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この夏の不思議な出来事と、ジャケット写真の話し

これは先日、仕事に出かける際に体験した、ちょっと不思議な話しである。とある日の明け方ちかく、まだ朝日が昇る前の薄暗い時間帯のこと。車をはしらせていると、喉の渇きを覚えた。飲み物を買うべく、車を停め、自販機に向かう。小銭の持ち合わせがなかったので、千円札を投入する。と、千円札は戻ってくる。もう一度入れてみる。やはり戻ってくる。そこで自販機の釣銭切れの文字に気付いた。
「なんだ、釣銭切れなのかー」
つい小さな声で独りごちた。

と、その瞬間、なにやら背後に不穏な気配が……。

振り返るとそこには人影があった。一人の男が立ち止まり、こちらを見つめている。いや、見つめているというより睨めつけているといった方が適切だろうか。その目はなぜか怒気をはらみ、なにか恨みでもあるかのようにたぎっていた。自分はその顔に見覚えがない。もちろん恨みを買うような心当たりもない。そもそもこの男は何者なのだ? なぜそんな目つきでこっちを見ているのだろうか?

が、ふと思った。この男も自販機でなにかを買おうとしているのではないか。千円札でもたつく自分に苛立ち、早く立ち去るのを待っているのかもしれない。あの目つきだけはどうにも解せないところだが、でもきっとそういうことなのだろう。そう思い、なにも買わないまま、そそくさとその場を離れた。

車に戻り、バックミラーを覗いてみる。

男の姿は消えていた。自販機の前には誰もおらず、その周りにも人影がない。たしかに夜明け前の薄暗さでは見えるところも限られる。が、それにしても自分が車に乗り込むまで、たった5秒ほどの間に、男はどこに行ったのだろう? 結局男は自販機の飲み物が目当てではなかったのだ。

あの異様な目つきはいまもはっきりと覚えている。ただただこちらを見つめるそら恐ろしい顔。忽然と姿を消したあの男はいったいなんの目的があって立っていたのだろうか?


そんな不思議な体験も忘れかけていた最近、いつものようにネットで新譜情報を眺めていると、とある1枚のアルバムに目が止まった。

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ギョッとした。それはあの男の顔だった。こちらを見つめる、なにか邪悪な念がこもったような不気味な顔。なぜあの男がここに出ているのだ?

スティーヴ・ルカサーのニュー・アルバム? なんだ、それがこれか?! いやいや、このジャケットに写っているのはTOTOのギタリストなんかではない。これはまさしく自販機のそばにいたあの男だ。この写真は、その怪しさも、その薄気味悪さも、そのおぞましさも、まさにあのとき目にしたあの顔そのものだ。
そもそもルカサーのアルバム・ジャケットといえば、そこに写る彼の写真はいつも機嫌がよろしくない仏頂面だ。なぜあんなむっつりとした顔をわざわざジャケットにするのか。とても愛想がいいとはいえない写真ばかりのジャケットゆえに、彼に笑顔の肖像写真を求めるなど到底無理なのかもしれない。が、さすがに新作のこれは行き過ぎだ。不気味が過ぎる。

いったんこのアルバムとあの男がリンクしてしまうと、その音楽の内容や演奏は自分にまったく入ってこなくなる。ちゃんと聴こうとしても、あの自販機の男がちらついてくるのだ。音楽どころではない。アルバム自体があたかもホラー映画のワンシーンのようにまとわりつき、音楽はただの効果音にしか感じとれない。これは自販機の男が悪いのか? それともルカサーが悪いのか?

音楽はときにジャケットに大きく左右されることもある。ルカサーよ、ステージや雑誌などでは笑顔を見せるのに、ジャケット写真となるとなぜそんな仏頂面ばかりしている? 

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同じようなジャケットでこんなものも思い出した。ミック・ハックネルのこの顔もあの男に近く、じゅうぶん怪しい。が、ルカサーの顔に比べると邪悪さは薄く、見方によっては二日酔いの朝の男の姿だ。前の晩に飲みすぎて気分が悪いまま迎えた朝、鏡をのぞくと大体こんなような顔が見える。そう考えるとまだ親近感がわく。これはまだ許容できる。


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兄弟作ともいえるジョセフ・ウィリアムスのアルバムも同じテイストで、これもじゅうぶん怪しいジャケットだ。が、彼の目が見えていないことでルカサーのジャケットにあるような狂気はあまり感じられない。

そんな二人のそれぞれのアルバムが一緒になったボックス仕様の作品があることに驚いた。そのジャケットがこれ。

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なんだ、笑えるじゃないか、ルカサー。

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