だったと思います。
最初にチャンスを得たのは板倉滉でした。1stレグでは板倉を起用し、かつ8人を入れ替えて主力を揃えたFC東京に勝っています。
カップ戦の予選ならまだしも、決勝トーナメントで主力を休ませながら戦うということは、テンポの違う選手、目が揃っていない選手が入ると、チームが機能不全を起こしてしまいがちな風間前監督時代にはできなかったマネジメントに感じました。
この前体制を少し振り返ると、風間監督時代の初期から中期は、大久保嘉人と中村憲剛という大黒柱がおり、そこに大島僚太、小林悠、谷口彰悟などの主力が絶好調のときには素晴らしいサッカーを展開できていました。
選手が30人いても、うまくできる選手が11人いれば、それでいいというスタンスでチーム作りをしているからですが、替えの効かないメンバーで戦っているため、どうしても顔ぶれを固定せざるを得なくなる難しさを抱えていました。
選手も生身の人間ですから、連戦が続くとコンディションも低下します。いつも絶好調とはいきませんし、長いシーズン中にケガもあります。特に夏場はガクッとパフォーマンスが落ちましたし、悪いときのチームのパフォーマンスは下げ止まりが効かずにとことん悪いという、乱気流が激しいチームでした。
ラストシーズンとなった2016年は、大久保嘉人と中村憲剛の依存度が低くなり、大島僚太、小林悠、谷口彰悟、車屋紳太郎という若手が要となり、チョン・ソンリョン、エドゥアルド・ネット、エドゥアルドといった外国人選手の補強も大成功して、リーグではクラブ最多となる勝ち点を積み上げました。
しかし、シーズン終盤には大島僚太と小林悠を欠き失速。年間1位を取り損ね、彼らを欠いたチャンピオンシップでは鹿島アントラーズに屈しています。天皇杯も固定メンバーで戦い続けて決勝まで進みましたが、鹿島の勝負強さに屈して無冠に終わっています。
その意味で、カップ戦での鬼木監督のこうしたやりくりは満足のいくものです。
8人を入れ替えて第1戦を勝ち、第2戦はベストメンバーで臨んで前半で勝負をつける。準決勝のベガルタ仙台戦では第1戦を板倉、第2戦で三好を起用し、三好は勝ち抜けに繋がる貴重なゴールを決めています。起用に応えた教え子の活躍もあり、17年のフロンターレは2009年以来となるルヴァンカップ決勝の舞台に進みました。
余談ですが、鬼木達監督と三好康児&板倉滉の関係性も伝えておきます。
鬼木達監督が現役を引退したのは2006年シーズンです。
川崎フロンターレでスパイクを脱ぎ、その翌年からクラブで指導者としてのキャリアが始まったわけですが、その2007年に川崎フロンターレはナビスコカップ決勝に進んでいます。
クラブとしては二度目でしたが、2005年のJ1復帰後からは初めて進んだファイナルの舞台でした。場所は国立競技場で、相手はガンバ大阪です。試合は0-1で惜敗してますが、当時育成コーチとして活動していた鬼木監督は、フロンターレのアカデミー生を引率して現地で観戦しています。
その時のアカデミー生が、幼き日の三好康児と板倉滉でした。このとき、鬼木監督に密着した番組特集が組まれていたようで、テレビカメラに向かって「フロンターレ勝つよ」と宣言した少年が幼き日の板倉だったりします。
放送から10年後の2017年のルヴァンカップ決勝を迎える際、その映像がサポーターの間で密かな話題になっていました。そのことを板倉滉に聞いたところ、「みんなから聞きました。カメラ見つけるとすぐに走っていく子だったので(笑)」と笑い、当時のことをこう回想します。
「2007年のことはだいぶ覚えていますね。国立の決勝を、オニさんと観にいって負けてしまった。遠足みたいな感じで、オニさんに引き連れられましたね。オニさんの特集なのに、自分にカメラが向けられると、『フロンターレ勝つよ』って言いました。
感慨深いですよね。まさか一緒に行っていたオニさんが監督になって、自分がプレイヤーとして(決勝戦を)迎えるとは。サポーターながら悔しい思いをしたし、そこの舞台に立てるのは幸せ。サポーターと勝って喜びたいですね。OBのこともそうですけど、J2のときから応援していて、等々力の観客が入っていないときから自分が応援している。OBが積み上げてきたものはすごいし、それを背負わないといけない。みんなと喜び合って優勝したいし、優勝したときの気分を味わいたいです」
一方の三好康児は、板倉ほど鮮明には覚えていないと言います。彼はこういうところがクールなんですよね。ミーハーではないというか。でも背負っているものは同じです。いつもながら淡々と、それでいて強い気持ちを覗かせます。
「場の雰囲気は覚えていますね。自分も小学生ながらフロンターレの一員だったので、負けたのは悔しかった。見てるだけだったけど、戦っている気持ちだった。あのときとは違う気持ちですが、プレイヤーとして決勝の舞台に立てるのはなかなかない。借りを返す。何か縁があるのかもしれないし、あのときの悔しさを忘れずに戦えたらと思う。サポーターの中には選手以上に悔しがっている人もいる。そういう人のためにも戦わなくてはいけないと思います」
そして自分の思いを口にします。
「自分が小さいときに決勝を見に来たように、アカデミーの子が見に来るかもしれない。憧れるような存在になれるように。そしてケンゴさんにカップを掲げてほしい」
2人がアカデミー一期生だったことは有名ですが、当時の高崎康嗣監督がとても厳しい方だったそうです。練習が終わると選手は個別に呼ばれて、誰かしら泣いて帰って来る。その帰りに、鬼木コーチの車で送ってもらういうのが日常だったと言います。三好や板倉にとってはお兄さんみたいな存在だったのかもしれませんね。
その後、三好と板倉は海外に活躍の舞台を移し、共に東京五輪に出場。板倉は日本代表としてカタールワールドカップにも出場し、日本代表の最終ラインに欠かせぬ存在となっています。三好はイングランド2部を経て、ブンデスリーガに。フロンターレ育ちの盟友2人は、現在ドイツのブンデスリーガでプレーしており、少年時代と変わらずに切磋琢磨する間柄を続けています。
話を戻します。
2007年の巡り合わせから10年越しに臨んだルヴァンカップ・ファイナルの舞台でしたが、残念ながら、クラブの歴史は動かせませんでした。
セレッソ大阪に0-2で敗戦。
開始直後に、エドゥアルドがゴール前でまさかの空振り。それを杉本健勇に決められて失点して、その1点がずしりと重くのしかかり、チームの攻撃は最後まで噛み合うことがありませんでした。またも頂には届かず、元日の天皇杯準優勝を含めて今年2つ目となるシルバーメダルを握り締め、選手たちは表彰台を見上げて悔しさを噛み締めています。
鬼木監督もこの試合の采配やマネジメントは悔やんでいました。なお、これは数年後に聞いた話ですが、ルヴァンカップ決勝には前夜祭があり、そのときにチームの雰囲気がいつもより緩んでいることに違和感を覚えたそうです。
現在ならば、そうした緩みを敏感に感じ取り、試合前に何らかのアプローチをするはずですが、当時は新人監督であり、指揮官として迎える初めてのファイナル。違和感を抱きながらも、そのままの空気で試合を迎えてしまったことは、自身も経験不足だったと漏らしています。
チームとしてのこの悔しさは、1ヶ月後のリーグ優勝、もっと言えば、2年後の2019年にルヴァンカップ優勝に生かされるわけですが、それは後になって言えることです。
興味深かったのは、鬼木監督はあの敗戦にどう向き合い、過ごしていたのかです。トレーニングを再開するまでの三日間のオフ期間、気分転換することもなく、真正面から向き合っていたと言います。
「(オフの)三日間は手付かずというか・・・そんなに、どっかに行ったとかもないですけど、サッカーを見ましたね。海外を含めて。もう一回サッカーでどうにかしないと。海外のサッカーを見て刺激を得た。ああ、もっとこうしないといけないとかいう思いがあった。そういう思いもあって、選手には高い要求をしました。やりきる力強さですね」(鬼木監督)
鬼木監督は、普段、まったくお酒を飲まないそうです。そもそもお酒に弱いので、飲むとすぐ寝てしまうとのことでした。特別な趣味もないと言ってました。だからやけ酒をするのでもなく、サッカーから離れるのでもなく、むしろサッカーに没頭して、真正面から向き合う。なんとも鬼木監督らしいエピソードだなと、今になって思います。
この時、残されていたリーグ戦は3試合。「次で今シーズン最高の試合を見せる」と鬼木監督は宣言しています。
「自分たちのところは、やりかたどうこうではない。ホームで戦えるのも、あと2試合。次で今シーズン最高の試合を見せる。そしてホーム最終戦でもっとよい試合を見せる」(鬼木監督)
そして2連勝で迎えた最終節で、大宮アルディージャに5-0と最高の試合を見せて、逆転でのリーグ初優勝という最高の景色をサポーターに見せてくれています。
いま考えると、8シーズン指揮してきた鬼木監督がカップ戦のファイナルで負けたのは、2017年のルヴァンカップ決勝だけです。その後の3回(天皇杯2回、ルヴァン1回)は勝っています。つまり、あの負けからいろんなものを得たのだと思いますし、あの負けが指導者としての大きな糧になったのだと思います。
今回はそんな初年度におけるカップ戦の思い出を振り返ってみました。