「自己肯定感」という罠について

色んなプロジェクトや作品の仕込みがだいぶ進んできていているのですが、外部に向けたアウトプットをする機会が最近なさすぎるので、近頃よく考えたり周りの人に話したりしていることをまとめて書いてみます。

近頃、というかもうずいぶん長いこと「自己肯定感を高めよう」という言葉や「自己肯定感が低くて気を病んでいる」というような言葉が人気でよく使われています。

僕は個人的にこの「自己肯定感が低い」という言葉を使わないようにしており、周りの人にも出来るだけ使わない方がいいよと忠告しています。

大げさに言うと「使った瞬間に呪われて抜け出せなくなる超危険なワード」として理解しておいた方がいいかなと思います。

「自己肯定感が低い」と言うべきでない理由①

「非常にあやふやな概念だから」です。

「自己肯定感が低い状態」というのを図示してみましょう。

この右側の状態が「自己肯定感の低い状態」ですが、この真ん中の棒は何でしょうか。

先に挙げたグロービスの記事を元にするとこんな感じです。

  • 自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定する感覚

  • 他者と比較することなく自分自身を尊重すると高まる

  • 「今の自分」を認めると高まる

他者が自分に対して下している評価や視線に比して自分自身を肯定できているのが自己肯定感の高い状態というわけですから、この赤い線は「他者からの評価」ということになりますね。

こうなると「他者からの評価に比べて自己肯定感が高い・低い」という文章には違和感が出てきます。なぜなら他者評価に対置されるのは自己評価だからです。

他者からの評価は(往々にしてそうでなくなることもありますが)客観的なもので、その主体が自分以外の誰かです。
それに対置されるべきは(これも往々にしてそうでなくなることもありますが)同じく客観的なもので、主体が自分自身である「自己評価」でなければいけません。

語は正しく使用しないと思考が迷子になります。正しく「自己評価」という語を使用し、あやふやな「自己肯定感」という言葉でごまかさない方が気を無駄に病まずに済みます。

「自己肯定感が低い」と言うべきでない理由②

「気付かないうちにめちゃくちゃ偉そうなことを言っているから」です。

「自分って自己肯定感が低いんですよね」という言葉は人がよく使いがちなのですが、僕はこの言葉自体が自己を無限に肥大化させかねない危険な言葉だと考えています。

改めてさっきの図です。

一般的に、自己評価と他者評価を比較して自己評価の方が高い場合、その人は「尊大である」「自分を勘違いしている」とされ、逆に相対的に自己評価の方が低い場合「謙虚である」「慎ましやか」とされ、美徳となりますね。

この場合は向かって左側が尊大、右側が謙虚な自己評価を持っているということになります。

ここでひとつ実験的に、自己肯定感という語を使って表現されている文章を「自己評価」に置き換えて見てみましょう。

  • 自分は自己評価が低い

  • 他人からの目線ばかり気にしてありのままの自分を評価できない

  • 自己評価が高い人はポジティブな考えを持っている

  • 自己評価が低いせいで今の自分を否定してしまう

違和感がありませんか?
僕にはあります。

というのも、そもそも「自己評価が低い」というのは「他者からの評価よりも自分の評価が低い」という状態ですから、すなわち「謙虚である」とうことのはずです。

ですが、「自分は謙虚だ」と言うとどうでしょうか?

「自分は謙虚すぎてなかなかポジティブに自分を受け入れられないんです」
「あの人は尊大だから何でもポジティブに考えられますよね」
という状態は、どう受け取っても自己評価が低いとは言えません。
自分で自分を「謙虚だ」と言ってしまった時点で、自分の自分自身への評価は相対的に高い状態になってしまうというわけです。

実際、自己肯定感を持つための方法として巷で語られているのは「ありのままの自分を受け入れること」「他者の評価を気にしないこと」というのが多く、「自分は謙虚すぎるのですがどうすればいいですか」という問いに対して「もっと尊大でいいよ」という返答をしているというわけです。これでは無限に尊大になり続けるモンスターが発生してしまいます。

ですが、ちょっと想像してみれば分かることですが、周りの自分への評価が自分の自分自身への評価よりも高い状態の方が心理的には健全な状態ですから、尊大になればなるほど気を病んでしまうことになります。

というのも、自己評価の高低というのは普通に周りにちょっとしたことでバレるので、「あの人は自己評価が高い」と思われている状態は周囲から自尊心を削られますし、そもそも自分の良心が削りに来ます。

したがって「自己肯定感が低くて生きづらい」と言うことそのものが「(自分は本来はもっと肯定されるべき存在なのに)自己肯定感が低くて(周りからの不当な評価のせいで)生きづらい」という風に周囲に聞こえてしまい、結果としてそれ自体が自分の自尊心を破壊しているというわけです。

人間は意外とみんなそれなりに謙虚でそれなりに尊大な生き物なので、自信のあるところないところがあって然るべきなのですが、実際に不当な評価ばかりしてくる職場や家庭にずっといると自己評価の軸がバグります。

一旦自己評価の軸がバグると、自分の持っている素晴らしいところを不当に貶めたり、逆に大してそんなにすごくないところを一生懸命誇示したりして、結果として周囲と自分とで自分自身への評価の様子が大きくズレてしまいます。
相対的には自己評価が低い方が「謙虚だ」と周りから思ってもらえるので若干はマシですが、これもあまりに行き過ぎると「こんなゴミクソカスカスゴミカスみたいな自分をこの人々はなぜ評価するのか……信じられない……」となって、それはそれで面倒なことになりますから、やっぱり自己評価と他者評価はできるだけ近い方がいいというわけです。

そして、どう考えても周囲からの自分への評価がおかしいというときは環境を変えてみるのも大事です。世の中には異様な生態系を保ったまま限界集落化している危険領域というものがあるので、世の中の一般的な尺度と違うと感じたらとっとと抜け出すのが吉です。
逆に、自分の方がおかしいかも? と思ったら適切に疑うことも大事です。自己評価には色んな軸を立てられますし、何でもかんでも超スーパーできちゃう人なんて存在しないので、冷静に自分を見つめて正しく評価することが大事です。

まとめ

  • 「自己肯定感」という言葉は使うと心が呪われる邪悪なワードだよ

  • 「自己肯定感」よりも「自己評価」という言葉を使って正しく自分を認識しようね

  • 「自己評価」に対応するのは「他者評価」で、できるだけ近づけようね

  • 「自己評価」がおかしいと思ったら修正しよう

  • 「他者評価」がおかしいと思ったら環境を変えよう

良い大人は正しい自己認識をして元気に仕事をし、おいしいごはんとお酒をいただきましょう。


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