読書感想文(?)

このたび『現代思想』に寄稿させて頂いた(恐縮)。

ご依頼の段階で、先に紹介する本を教えてほしいと言われた。

他の方と「一冊」がカブるといけないからだ。

そこで、この本を挙げた。

しかし、なぜ「コロナ時代を生きるための一冊」がこれなのか。

実は「牡丹灯籠にします」とお返事した段階では、自分でも、はっきりはわかっていなかった(爆)。

編集者さんはもっとイミフメイだったろう(すみません)。

だが、改めて本書を読み返していくうちに、自分がこの一冊を思いついた理由が分かった。

わたしはこのところ、この本に描かれているような人間像、人生像、そして「運命像」のようなものが、どんどん分解されていく過程が「現代」なのだ、という気がしていたのだ。

そのあたりの、自分のまわりくどい思考をそのままに書いた(メイワク)のが、「マルジナリア・2」の圓朝作品にまつわる一連のコラムだった。

「マルジナリア・2」をご購読下さった皆様は今もあの長い長いコラムをお読み頂ける。ログイン状態で、こちら↓からどうぞ。

購読されていなかった皆様で、ご興味の向きは、以下の抜粋まとめをどうぞ。

「マルジナリア・2」のコラムでは、『真景累ヶ淵』を中心に書いた。でも、『牡丹灯籠』も、タイトルの雰囲気とは裏腹に、非常にドラマティックで、すばらしい疾走感につらぬかれているのである。

ちなみに『牡丹灯籠』では、占いが随所に出てくる(人相占いだが)。今回の「現代思想」の寄稿ではその話は書かなかったが、このあたりもそのうち、書いてみたいなと思っている。

「人生像や運命像がバラバラになっていく」というイメージについては、以下のメモでも少し触れた。

つまり、今回の「現代思想」への寄稿は、このnoteでの「マルジナリア2」「マルジナリア3」の中でタネができて、そこから切り出して叩いて作ったようなコラムなのだ。

ゆえにこのnoteでの私の記事をお読み下さっている皆様には、「現代思想」のコラムは、既視感満載であろう、ということを申し上げたかった次第である。

それがどうした。(なんでもありません(すみません))。


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