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策士アル・ヤンコビックの自伝映画

アル・ヤンコビックの自伝映画がつくられているらしいというニュースが伝わってきたときは興奮した。まさかあのヤンコビックが自伝映画をつくるとは……。いったいどんな映画をつくっているのだろうか? 映画制作の経緯はわからないが、これには興味津々、絶対観たい映画だ。

が、よく考えてみるとその興奮は少しずつ萎んでいった。それが日本で公開されるなんてことはまずないだろうし、仮に観るとしてもそれがソフト化されるのを待ち、手間をかけてアメリカから取り寄せ、スラングだらけであろう英語を英語字幕で観なければならない、そんなハードなタスクは必至。相当な覚悟をしなければ観ることはかなわないだろうな、と少しばかり諦めの感情も生まれてしまった。なんといっても日本でのヤンコビックの認知度はアメリカとは雲泥の差だ。日本では80年代に「Eat It」で話題になったが、彼の名前に反応するのはそのときのことを覚えている世代くらいだろう。いまもアルバムを出しているヤンコビックだけれども、日本でのリリースは2000年以降まったくのスルー状態で、知る人ぞ知る存在となってしまっているのが現状だ。

最初に告白してしまうが、実は自分もヤンコビックについては通り一遍の知識しかない。実際、アメリカでの彼の評価が実感として認識できていないのが正直なところだ。ヒット曲の歌詞を改変し、ユーモラスな曲に仕立て上げる彼のパロディはアメリカの人々を熱狂させるが、自分は歌詞を見ながら聴いてみてもそれを面白可笑しいという感想以上のものをもてない。アメリカの人々と同じように彼を見つめているなどとはいえない程度のファンだ。

彼の替え歌はその歌詞が最重要で、当然ながら歌詞をすぐに理解できるかどうかでそのパロディの受け入れ方が大きく変わってくる。ネイティヴ・スピーカーでないとやはり言葉の壁が大きな障壁となってくるのは当然だ。が、それだけではない。その言葉に潜む文化的な価値観や意味合い、さらにはパロディというものに対する認識やコメディアンという存在意義のようなものが日本とはまるで異なるアメリカの環境、それらを理解しないとヤンコビックの実体を把握するのはなかなか難しい。

そんなヤンコビックの映画がなんとWOWOWで観られることを知って興奮した。当初は知らなかったのだが、この映画はもともとネット配信のみでの公開を前提につくられた映画だという。日本で観られるのもそういった背景があったからだろうが、その権利を得たのがWOWOWというのがまた意外で、WOWOWさん、よくやってくれました! ありがとう! という思いだ。

自伝映画という触れ込みで、ヤンコビックの生い立ちからスターになってからのあれこれがどう描かれているのか。アル・ヤンコビックというアーティストの魅力や歴史を知りたい、そんな自分がこの映画に期待していたものは大きい。

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