お護摩のときに感じていること(お護摩に何度か行かれた方向け)

私は1年半ほどお護摩に通っているのだが、それは毎回必ず心身になにかが起こるからである。
その変化には、大きく分けると5つのステップがあると感じている。

1.行く前
2.お護摩の前半
3.お護摩の後半
4.お護摩の最後
5.終わったあと


1.行く前

行く!と決めた日や、いよいよ明日だぞ〜!とワクワクしているとき、そして当日お寺に向かうまでの間。行くと決めただけで自然と日頃の行いを振り返り反省したり、自分が何を不満に思い何を望んでいるのかがうっすら洗い出されたりする感じがしている。

2.お護摩の前半

毎回ものすごく楽しみに伺っているので、始まった瞬間はキター!という気持ちになる。本当は拍手をしたいような気持ちをこらえている。音楽や演劇などが好きな方が開演前や演者の登場時に感じている気持ちとかなり似ていると思う。
そのときお寺は静か(法螺貝の音を除き)で荘厳な雰囲気なのだが、一方で当方の心の中はかなり騒がしい。お経を一緒にお唱えしながら、興奮状態がしばらく続く。頭の中にはしばしば雑念が起こる。何をお願いしにきたのか忘れていることも多い。

3.お護摩の後半

お経やご真言を唱え続けていると、声に少しずつ力強さが出てくるような感じがしてくる。お坊さんがたと参詣者の声がだんだん溶け合うような感じで、きれいなハーモニーが生まれるとゾクッとする。学生時代に合唱したときの感覚を思い出す。
それにともなって、さきほどまで興奮していた気持ちが徐々に落ち着き、整っていく感覚が出てくる。
コマを回した時、最初は軸がぶれているが、だんだん整ってまっすぐ立つ感じに近いとも言えるし、あちこちから吹き荒れている風が穏やかに静まった状態にも近いし、ぐちゃぐちゃだった粘土を丁寧にこねているとなめらかにまとまっていく感覚にも近いと感じる。ビシッとまとまっているというよりも、「おーなんかまとまってきたぞー」くらいのゆらぎや遊びをもたせた自然なまとまりという感じ。興奮から鎮静の状態に近づいているのかなと思う。
とはいえ雑念がきれいさっぱりなくなるというわけではなく、頭の中は静かにいろいろと動いている。たまにぽっと余計なことを考えてしまったり、お願いしにきたことと違う願いがふと湧いてきたりすることがある。忘れていた誰かの幸せを願いたい気持ちになってみたりなど。
また、この段階で感極まって泣いたりすることもたまにあり、やはり普段の精神状態とは違った状態になっているのだと思う。落ち着いているのに高まっているという、不思議な感覚。
また、自分の体調や抱えている状況によるのか、その感覚があまり起こらないときもある。いつもここに至る過程を楽しく味わっている(楽しんでいいものなのかどうかはわからない)。

4.お護摩の最後

そのいい感じでまとまってきたフィーリングの中で、お加持を授けていただく時間が訪れる。おそらくここがお護摩のクライマックスなのだと思う。
お加持のことはちゃんとわかっていないのだが、お坊さんが仏さまの力を受け取って仏さまと同体になり、我々にご利益をくださるようなことだと感じている。
ちなみにその仏さまはお護摩の種類によっていろいろ違うのだそう。私が参加したことのあるお護摩は、お不動さま(不動明王)と虚空蔵菩薩さまのもの。火をそれぞれの仏さまに供物として捧げることで、それぞれのお力をもらえるということらしい。神社でお祀りする神様によってご利益が違うことと同じようなことなのではないかと思う。
お坊さんは我々にはわからないインドの言葉っぽいものをお唱えになり、我々は合掌しながら頭を下げる。するとお坊さんはお数珠を手にして、呪文のような言葉を唱えながら頭と肩をポンポンしてくださる。
この前の段階までは平常心で、今日はこういう気持ちのまま終わるのかなーなどと思っている時もあるのだが、そういう回でも不思議とこのお加持のときには、内からグワーッとなにかが湧き上がるような感覚が生まれる。そして、もう願いが叶ったような感じとか、心の奥底にあった本当の気持ちとか、押し込めている辛い思いなどがあふれてくる。いいものも悪いものも吹き出してくるけれど、それが全部良し悪しを超えたなにかすごいものとして出てくるというような…。
このお加持の時間は、血縁や性別を超えた本当の親みたいな存在に包まれたような気持ちになって、安心感に包まれる。

5.終わったあと

お護摩の直後から翌日、場合によっては数日くらい、お護摩の最中やお加持の瞬間に感じた気持ちの余韻が続くことが多い。
お加持の瞬間に感じた気持ちが強いほどその余韻が強く長くなるというわけでもないのが面白いところだなあと思っている。最中に泣くほど感激したけれど、余韻というよりは晴れやかな気持ちが残ってスッと引いていくみたいなときもあれば、今回は気持ちの変化がゆるやかだったなあと感じた回に、ものすごく長い余韻を感じたこともあった。
こういう変化も含め、お護摩のプログラム的なものはまったく同じであっても、全然違う気持ちを抱くところが本当に面白い。さあ今回は何が起こるのかな?と思いながら、これからも通い続けるのだと思う。

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