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映画本「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」を語る:天才・井上雄彦が抱えた「言語化」という葛藤。

どうも、いしかわごうです。

スラムダンクの映画公開後の12月15日に発売された「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」という書籍があります。

 映画の絵コンテや井上雄彦先生のロングインタビューを収録した一冊で、今回の映画とリンクしていると言われている、幻の読み切り漫画「ピアス」も収録されています。

僕はこの書籍を発売当日の朝10時に本屋に行って購入したわけですが・笑、井上先生が尋常じゃない情熱と膨大な作業量を注ぎ込んで完成させた映画であることがわかる内容となっております。これを読むと、「もう一度、映画を観に行きたい!」という気持ちが溢れてしまいますので、ぜひ読みましょう。

■井上雄彦先生が明かした、読者に対する責任とは?

 この書籍の最大の読みどころは、何と言っても、井上雄彦先生のロングインタビュー。今回の映画制作に至った心情の変化、そしてどんな試行錯誤を経て完成にたどり着いたのか。そんなプロセスを余すところなく語っています。

 インタビューは「なぜ映画化することにしたのか」という根本的な疑問から綴られています。

 そこにあったのは、読者に対する責任だった、と言います。

山王工業戦が終わったタイミングで物語を終わらせることは、自身の中で決めていたのは事実で、その決断に後悔はない。でも、物語を受け取る読者にとってはそうではなかったこと。

 井上先生の心の中には、スラムダンクの連載終了後から、そこに対する思いがずっと引っかかっていて、どこか心残りになっていたのです。

■唐突だったスラムダンクの最終回

自分が、当時の少年ジャンプ読者であったのでわかりますが、スラムダンクという作品は、人気絶頂だったにもかかわらず、何の告知もなく突然終わったと感じたのは事実です。

しかも最終回はジャンプの表紙を飾っていました。

(保管しているスラムダンク最終回の少年ジャンプ)

(有名な話ですが少年ジャンプの長い歴史の中で、最終回で巻頭カラーと表紙を飾った漫画は、スラムダンクとこち亀だけ。あのドラゴンボールや鬼滅の刃も最終回は表紙を飾っておりません)

なので当時はまさか最終回だとは思わずに読み進めたら「第1部完」。「スラムダンク、終わったーー!」とクラス中で大騒ぎになったのを覚えています。

(様々な憶測を呼んだ「第1部 完」の表記)

とにかく「なんでだよ!!?」と頭の中に驚きと疑問がたくさん浮かびました。だって、山王戦が終わってもまだ全国の猛者ども(名朋工業、愛和学院、大栄学園など)との対戦が控えていましたからね。

話は逸れましたが、そうした経緯があったことで、唐突な別れだったことに対して、「読者を傷つけたかもしれない」という気持ちをずっと抱えていたと井上先生は明かしています。そこから「読者に喜んでもらいたい」という気持ちを表現したのが、2004年のあれから10日後のイベントだったとも言えます。

しかしその後、漫画が描けないほどのスランプになり、バガボンドやリアルも掲載ペースが落ちていきます。

■「プロフェッショナル 仕事の流儀」で垣間見た作品との向き合い方

あれは2009年ごろだったと思いますが、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で井上雄彦先生に密着した回がありました。バガボンドの最終章に向けたドキュメントだったのですが、これがすごかったんです。

喫茶店を何件もハシゴしながらバガボンドの世界に自分が入ってネームを考え、それでもまるでうまくいかず、締め切り前日になってようやく下書きを描きあげて、のたうちまわるように原稿完成に取り掛かる姿は、まさに壮絶。「自分の手に負えないことをやる」を信条に、ひたすた自分の向上心と向き合い、追い込みながら漫画を作っていく作業は、修行僧のようでした。

今でもたまに見返すのですが、「天才・井上雄彦に比べて、お前はこの何分の1ぐらいの頑張りなんだ?」と言われてるような気分になり、見るたびに身が引き締まります。DVDにもなっているので、鑑賞の価値ありですよ。

 でも、あのドキュメントを見ると、気軽に「バガボンドの続きを早く描いてください」なんて言えなくなりますね。

■天才が抱えた「言語化」という葛藤



 そして今回の「THE FIRST SLAM DUNK」の映画制作も、途方もない作業で成り立っていました。収録されている映画のためのカットや、演出の指示が収録されている絵コンテなどは圧巻です。そこはぜひ書籍を読んで圧倒されてみてください。

 その中のインタビューで興味深いことを話していた部分がありました。

それは、井上先生は映画の監督をするにあたって「言語化」に初めて向き合ったと述べていたことです。

これまで、自分の漫画に対しては、頑なに言語化を避けていたと言います。漫画を描く上で井上先生がこれまで大事にしていたのは、直感やセンスだったからです。

 これは天才ならではの言い分なんですよ。
言葉にせずとも「なんとなくでできてしまう」ので、そこのメカニズムをわざわざ言語化して意識する必要がなかったのでしょう。

 サッカーでも「言語化」の重要性は、近年、言われ始めています。

スポーツは瞬間の局面が多いので、「感覚の領域」になりやすいですが、そこであえてその感覚を言葉に落とし込んでみる作業をしてみると、メリットが多いからです。

例えばうまくいかなかった場面の反省では、それが肉体的な問題なのか、それとも判断力の問題なのか、あるいは技術的な問題なのか。技術だとしたら、身体の部位のどこの使い方なのかなど、徹底的に言語化した分析によって落とし込んでみる。

自分を客観的に捉えながら、筋見て立ててコメントする作業を意識的に取り組むことで、自分にもわかるし、他人にも説明できるのでチームメートとも共有しやすくなるわけです。ブラックボックスにならず、自分の引き出しにラベルをつけて整理できるんです。

そうなると問題の原因がわかりやすいですし、どこが悪かったのかのフィードバックもしやすくなります。

 しかし「言語化」というのは論理的に説明をする、一般化するという作業が多くなるわけで、言い換えると、センスや直感の部分をそぎ落とす作業でもあります。

井上先生のような天才にとっては、誰でもできる、理解できるように落とし込むことが言語化でもあるからです。だから言語化をしてしまうと、自分の武器である直感が失われる恐怖があったと言います。

そんな葛藤を抱えながらも作り上げた映画だと、書籍の中では明かしていました。

そして今回の挑戦で「絵がうまくなった」と井上先生は言います。

この領域になっても新しい挑戦をして、そしてレベルアップを実感できる・・・・そんな挑戦の結果が、今回の映画「THE FIRST SLAM DUNK」なのです。

この本ではそんなプロセスが綴られています。

こりゃ、3回目も観ないといけないですね。

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<鑑賞1回目のレビューです>

<鑑賞2回目のレビューです>


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