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Allelujah! Welcome back Fairground Attraction!

フェアーグラウンド・アトラクションの復活は寝耳に水だった。いまだに再結成するかどうかで話題になるオアシスやトーキング・ヘッズなどと違い、彼らの再結成の可能性を口にする者など誰もいなかった。もし彼らの再結成を望んだとしても、そういった情報は噂レベルでもあがってくることはなかったし、ソロに転じたエディ・リーダーの充実した活躍ぶりからして、フェアーグラウンド・アトラクションが再出発するなど想像すらできないことだった。まさか、再結成するなんてありえない、と。

それだけに、現実となったバンドの復活は本当に驚いた。しかもオリジナル・メンバーで再編し、来日公演までおこなうという。それだけではない。解散して35年経ってから、公式なかたちでのセカンド・アルバムが発表されることまで予告された。昔の曲ばかりを演奏する懐古的なリユニオンなどではなく、新アルバムを発表してのライヴ・ツアーに乗り出すというのだから、それはもう完全復活といっていい。解散から30年以上経ってのステージにも興味がわくが、それ以上にいまの時代に彼らがどんな曲を作るのか、それはぼくが最も楽しみにしているところである。夢にも思っていなかった、というより、夢に思うことさえ思いつかなかった夢、そんな夢の実現がふいに扉を開けたこの驚きをなんと表現したらいいのだろう。

思い返してみると、彼らがデビューしたのは日本がバブル景気に浮かれていたころ。アマチュアバンドブームが盛り上がり、テレビドラマやCMのタイアップでのヒット曲が多くうまれ、アイドル歌手も演歌歌手も洋楽もごちゃまぜにチャートを賑わしていた時代。また、ユーロビートが幅を利かせ、シンセを駆使したけばけばしいデジタル・サウンドが勃興するなど、時代はアナログからデジタルへと急速な移行を見せていた時代。多種多様な音楽があふれ、享楽的に音楽が消費されてもいた当時の音楽業界は、いまとは比べ物にならないくらい活況を呈していた。

そんななか、当時の喧騒からまったく外れた、古色蒼然とした音楽を引っ提げて登場したのがフェアーグラウンド・アトラクションだった。当時の流行りの音楽に浴していた耳に、彼らの音楽は風変わりでありながらセンセーショナルに響いた。時代を切り裂くきらびやかで派手なデジタル・サウンドの向こうを張る、人肌の温もりを感じさせるオーガニックなサウンド。それは飽食の時代のムードが蔑ろにしていたヒューマニティをそっと照らしていた。浮かれ騒ぐ世の中に一石を投じた彼らの古式ゆかしいサウンドは、音楽が人生にもたらす愉しさをそこはかとなく伝えるものだった。バブルの時代に脇に追いやられていた純朴さや真心、それらがこもった音楽に救われた人は少なくなかったんじゃないだろうか。サウンドにしても歌詞にしても、激流のような音楽が席巻していた時代に、穏やかなせせらぎのような音楽に足をひたすことの心地よさを感じさせてくれたのがフェアーグラウンド・アトラクションだった。

朴訥な彼らが、強権で刺激を求める音楽業界の荒波にもまれ、潰え去るのは必然だったのかもしれない。2枚目のアルバムがさまざまなプレッシャーによって制作できなかった、そんな話しだけでも当時の環境が彼らにとっていいものでなかったことはおおいに納得できる。業界の奔流がメンバー間の摩擦をうんだことも。
解散は惜しまれるが、ビジネスライクに自分たちのやりたいことを曲げて存続することは、彼らのアイデンティティを損なうものであったはずだ。その音楽が過度のストレスやプレッシャーから生まれえないものであることは彼ら自身がわかっていたことだろう。

あれから30年以上経ち、時代は変わった。昨今、世界は激しい変化の波に巻き込まれている。ポピュラー音楽の世界ではバンド・サウンドの後退が顕著で、その代わりに、ソロ・アーティストとプロデュース・チームが精緻なデジタル・サウンドで頽廃的な歌をうたう、そんなことがトレンドのようなものになっている感がある。ダンサブルでありながらも、熱気を抑えたクールネス。内向きで、不安や恐怖をともなった歌詞。パンデミック、ウクライナ、ガザなどを背景にした音楽は時流に影響され、濁流にまみれているようだ。

そんな時代に再び登場し、先行して届けられた2つの新曲。これがとても素晴らしい。歌詞はいまの世界のムードを反映したもので、現状を憂う内容は重苦しい。"世界でなにが起こっているの?"と問いかける曲で、エディはただただ戸惑い、無垢な少女のようにうろたえる。戦争も示唆するそのシチュエーションからは悲しい背景が見え隠れし
、欺瞞にみちた現実に置かれた彼女は疲弊しているようだ。"美しいなにかがある"とうたう曲のエディは沈鬱で、彼女の諦念のような感情が映される。繰り返される"some kind of beautiful"には行き場のない激情があり、その心情に身悶えする。

ただ、それぞれの曲には仄かな希望がたしかにあり、そこにはすがるだけの価値がある。エディの歌声にも、バンドの演奏にも慈愛にみちた温かさがあり、挫けることを断固拒絶する。光を見つめて前に進むことの大切さ、人間の尊厳を感じさせる表現は実に彼ららしく、その音楽の力強さに感動する。時代は変わり、彼らの視点もその影響を大きく受けている。この2曲のテーマも陰鬱ではあるが、彼らは相変わらずそこに真心を投影しながら、演奏し、うたっている。

1988年、虚飾なデジタル・サウンドを横目に一矢を報いた彼らは、2024年の音楽にある虚無的なムードにも効果的な矢を放つ。そのときの流行やムードに囚われることなく、屹立するフェアーグラウンド・アトラクションの音楽。ポピュラー音楽、特に商業的な大衆音楽のサウンドは時代の流れに左右されがちで、その時代の音が入ってくるものだが、彼らは自分たちの鳴らすべき音楽だけを確信をもって見つめ、追究しているようだ。そこにある、強い意志をもつ慈愛は、特にいまのように荒んだ世界に必要なのではないか。

これから発表される新しいアルバムに先立っておこなわれる来日公演がいよいよスタートする。復活してから最初のライヴが日本というのも感無量だが、彼らが日本を選んでくれたこと、またそうした公演をブッキングしてくれた主催のパルコ、クラブクアトロの並々ならぬ思い入れも強く感じつつ、彼らがどんなステージを観せてくれるのか、どんな音を届けてくれるのかをしっかり見つめたい。まだ発表されていない、初披露となる新曲はどんなものなのだろうか。この混沌とした世界に彼らはどんな音楽を奏でてくれるのだろうか。

エディの歌声とバンドのアンサンブル。そこにある清流に身をひたすこと、それは厳しい時代のなかでとても大切なひとときになるのではないか。

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