自分とは、何者か。(5/5)

今回は本当に長くてすみません。
自分とは、何者か。(1/5)からの5連作、最終章です。

私たちの「運命」。

先日、あるインタビューを何気なく読んで、思いがけなく心を揺さぶられた。

「女性たちが職場で日常的にセクハラ被害に遭っていると聞けば、多くの人はそんな仕事は辞めるべきだとか、もっといいい職場があるはずだとか言うだろう。でも彼女たちは、このアメリカで生きていかなきゃいけない。彼女たちがこの国で安心して働けるようになるには、社会に根付いている悪しき習慣を根底から正さなくてはならないんだ」
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/27983/2/1/1

「でも彼女たちは、このアメリカで生きていかなきゃいけない。」

この「アメリカ」は、単に「場所」と置き換えてもいいのではないか。あるいは「この世界」「この世」でもいい。
彼女たちは、逃げられないたくさんの条件によって「その世界」に縛りつけられている。そもそも「ハラスメント」という言葉自体が、「逃げられない」という問題を含んでいるのだ。自分に対して権力を持つ人間、逆らえない人間からされる嫌がらせが「ハラスメント」なのだ。

「彼女たち」だけではない。性別や年齢を問わず、ほとんどだれもがそうなのだ。収入の問題、養っている人間の問題、住む場所の問題、権力の問題。不安や健康、体質、理不尽なルール、差別、記憶、仕返し、投影、恐怖や暴力。逃げたり避けたりすることのできないものたちのなかで私たちは生きている。私たちは本当は、あらゆるものに支配されきっているのではないか。

私たちは建前上は「何でも自由に選べる」ことになっている。夢も、愛も、人生の全てを、自分の意志で選び、気に入らなければ何度でも変更することができる、ということになっている。

しかしそれは、あくまでタテマエである。

私たちは、生まれる場所も、両親も、時代も、環境も、その全てを選ぶことなく生まれてくる。「自分とは何者か」という問いに対して、生まれたその瞬間から実にたくさんのことが決まってしまっている。

にもかかわらず、私たちは「自己責任」を問われ続ける。生まれながらに決まっていたことどもは、「大きな問題ではない」とされてしまう。この矛盾の前で多くの人が立ちすくんでいる。

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マルジナリア・2

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