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Fairground Attraction in Japan, Beautiful Happening with Tears

SNSで見るかぎり、今回の来日公演はその初日から絶賛されている。観た人はそれを表現するにふさわしい言葉が見つからず、"とにかく素晴らしかった"という一言で片付けてしまう、そんな書き込みばかりだ。それはきっと"筆舌に尽くしがたい"ということなのだろう。なにが素晴らしかったのか、といっても、なにもかもが素晴らしかったとしか答えられない。各人がどんな思いで彼らのステージを観て、どんな思いを巡らせているのか、それを想像しながら書き込みのひとつひとつを見るのは楽しいが、ほとんどの人が異口同音に同じような感想を綴っているということは、きっとそこに音楽以上のなにかがあるからなのかもしれない。

自分が臨んだ日本ツアー最終日。この前日、ドラムのロイが体調不良で欠場するというハプニングがあった。このときのステージはドラムレスでの演奏で、それはそれで悪くはなかったようだが、やはり各パートにあのメンバーが揃ってこそのフェアーグラウンド・アトラクションゆえに、ロイのあのドラムがない影響は大きかったのではないか。(そう思う一方で、そのドラムレスの演奏がどんなものだったかにもとても興味がわくのだが) しかし、この最終日のステージではロイも無事復帰。メンバー4人とサポートメンバー2人が完璧に揃ってのライヴとなった。

オープニングは「100 Years of Heartache」という新曲(といってもマークのソロ作のリメイクだが)。35年前にすでにあった曲と言われてもなんの疑問もわかない、そんな彼ららしい曲である。新曲でもどこか懐かしく聴こえてしまうのが彼らの音楽の不思議なところで、思い返してみると、アルバム『The First of a Million Kisses』を初めて聴いたときもすべての曲で似たような感覚、郷愁とでもいえるようなノスタルジックなものを感じた記憶がよみがえる。この日演奏されたいくつかの新曲でもそんな彼らの持ち味は変わることなく、いまもその不思議な魅力は不変である。
旧曲新曲がそれぞれ半々、交互に入り混じったセットリストで、旧曲でともに口ずさみ、新曲でじっくりと聴き惚れる。旧曲と新曲との間に時間の間隔はまったく感じられず、彼らだけのタイムレスな音楽がそこにはあった。初めて聴く曲であってもすんなりと身体に入ってくる感覚は彼らならではだ。

演奏が始まってすぐ気付いたのはバンドのアンサンブルの温かさだ。各楽器から穏やかに紡ぎ出される音色の温かさは、エディの歌声に寄り添いながらそっと歩き出す。エディを際立たせる歌伴としての役割はメンバーそれぞれの音に集約され、歌の舞台を鮮やかに照らす。豊かな音の温もりはひたすら優しく会場の空気を創り出し、観客の心に手を伸ばす。そしてそこから弾かれ、軽やかに舞い始めるエディの歌声のなんと奔放なことか。エディの快活でのびのびとした歌声が、フリーハンドで絵を描くように会場のムードを彩っていくさまにはただただ圧倒される。そしてそこから放たれたエネルギーはヒーリングのように観客の心に響いてくる。

エディの歌のうまさは言わずもがなだ。彼女の最新のソロ作をとってみても、シンガーとしての深みや包容力がどれほどのものか実感できるが、その歌声をライヴで聴くとその迫力はより大きい。身を委ねているだけでポジティヴなパワーに包まれる歌声だ。彼女がうたう最近の映像をみるとその歌声の艷やかさは日によって若干差があるようだが、この日の歌声は絶好調だったように思える。短期間での日本ツアー、その最終日であんなに艷やかな声が出るなど驚愕するばかりだ。特に驚いたのは「Find My Love」での高音がデビュー当時と同じように瑞々しく、そしてティーンエイジャーのように無邪気だったこと。まだまだデビュー当時の声を容易く出すことができるなどとは想像もしていなかっただけに、その歌唱は強く印象に残った。

今回のツアー中、エディはステージで何度も涙を流していたそうだ。最終日の公演でも何度か、彼女は目を伝ってくるものを拭っていた。今回のリユニオンにかけるエディの思いはどれほどのものだったのだろうか。
彼らが解散を決めたのは前回の来日公演のときだったという。デビューしてから高く評価され、まさにこれからというタイミングで分裂してしまったバンドを、彼女は後悔し続けていたのかもしれない。そしていつかまたこのバンドでうたいたい、そんな思いをもち続けていたのかもしれない。今回のリユニオンが決まって、彼女はそれを単なる再始動という意味以上のものとしてとらえていたのではないか。
"解散を決めた1989年に戻って、そこからリスタートする"
エディはこんな目的をもって今回のライヴに臨んだように思える。そしてこんなふうにも考えたのではないか。日本ツアーを最後に活動を終えたバンドをリスタートさせるためには日本から演奏を始めなければならない。日本で閉じた物語を再び書き始めるとするなら、その物語はやはり日本から書くべきだ、と。今回のサポートメンバー、グレアムとロジャーの2人も1989年のツアーメンバーで、まさしく35年前とまったく同じ6人で来日している。そのことがしめす意味は大きいと思うのだ。

さらに深読みするならば、前回の来日公演はその後リリースされるセカンド・アルバム(結局リリースされず)に収録される曲のお披露目も兼ねたものだったが、今回の来日もこの9月にリリースされる予定のセカンド・アルバム収録曲のお披露目を兼ねていた。つまり、前回の来日も今回の来日も、セカンド・アルバムのリリース前に行なわれたものという点で共通している。失意のまま見送られたアルバムは幻となり、バンドは消滅。エディは意気消沈し、ファンを失望させてしまったが、ここにきてようやく新たなかたちで新曲を届けられたことはまさしく復活の第一歩となった。この点からも、35年前に出来なかったことのリスタート、やり直しという目的のようなものがちらちらと見えてくる。

エディの涙はそういった思いが去来してのものだったような気がしてならない。彼女はこのバンドの復活を夢のように思っていたのかもしれない。叶うことのない夢、と。しかし、それが叶った喜び、長年望んできたバンドでいまうたっていること、いまでもまだファンが大勢集まり歓迎し一緒にうたってくれていること……。
夢に見たすべてが眼前にひろがっている喜び。それまでのバンドとの過去やその周辺で起きたさまざまな苦難を乗り越えてやってくる喜びは彼女にしかわからないものだろう。エディの涙はそんな激情のなかでこぼれた、彼女の生き様の証だったのかもしれない。そして彼女のそんな喜びは歌をとおして観客にも確実に伝わっていた。エディと同じように目を潤ませていたファンも少なくなかったが、それは彼女の思いを強く感じ、共鳴したからに違いない。バンドもファンも同じような感動にふるえながら目を腫らしていたのだ。

9月にリリースされるという新しいアルバムからの曲は、ヨーロッパ的だったデビュー作よりもよりアメリカを感じさせるものがいくつかあった。彼らが採り入れるさまざまなエッセンスからどんなものが生まれるのか、それは興味が尽きないところで、新作が本当に楽しみだ。
ところで、その新曲のなかに「Sing Anyway」という曲があった。これがライヴで演奏された瞬間は心底驚いた。この曲もオープニング曲同様、マークのソロ作品としてすでに発表されているもので、それがこのリユニオンで採り上げられたことにたまらない興奮を覚える。これについて書き始めると、マークのとんでもない才能やら歌詞に感じる思いなど、また長くなってしまうので、またあらためて別の記事にする。

ライヴを観て"素晴らしかった"という思い。会場にいたファンの一人ひとりがなにを感じていたのかわかる術はないけれども、そこにあるバンドからの特別な思いは多くのファンが感じとっていただろうと思う。そしてエディの涙から感じとるものは音楽以上のなにか、some kind of beautifulだったと思うのだ。

フェアーグラウンド・アトラクションのライヴは素晴らしかった。それはそれは素晴らしかったのだ。

100 Years of Heartache
A Smile in a Whisper
Miracles
Hey Little Brother
The Simple Truth / The Wind Knows My Name
The Moon Is Mine
Sing Anyway
Gatecrashing Heaven
Find My Love
Last Night (Was A Sweet One)
Learning to Swim
Sun and Moon
What's Wrong with The World
Moon on the Rain
Clare
Fairground Attraction
Perfect
Beautiful Happening
-encore-
Lullaby for Irish Tliprets
Allelujah
Fear Is the Enemy of Love


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