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馬場俊英の「人生という名の列車」を考察する

<はじめに。この名曲について書き始めたところ、5000文字を超える文章になってしまいました。お時間に余裕のあるときにじっくりお読みいただけますと幸いです>

 馬場俊英の「人生という名の列車」という曲を今さらながら初めて聴いてただただ驚いた。この曲は、彼が40歳になる前までの個人史、それをダイジェストにまとめたものだが、これがとても心に響くのだ。昭和42年に生まれてからの社会の風潮や彼自身の個人的エピソードがめまぐるしく展開していく歌詞は、ユーモアを交えながら徐々にあたたかいヒューマニズムへと昇華していく。一人の人間の成長物語をここまでシンプルにまとめあげるとは脱帽である。

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 このうたを聴いて、まず驚いたのは彼と自分が同い年であるということ(調べてみると学年も同じ、誕生日は約2ヶ月しか違わないそうだ)。さらに彼の故郷、埼玉県寄居町は自分の故郷から30キロほど離れたところだ。同じ時期に生まれ、少し離れたところでまったく同じ時間を過ごしてきたということはつまり、馬場俊英の目線で語られる彼の物語は、自分自身の過去と直接つながっているような、なんだか不思議な既視感がある。彼の言葉のひとつひとつに自分の個人的な記憶が紐解かれていく感覚は、馬場俊英という優れたシンガー・ソングライターが同い年で本当によかったと思わせる。

 昭和42年に列車が動き始めてから、うたは日本の学校制度を一区切りにして進んでいく。昭和48年、小学校時代をまとめた6歳からの物語は「8時だョ!全員集合」のみに絞られているのがおもしろい。いまではなかなか考えられないが、当時の子供たちにとって、テレビは生活の中心だった。学校での話題は、前の晩にテレビで見たアニメやヒーローものの感想ばかり。見たい番組のためにその日のスケジュールが決まってもいた。そのなかで「8時だョ!全員集合」は別格、子供たちにとってのビッグ・イベントだった。長さんの"オイーッス!"から始まって加トちゃんの"歯磨けよ!"で終わるまで、テレビ画面を食い入るように見ていた時間は子供たちにとってのパラダイスだった。

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