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「虎に翼」と共同親権。イエから個人へ

【6月6日(木)に放送された【連続テレビ小説】虎に翼 第10週「女の知恵は鼻の先?」(49)】

では、「家族法民主化期成同盟の決議・修正希望条項」に佐田寅子(主人公)が署名をするシーンが出てきます。「司法事務官 佐田寅子」と最後に署名があります。

実物は「司法事務官 和田嘉子」です。

 決議 

 封建的家族制度を廃止し、民主的家族法を確立することは日本民主化の最大眼目の一つである。現在政府において準備中の民法改正案は大体においてこの趣旨に添うものであるとはいえ、尚少なからぬ点において不十分である。われわれは封建的家族制度の残滓を一掃し、世界に誇るに足る真に民主的な民法改正が実現されることを希望するものである。尚、改正案に対するわれわれの具体的修正希望条項は別に附記する通りである。 右決議する。

 と記載されているのは歴史的事実です。
ただ、日付は歴史では「昭和二十二年五月十四日」なので、ドラマとは少し設定が違っています。

家族法民主化期成同盟の決議文には「・・・具体的修正希望条項は別に附記する通り」とあるのですが、ドラマでは、この「附記」は映されず、内容も触れられませんでした。

その内容ですが、以下の通りです。

  民法改正案修正希望条項
一、家族法を民衆に理解しやすくするために、民法から離して独立の単行法とし、口語体によって条文を書くこと。――民法の一部分としておくと文語体にしておく必要を生じ従来通り非民衆的な表現をまぬかれえないことは、現在発表の草案に見られる通りである。

二、「氏」に実質的効力を認める規定(七二九条二項、七八八条二項、七八九条二項、八一二条ノ二第二項、八一二条ノ三・五、八三六条ノ二第二項、八三六条ノ三、八七八条二・三・五項)を削除すること。――それらの規定は家族制度を保存する結果となり、又婚姻、離婚、私生児認知などの場合に、子と氏を同じくする父母の一方のみが其の子に対し親権を有するのは不当であるから父母は親としての関係に基き常に子の監護、教育について権利・義務を有するものとすべきである。

三、系譜、祭具、墳墓の相続に関する特別規定(一〇〇一条ノ二、八一二条ノ五)を削除すること。――そのような規定は結果において長男子の相続上の特権的地位を法律に規定することになるから。

四、協議離婚をなすには家事裁判所の確認(当事者双方に離婚意思が真実にあることについての)を要するものとすること。――協議離婚の形式の下において実際には舅・姑による追出し離婚が容易に行われてきた弊害を防止するためである。

五、裁判離婚、裁判離縁の法定原因中から封建的家族制度に由来する八一三条二・三号および八六六条一・二号を削除すること。

六、扶養義務に関する九五四条二項を削除すること。――同条の認める扶養義務の範囲は広きに失するから。

七、九九六条一項第二を削除する。――兄弟、姉妹の相続権を認める必要はないから。                         (以上)


出典:岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞2019年 11月 04日

憲法便り#2848:連載第十八回『日本国憲法制定に伴う民法改正―女性の権利確立の視点から』(【第二部】第十一節)
https://kenpouq.exblog.jp/30557021/

一言で表すなら、寅子たちは「共同親権」を求めたのです。今から77年前の昭和22年に。(特に、「」に注目してください。つまり、婚姻外の共同親権です。)

戦後の民法改正は、日本国憲法の改正に伴って昭和22年に行われました。
・結婚中の男性単独親権の廃止。結婚中は共同親権に。
・結婚中の氏は、男性だけに決めるのではなく、男女のどちらかに。
・結婚は二人の合意のみ。親の許可は不要。
・長男単独相続の廃止。子どもたちは平等に。
・戸主(主にお爺さんが務めた。親戚たちのボス)の廃止

というもので、一言で表すなら、「家制度の解体」を目的としました。「イエから個人へ」ということです。

しかしながら、「家制度」は完全に廃止にはならず、婚姻外の単独親権(子どもは一つの家の跡継ぎ)や、結婚中の単独氏(夫婦で一つの屋号を称する)、兄弟姉妹にまで及ぶ広すぎる扶養義務(大家族。現在の民法877条)、戸籍(家制度のデータベース)などそれなりに残りました。つまり、家制度は終結とまでは行かず、中途半端に温存されたのです。精神論ではなく制度的に。

寅子らの家族法民主化期成同盟は、それらの一掃を要望したわけです。(戸籍には直接の言及はありませんが)

特に、「二」に注目です。

「…婚姻、離婚、私生児認知などの場合に、子と氏を同じくする父母の一方のみが其の子に対し親権を有するのは不当であるから父母は親としての関係に基き常に子の監護、教育について権利・義務を有するものとすべきである」

と言い切っており、これは、未婚も離婚も含んだ原則共同親権になります。

しかし、この要望は通らず、改正民法は単独親権になってしまいました。

でも、世界ではその後、昭和54年(1979年)に国連で女子差別撤廃条約が成立し、第16条1項では、

女子差別撤廃条約 第十六条
 1 締約国は、婚姻及び家族関係に係るすべての事項について女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとるものとし、特に、男女の平等を基礎として次のことを確保する。
(a) 婚姻をする同一の権利 
(b) 自由に配偶者を選択し及び自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利 
(c) 婚姻中及び婚姻の解消の際の同一の権利及び責任
(d) 子に関する事項についての親(婚姻をしているかいないかを問わない。)としての同一の権利及び責任。あらゆる場合において、子の利益は至上である。 
(e) 子の数及び出産の間隔を自由にかつ責任をもって決定する同一の権利並びにこれらの権利の行使を可能にする情報、教育及び手段を享受する同一の権利
(f) 子の後見及び養子縁組又は国内法令にこれらに類する制度が存在する場合にはその制度に係る同一の権利及び責任。あらゆる場合において、子の利益は至上である
(g) 夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む。) 
(h) 無償であるか有償であるかを問わず、財産を所有し、取得し、運用し、管理し、利用し及び処分することに関する配偶者双方の同一の権利

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/3b_004.html

(d)に共同親権が、(g)に選択的夫婦別姓が規定されました。なお、日本は昭和60年(1985年)に国会で承認しています。寅子たちの「共同親権」と「夫婦別氏」の要望は世界常識となったわけです。

その時に日本ではなりませんでしたが、共同親権に関しては、令和6年(2024年)の民法改正で寅子たちが望んだフルスペックのものではありませんが、それなりのものが導入されました。(夫婦別氏は未成立)

なお、要望の「一」において、家族法は民法から独立させて、一つの法律にすべきだと言っていますが、これは私も同感です。

民法は私人間の紛争の仲裁手段であり、要するに「喧嘩のルール」です。

一方、家族の身分関係や相続関係というのは、「制度」です。国民の権利義務の根幹となる家族制度を規定するものです。それを、債権や物権の紛争解決ルールである民法のなかに混ぜるのは不自然です。

民法から商法や会社法を分けられたわけですし、家族法もできないことはありません。新家族法の叩き台には「子どもの権利条約」を使えば良いでしょう。女子差別撤廃条約も踏まえて。

実際、今回の共同親権導入を中心とする民法改正においても、法務省の法制審議会家族法制部会では、「マクロな制度設計」の発想を持つ委員が少なく、「DVガー」「養育費ガ―」「面会交流ドタキャン」というミクロな揚げ足取りで審議時間を浪費しました。

本来であれば、「子どもの権利条約」など大局的な見地において議論せねばならないことを。


いずれにせよ、寅子らの「家族法民主化期成同盟の決議・修正希望条項」は現代においても課題であり、レベルの高い問題提起です。この議論が昭和22年にあったとは、当時の日本の議論は世界でも進んでいたはずです。しかし、77年後の現在の議論はお粗末すぎて・・・




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