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エリック・カルメンの思い出

エリック・カルメンが亡くなってしまった。
これまで、彼が作り、うたってきた音楽に熱狂してきた身として、この報には言葉がつまる。なんともやるせなく、ただたださびしく、いたたまれない感情に覆いつくされる。まだまだ74歳。人生も、音楽も、退くには早すぎる。

最近はその近況を追っておらず、いまの彼がどんな環境で、なにをやっているのかまったくわかっていなかった。十年ほど前、かなりのインターバルを経て、久しぶりの新曲をリリースしたけれども、それ以来、音楽活動のニュースがぱったりと途絶えてしまって久しい。リタイア宣言や活動休止の発表などはしていなかったようだが、彼は音楽活動から身をひいてしまったように見えた。まるで隠遁生活に入ってしまったようにも。だが、個人的には、きっと彼は幸せな家庭生活を謳歌しているのだろうと思っていた。久しぶりの新曲発表の後に結婚した奥さんとの仲睦まじい姿はSNSで頻繁に公表されていたし、それらの投稿からは音楽より家庭生活を優先しているであろうことが伝わってきていた。

音楽をやりたくなったらまたそのときやってくれるだろう、ミュージシャンとしての彼が戻ってくるのがいつになるかわからないけれど、そのときがくるまで気長に待っておこうじゃないか、個人的にはそんなふうに思っていた。

とはいっても、時間の経過とともに、彼は復帰することなくそのまま事実上の引退の道を歩むことになってしまうのではないか、とそんなこともじゅうぶん考えられた。満を持して出した久しぶりの新曲にその不安はあった。お世辞にもその曲のクオリティは高いとはいえず、ミュージシャンとしての彼の未来はそこから見えてこなかった。インターバルの長さからいえば新曲の出来もさもありなんではある。ただ最も気になったのは、そんな曲でも彼はボツにしなかったことだ。以前の彼ならもっといい曲が書けていたし、これくらいの曲ならボツにしていたはず。ということは、この曲が彼のその時点でのベストであったということだ。

彼は錆びついてしまったのだろうか? それとも枯れてしまったのだろうか? はたしてこの曲からステップアップできるのだろうかといった不安はそのときからずっとついて回っていた。そして結果的に、この曲が彼の遺作となってしまった。



自分の知るかぎりにおいて、エリックは政治的な発言をしてこなかった。インタビューを一つ残らず読んだわけではないため断言はできないけれど、少なくともラズベリーズからソロに至るまで、その作品のなかに政治的なものやそういったニュアンスを含む言葉を発したことはなかった。
ところが、十年ちょっと前に結婚してから、SNS上で彼がしきりに政治的なコメントをし始めた。これは自分の憶測だが、彼は奥さんから感化されたのではないだろうか。彼がコメントしていたのはドナルド・トランプ政権への全面的な支持だった。トランプ賛美を繰り返す彼のコメントが自分にはなかなか受け入れられなかった。行き過ぎと思うコメントも多く投稿されていた。なぜ彼はこうもトランプ政権に肩入れしているのか。もちろん個々人の政治的信条はどれも尊重されるべきだが、ノンポリと思っていた彼が突然政治的信条を振り回すようになったのには戸惑うばかりだった。

エリックが音楽から離れ、トランプ支持を強く打ち出すようになったことに、同時代を生きたミュージシャンたちも思うところがあったようだ。なかでも口を出せずにいられなかったのがニルス・ロフグレンだった。ニルスはエリックのSNSに反応し、激しくコメントした。ひとつひとつの言葉は覚えていないけれど、両者の間でバチバチのやり取りがあった。

トランプ支持? あんたは間違っている。なんであいつを支持できるんだ? 

から始まって、やがて

SNSばっかりやってないで音楽活動もやれよ、曲だってもうずっと出してねえじゃねえかよ

まるで公開のケンカだった。

当時、自分もニルスほど激しくはなかったが、ニルスの言い分の方を是と思った。と同時に、エリックいったいどうしたんだ? といった感情でいっぱいだった。

エリックの新曲発表はニルスとやり合う前のことだったが、ニルスの辛辣な言葉はエリックにとってかなりのダメージだったんじゃないかと思う。


新曲はレコード・ストア・デイで限定リリースされたが、その後、エリックは自身のキャリアを総括するアンソロジー・アルバムを出した。日本企画となるこの2枚組には初公開となる日本でのライヴ音源も含まれ、例の新曲も追加された。エリックがこだわって編んだこのアンソロジーには彼の曲ごとのコメントも添えられた。
自分は、これが話題となってたくさん売れたら日本公演も実現か?! と妄想を膨らませ、わくわくしていたが思っていたほど話題にならなかった。エリックは日本のファンのことを意識して、かなりの労力を注ぎ込んでいただろうに……。

ラズベリーズのアルバムも、エリックのソロ作品も、再発の回数は世界で日本が最多だそうだ(これについては他のアーティストも同様、CD大国日本ゆえだ)。リマスターに紙ジャケ、いまだに日本でしか再発されていないアルバムもあり、さらには擦ると匂いがするジャケを再現してしまうなんてことをしてしまう日本をエリックは特別視していたはずだ。

エリックはこのアンソロジーをこれからの活動の起爆剤と思っていたのか、それともこれを自身の総ざらいにして隠遁するつもりだったのか、それはわからない。だだ、それ以降、エリックにとって音楽は二の次となっていった……。


ラズベリーズは何年か前にいきなりぽっとライヴ・アルバムを出している。これ、ジャケットは酷いが内容はいい。00年代に再結成したときの音源で、彼らのたしかな演奏力といまだ色褪せない曲の数々をじっくり楽しめる。エリックのヴォーカルに苦しいところはあるが、それでもライヴの醍醐味がびしびし伝わる好盤だ。

自分はこのライヴ盤の収録時期と同じかわからないが、再編ラズベリーズのライヴを2005年、彼らの地元クリーヴランドで観ている。そのときの様子は日本のラズベリーズファンのサイトに書かせてもらった(いまはもう見れなくなっています……)が、このとき、エリックと直接会ったことは記憶に鮮明に焼き付いている。彼と対面したとき、最初に感じたのは

うわっ、みのもんたみたい!

だった。


自分より小柄なエリックは筋骨隆々な身体で、日焼けした肌は小麦色。かつての美青年顔も加齢の貫禄ゆえに皺が刻まれている。小柄、日焼け肌、皺顔と三つの要素が揃ってみるとどういうわけか彼はみのもんたソックリ。そして握手をがっちりかわすと、そのもんたエリックの握力のなんと力強いこと! そのときは筋骨隆々だったけれど、かつては華奢だった小さな身体からあれだけパワフルな歌声が出せたのは、内に秘めたその強いパワーゆえかもしれないなどと思いを巡らせたりした。

そのライヴの後、エリックのお母様をお見かけした。そのお母様、なんと若いときのエリックをもっともっと可愛くした女の子みたいなお顔立ちで、当時50過ぎの息子のお母様とは信じられない可憐さに絶句したことを思い出す。


エリックの曲として最初に認識した曲は「All By Myself」だった。

なんて美しい曲なんだろう……

中学生だった自分はこの曲に瞬殺された。これほど美しい音楽なんて聴いたことがなかった。何度も聴いて、何度もジンときた。もちろん英語を習い始めた子供の自分に歌の意味はわからない。けれども、

おーばーまーせー

と、ことあるごとにうたうほど親しんだ。

ところがそれから数年後、その歌詞を知ったときの衝撃は凄まじかった。

放蕩な過去の行いを悔い、孤独になった男の歌だった。身勝手に振る舞った挙げ句に周りから見棄てられた男。美しくもなんともない、当然の報いをうけた情けない人間の歌。

ドン引きである……

神々しいほどの美しさに魅了されてきた曲が実は自分勝手な男の孤独をうたった俗なものだったとは……、それがわかった瞬間、その混乱にどう対処すべきかわからなかった。これは単なる物語か? それとも彼自分の体験か? あんな爽やかな顔したエリックは裏でなにをやってるんだろか?? 

子供にはなかなか難しい歌詞だ。ただの失恋ソングとしてみてしまえば手っ取り早いのかもしれないが、自分には、これはそういった枠に押し込むことができるような曲ではないと感じられた。大人になってあらためて聴いてみるとふと気がついた。この歌詞は過去の自分のいろいろな経験に当てはめることができるのではないか、と。つまり、ものすごく単純にいうなれば、不倫や浮気などにかぎらず、ヤラカシてしまうこと(間違いや失敗と言い換えてもいい)は誰にでもあるということだ。いろいろ経験を重ね、たくさんヤラカシてきたいまの自分にはそれがよくわかる。ヤラカシの度合いが大きければ大きいほどその代償も大きい。その惨めさに直面したこの曲の主人公は独白することしかできず、その罪を償う方法を見出せずにもがいている。そして苦しむだけ苦しみ、そこから抜け出せずにのたうち回る。もしその主人公にほんの少しの良心さえなければこれほど苦しまずにいられるだろう。昔と変わることなく、いまも身勝手に生きていればなにも悔やむことなく、平然としていられる。ところが過去を後悔とともに振り返ったことで、それまでなかった良心が彼のなかに芽生え、それが大きな重荷となってのしかかってくる。良心という光を見つけたことで、彼は過去の自分を責め、苦しみ続けるのだ。良心という光はもつべきものと思うけれど、彼はその光に気づくのが遅すぎた。あまりにも絶望的で、恐怖さえ感じてしまう歌詞だ。
ただ、そんな歌詞にたいして曲はあまりに美し過ぎる。主人公の苦悩を吐露する場としてのこの美しくロマンティックなメロディは彼の感情の混乱のあらわれだろうか。大人になってこの曲の歌詞が意味するところにたどり着いたような気がしてはいるのだけれども、歌詞と曲とがそのミスマッチな混沌のなかで手を取り合っていることがどうにも不穏で、不気味でならない。一般的にこの曲はエリックの傑作バラッドとして知れ渡っているが、自分にとってのこれは、ついついうっとりしてしまう美しさと背筋も凍るほどの恐怖とが不安定に同居するアヴァンギャルドな名作である。


エリック・カルメンの訃報を聞き、SNSでのファンの言葉を見つめながら、思いついたままを、脈絡なくそのまま一気に書き連ねる。そんなことでなんとか寂しさを紛らわせようとしているのだが、書けば書くほど喪失感は増すばかりだ。状況はまったく違えど、このさびしさに閉じ込められた心境は行き場所がなく、それはなんとなく、上に書いた「All By Myself」で感じる闇に似ていなくもない。

しばらくはSNSでのファンのみなさんのコメントを心の拠り所にさせてもらいます。
エリック、素晴らしい音楽をいままでありがとう。





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